GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 エクスタシー・レコードとの軋轢

2009-09-15 | デビュー前




 俺(AKIRA)は中学を中退してバンド活動をするようになってから、メジャーデビューすることを第一の目標に頑張ってきた。

 しかし、市川CLUB GIOにYOSHIKIさんが来て、その日のうちに、「今度から一緒にやっていこうよ」と契約に似た確約をすると、メンバー全員がエクスタシー・レコードの指示で動くことになった。

 しかし俺の心の中では、「なにか違う。これは違うんじゃないか」という気持ちが芽生えてきた。まずはエクスタシー・レコードのやり方になじめなかったことがある。

 例えば、メンバーが会社に顔を出す。「今度こんな取材が入っているから、この日はスケジュール空けといて」 雑誌の取材、デビューのための宣伝材料の撮影、レコーディング、めざましいスケジュールが入っている。

 そのスケジュールの伝わり方も、何日前から決まっているのに、俺たちには当日の2~3日前に「今度、雑誌の取材があるから、3日後に事務所に来てね。」 などという連絡が突然来たりする。

 俺にしてみれば、「なんで前もってわかっているなら、もっと前から教えてくれないんだ」と思ってしまう。


●自分の信念との乖離

 エクスタシーとの契約後に、TAKUROは「これからは、色々なことがあると思うけど、俺が決めさせてもらうから」と公言した。

 ところが、音の作り方に対して、エクスタシー・レコードの人間が「これからは歌をメインにするから、バックが目立つ曲ではこれからは売れないから」 はっきりとこう言ったとき、TAKUROは何も言わなかった。

 俺には、レコード会社の言いなりになっているようにしか思えなかった。

 しかし考えてみると、今売れているLarc~en~CelにしてもLUNA SEAにしても、CDを聴くとまず届くのはボーカルの声だ。そしてそれを引き立てるように後ろからバンドの音が聴こえてくる。

 レコード会社にしてみれば、「これまでのハードロックのように音とボーカルが混ざり合う音楽はもうウケない。ボーカルを前面に押し出して、それをサポートする形でバンドの音を入れる。それ以外にはない」 こう計算していたのも頷ける。

 しかし当時の俺には、納得できなかった。

 俺が中学時代から聴いていたバンドは、歌にバックの音が合体し、そのパワーを見せつけるバンドが多かった。それだけに、GLAYに入った当時も俺はそんな音楽性を表に出し、TAKUROとは音楽面で衝突することもあった。

 しかし結局、最後には「そうだよね。そんなところでやっていこうよ」といつも和解し、究極の音作りを目指してきた。メンバーと一緒に遊んだりして、コミュニケーションは申し分なかった。

 しかし俺は、「バックの音とボーカルが合体して、一つの音ができる」と固く信じていただけに、音作りには譲れない部分があった。


●力が発揮できない

 「灰とダイヤモンド」のレコーディングの時だ。メンバーがスタジオに入る。バックの俺たちが一生懸命演奏する。OKが出ない。

 音楽プロデューサーが、「音が走りすぎる。それではボーカルが消えてしまう」 そんなやり取りが何回も続いた。そして家に帰ると、また突然、「宣伝用の写真撮影があるから、2日後にエクスタシー・レコードに集合してくれ」となる。

 もう、主導権は完全にレコード会社に移ってしまった。そして、レコード会社との窓口はTAKUROになっていて、それ以外のメンバーは完全に蚊帳の外に置かれていた。

 俺は、性格的にもあまり一方的に命令されることは好きではない。HISASHIやJIROはその辺を上手に折り合いをつけていた。「いいじゃない。大丈夫だよ、AKIRA。なるようになるから、一生懸命やろうよ」

 それが1カ月、2カ月と続いた。「やっぱり違う。俺はこのバンドにいては力が発揮できない。自分の思うことができない」 そんな気分になってきた。当然、練習時間に遅れたり、飛ばしたりするようになった。

 エクスタシー・レコードのプロデューサーが、俺のそんな態度を気に入っていないのはよくわかっていた。





【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス


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