Go!Go!石川遼!

メジャーへのパスポート、世界ランキングアップを応援します。もっともっと駆け上れ!世界へ羽ばたけ石川遼!

冬眠のお知らせと 【 目次 】

2010-01-22 10:43:17 | 石川遼&世界ランク

(2009-12-27 23:30:31 記)

2009年9月中旬から始めたこのブログ、最初は「遼くん、年末の世界ランキング50位以内になって!」という応援のつもりで始めたのに、遼くんはあっという間にその目標をクリアしてしまい、年末ランキングはなんと30位。

飽きっぽい私が、どこまで続けられるかと思い「年末までの限定ブログ」としていたのですが、皆さんにコメントもらえるのが嬉しくて楽しくて、あっという間に年末になりました。
楽しいし、読んでくれる方々も居るので続けたいな~、でもしばらくネタもないし~
というわけで、しばらく「冬眠」に入りたいと思います。

冬眠期間の目安は・・・アクセンチュア・マッチプレーでは、対戦相手が世界ランクで決まるから、そのあたりまでかなぁ。1月終わりくらいまでですね 
その期間も、麗香さんのブログにはお邪魔していると思いますので、そちらでお目にかかりましょう。
でも、もしご用事やお知らせがあったら、←のメニューの一番うえにある「メッセージ」を使ってメールください。この記事にコメントをつけて下さってもOKです。

今までの記事の一覧(目次?)を↓に作っておきました。は、今から読んでも参考にしてもらえそうなオススメ記事です。でも、皆さんからのコメントでとっても役に立つものなどがあちこちにちりばめられているので、お時間あればぜ~んぶ読んでみてくださいな。
以前の記事に今からコメント付けて下さるのもWelcomeですよ。
それでは See You Again

  == 今までの記事の目次 ==


遼くん親交録; アンソニー・キム(予選同組の定番?)

2010-01-22 10:42:54 | 石川遼 親交録

【アンソニー・キム (Anthony Kim)】
一部のブロガーから「キム兄」と呼ばれるやんちゃなキャラクター。ある意味、遼くんよりコドモっぽい

石川遼との関係;
遼くん初めてのマスターズ(2009)の予選ラウンドで同組になって以来、同年の全米プロ、WGC-HSBCでも予選で同組に。プレジデンツカップでは敵チームでしたが、「アメリカに来たときはオレに電話しろ」と言われたとか。

↑2009年マスターズにて

誕生: 1985年 アメリカ カリフォルニア州
 オクラホマ州立大学 卒業
プロ転向: 2006年
主戦場:アメリカ

メジャーやWGCの予選で同じ組に組まれるのは、若い+東洋系という共通点のせいなのでしょうか。韓国系アメリカ人だけれど、韓国語はしゃべれるのかなあ?
遼くんとは対照的な、「近頃の若いヤツは」って言われちゃうようなキャラみたいですね。(でも憎めない感じで私は好きです~)

ALBAの「遼コラム」では、「キムのドライバーレッスンを受けた遼くんの意見を聞いてみよう。」なんて記事があって、実際に"レッスン"を受けたかどうかはわからないけれど、遼くんがいつもの吸収力を発揮して、キム兄の技術を観察してたことは確かでしょう。「そこんとこ、どうしてるの?」とかいう会話もあったかも。
「グリーンで止めるための高~いロブショット」も、キム兄から盗ませてもらったんでしたっけ?

これまでの成績など
2008年 アメリカツアー 2勝
2009年 2~3位タイ 4回 (優勝は無し)
 
遼くんと同じ土俵(トーナメント)で戦ったのは
2009年 マスターズ 20位タイ (石川遼 予選落ち)
2009年 全英オープン 予選落ち (同 予選落ち)
2009年 USPGA選手権(全米プロ) 51位タイ (同57位タイ)
2009年 WGC-HSBC選手権 10位タイ (同17位タイ)
2010年 ノーザントラスト・オープン 52位タイ (同32位タイ)

まだ遼くんは、同じ試合でキム兄の上を行かせてもらったことはないんですね。今年は期待してますよ ⇒(2010.2.13追記:しょっぱなから期待に応えてくれ、ノーザントラストで上を行きました  )
キムが遼くんのことを何て言ってるかとか、どんな話をしてるの?とか…ネット検索してもあまり分からなかったです。あと、これだけ同組で回っているのに、なぜか一緒の写真がほとんど無くて(キムが後ろ向きだったり)。(⇒良い写真ありました!ゆさんありがとうです!)
どなたか、コメント、おねがいしま~す。


遼くん親交録; トップページ

2010-01-22 10:40:56 | 石川遼 親交録


「遼くん親交録」といっても、もちろん遼くん「誰と仲いいの?」と訊いたわけではありません(訊けたらいいなぁ)。あくまでも私の目線で・・・「仲が良い」だけでなく、「一緒に戦った」、「対戦した」、「お世話になった」とかいろいろ…とにかく、「遼くんをめぐる人々」について挙げていきたいと思います。

よく知っている人について書くのではなく、「どんな人なのかな~?」と気になった人を調べながら書いていくつもりです。だから最初からいろいろは書けません。知っていることがあったら、どんどんコメントお願いします(記事のアップから時間が過ぎていてもまったくOKです。)
私自身も、あとから分ったことがあったらコメントで追加していくつもりです。

とりあえず、外国人選手を中心に書いていくつもりです。リクエスト等があったら、この記事にコメントを付けてくださいね。
(さて、何人まで続けられるかなぁ?

英語で書かれたニュースなどの翻訳は、英検2級(←"高校卒業程度"の級)を大昔に取った私がネット辞書を引き引き頑張って訳してたりしてますから、間違いがあったらゴメンナサイ。

== 石川遼 親交録 目次 ==

 


遼くん親交録; カミロ・ビジェガス(アマチュア時代にも同組でプレー)

2010-01-17 16:35:13 | 石川遼 親交録
【カミロ・ビジェガス (Camilo Villegas)】
やっぱりこの人は欠かせないっしょ!・・・と言いつつ、実はどーゆー人なのか、あまり知らなかった私でした。コロンビア出身で初の世界ランク10位以内になった人、というのはどこかで読んだことがあったけど・・・
 
石川遼との関係;
元祖スパイダーマン!遼くんはこの人のポーズを真似たんですね。その縁もあってなのか(?)2007年にまだアマチュアだった遼くんが劇的ツアー優勝してから約4ヵ月後のコカコーラ東海クラシックの1~2日目に、同じ組で回ることに。アマチュア時代に同組になった外国人選手は、ビジェガスだけじゃないかな。(たぶん。)2008年にプロになってからも同大会で同組に。
プレジデンツ・カップでもチームメイトになってます。

誕生:  1982年 コロンビア
(フロリダ大学卒)
プロ転向: 2004年
主戦場: アメリカPGAツアー

↑2007年コカコーラ東海クラシックの表彰式。(遼くん、Kid だね~)

遼くんのスパイダーポーズはビジェガスに憧れて…ということから、私はビジェガスはもう少し前から活躍していたのかと思ってました。世界ランクの推移を見ると、遼くんがKSBで初優勝したころはちょうどガンガン伸びているときだったんですね。ビジェガスは前年の2006年にもコカコーラ東海に出場していて3位だったので、遼くんはその中継を見てスパイダーポーズを覚えたのかしら??
2007年のコカコーラ東海では、ビジェガスが優勝!遼くんは大健闘の44位タイでベストアマチュアに。
2008年は二人とも振るわず、ビジェガス31位タイ、遼くんは予選落ち
そして、ビジェガスの出場しなかった2009年には、遼くんが優勝
その翌週のプレジデンツ・カップで、2人の間には絶対その話題がでたと思う。「一昨年あなたと回って、あなたが優勝したあのトーナメントで、先週僕は優勝しました。」てな英語を、遼くんは行きの飛行機の中で練習したに違いない。で、いざとなったら先にビジェガスに「おう!あの試合で優勝したじゃん!」って言われちゃったに違いない。(妄想

遼くんはプレジデンツカップ直前のインタビューでビジェガスのことを名前(ファーストネーム)で「カミロ」って言っていた。なんか親しい感じが出ている気がする…。本人とどれだけ話したことがあるかどうかで、呼び方がやっぱり変わってくるんじゃないかな。遼くんにとってのカミロ・ビジェガスは、今はもうメディアを通して見聞きする「ビジェガス」ではなくて、直接話をする「カミロ」なんだと思う。(アマチュア時代に「カミロ」とは言っていなかったと思うし。)
そういえばブレンダン・ジョーンズのことを「B.J.」って呼ぶのはなぜだろう?他の日本人選手もそう呼ぶのかしらん?
…ああ、いままでもっと、呼び方に注意していればよかった。

今の遼くんにとって「カミロ」はどんな存在なのかなあ?
このページのタイトルを「アマチュア時代からの○○」にしようかと考えて、○○が「お友達」じゃあまだ僭越(年も近いといっても離れてるし)なのか?…先輩?憧れ…であったことは確かだけど今はもっと近いはず。どう呼ぶのが一番近いんだろう?

ところで、ビジェガスはコロンビア人として初めて全米オープンに出場し、初めてPGAツアーメンバーになり、初めてPGAツアーに優勝した。何につけても「コロンビア人として初めて」という枕詞がつき、コロンビアでは英雄らしい。
コロンビアというと、私は「貧しい」とか「危ない(治安が悪い)」とかいうイメージがある。あくまでも私の貧困な知識とイメージだけれど、今ちょっと「コロンビア」でwiki調べた限りでは、あながち大ハズレでもないらしい。
2008年10月に起きたカミロ・ビジェガスの「洗礼親」の叔父、射殺されるという事件の見出しを見ると(たったさっき知りました)「やっぱり危ないんだぁ」と思うけれど、内容を読むと、単に治安の問題だけではないみたい。

コロンビアという国とゴルフとの関係、そしてビジェガスの生い立ちについて、興味があるなあ…(うーん、しばらくネットは最低限にして冬眠するつもりだったのに、調べたいことが広がって困る…

これまでの成績など
2007年 コカコーラ東海クラシック優勝
2008年 BMW選手権 優勝
2008年 PGAツアー選手権優勝
2009年 WGC-CA 5位タイ (この年は優勝なし)
 
遼くんと同じ土俵(トーナメント)で戦ったのは
2007年 コカコーラ東海クラシック 優勝 (遼くんは44位タイ)
2008年 
コカコーラ東海クラシック 31位タイ (同 予選落ち)
2009年 マスターズ 13位タイ (同 予選落ち)
2009年 全英オープン 13位タイ (同 予選落ち)
2009年 USPGA選手権(全米プロ) 51位タイ (同57位タイ)
2009年 WGC-HSBC選手権 25位タイ (同17位タイ)

おおっ、なんか遼くんがだんだん迫っていってる感じじゃないですか

 


遼くん親交録; イアン・ポールター(遼くんのファッションリーダー)

2010-01-14 13:17:59 | 石川遼 親交録

【イアン・ポールター (Ian Poulter)】

↓の写真よりもっとイケメン。へぇ。20代かと思ってたら30代なのね。矢野東さんと同年代(1歳上)。…納得。

石川遼との関係;
遼くんが以前使ってたヘッドカバーのあの人。「遼くん憧れの人」ということで、日本ではゴルフファン以外にも(当時の私にさえも^^;)イアン・ポールターの名が有名に。確か2008年(⇒2007年でした!)のダンロップフェニックスには、遼くんはポールターからプレゼントされた服を着て出場してました。そしてフェニックス・チャレンジという番組で一緒にラウンドしましたね。

↑服の件、うろ覚えで確認してないので間違ってたら訂正します (⇒ 2010.1.16 服をもらったのは2007年でした。コメント参照。)

↓世界ランクの推移を見ると、素晴らしい右肩上がりですよ。実力者


↑2007年ダンロップフェニックスで。(アマチュア時代の遼くん) 右はヘッドカバー

誕生:  1976年 イングランド
カリフォルニア大学(?)バークレー校卒業
プロ転向: 1994年 (2000年からシード)
主戦場: 2000~2007年は欧州、2007年~はアメリカ(2007年は掛け持ち)

上の遼くんと並んでる写真はJGTOに載ってたんですけど、そのキャプションは、
【ひとことお祝いが言いたいと、プレーが終わってもコースに残って待っていた石川くんにポールターは「来年はかかってこい」と・・・】
となっていました。で、翌年、ポールターは8位タイで、遼くんは見事2位タイ

遼くんが特に憧れたのは、ポールターのファッション。遼くんがトーナメントで迷彩柄のパンツをはいて、ちょっと物議をかもしたことがあったけれど、あれもポールターの影響だったのかしらん?(ごめんなさい、これも未確認)迷彩柄は、そのあと禁止になったのですよね。

イアン・ポールターのお母さんは、女性服飾店の店長をしていたらしい。イアン自身も、最初はゴルフ場のショップで働いていたらしいから、商才があるのかな?(←この辺、英語版wikiの情報。)
で、いったいどんなファッションなの?って、ネットで確認してみました。というか、別のこと(ツアー成績)を確認しようとして「イアン・ポールターの公式HP」を開いたら、オンライン・ストアだった!IJP(
Ian James Poulter)ブランドというらしい。かっこいいロゴマークもある。(どっかで見たことあるかも?)
イアンのワードローブ というページを見ると、…わー!遼くんみたいな服(って、向こうが先だよ
オンラインショップには、きっと遼くん好みのアイテムがいっぱい。うーん、タータンチャックのハーフパンツなんて、遼くんに似合いそう。
そういうことだったのか。遼くんもホントに、年頃の男の子だったんだねぇ

ところで、ポールターについての日本語のwikiには、「カリフォルニア大学バークレー校卒業」となっているけど、本当なんだろうか?PGAツアーのHPには「Berkeley School」となっていて、これは別の学校なんじゃないだろうか?ホントにカリフォルニア大学バークレー校だったら、すごいみたいな気がする…しかも19歳でプロに転向してるから、学業と両立?
”ゴルフ選手と大学の関係”について、興味のある私。(遼くん、いつか進学したいんだもんね。)

これまでの成績など
2006年までに欧州ツアー通算7勝
アメリカツアーでは優勝なし
2007年 ダンロップ・フェニックス優勝
2008年 全英オープン2位
2009年 シンガポール・オープン優勝(欧州&アジア共催)
 
遼くんと同じ土俵(トーナメント)で戦ったのは
2007年 ダンロップ・フェニックス 優勝 (遼くんは32位タイ)
2008年 ダンロップ・フェニックス 8位タイ
(同 2位タイ)
2009年 マスターズ 20位タイ (同 予選落ち)
2009年 全英オープン 予選落ち (同 予選落ち)
2009年 USPGA選手権(全米プロ) 19位タイ (同57位タイ)
2009年 WGC-HSBC選手権 45位タイ (同17位タイ)

というわけなのですが、肝心の「イアン・ポールター自身が遼くんについてなんと言っているか」とかは、よくわかりませんでした。(今回、ちょっと検索不足
フェニックス・チャレンジも観たんだけど、録画をとっておかなかったし(^^; とにかく遼くんが、古閑さんのことはほったらかしにしてポールターにくっついて歩いてたのを覚えていて・・・遼くんの片思い

どなたか、コメント、おねがいしま~す。