何の音沙汰もなく、1カ月ほどが過ぎた。
その間、TAKUROが何人かのドラマ-に当たって、GLAYのドラムを探しているということも聞いた。西川貴教がボーカルをしていたルイ・マリーのドラムなど、色々なバンドのドラマーをオーディションしたようだ。
●JIROからの電話
1カ月ほどすると、今度はJIROから電話がかかってきた。「オバちゃん(NOBUMASA)、頼むよ。やってよ。俺たち、ライブのスケジュールも入ってるんだけど、ドラムがいないからライブできないんだよ」
じっくり考える時間もあった。自分の中では答えは出ていた。「ああ、いいよ。やるよ」
僕がそう言うと、さっそくTAKUROが電話口に変わった。「だったら一応、形だけオーディションやるからさ。来てくれないかな」 指定されたオーディションの日は、その電話の2日後だった。
目黒にある鹿鳴館の横にあるマッドスタジオ。そのスタジオに僕は指定された時間、スティック2本だけ持って乗り込んだ。
それまで何回もGLAYの曲は聴いていたし、JIROやTAKUROと電話で話をして、ああいいよ。やってもいいよ」こう返事をした時、僕は以前にGLAYのメンバーからもらったデモテープを手にしていた。
それからは何回も何回もGLAYの曲を聴き、必死になって頭でリズム取り、そして曲の入り方などを覚えた。
僕の中では僕がAKIRAと同じように、いや、それ以上のドラムがたたけるかどうかという不安があった。AKIRAが入る前のGLAYの音を、僕は何回か聴いていた。
正直なところ、AKIRAがGLAYに入るまでのGLAYとAKIRAが入ってからのGLAYとでは、バンドとしてのテクニック的なものが飛躍的に伸びていた。AKIRAが入ったことで、GLAYのサウンドは一段と厚みを増していた。
「あれだけGLAYを愛し、GLAYとともに一生懸命練習をし、行動をともにしてきたAKIRAが音楽的な違いだけで本当に辞めるのかなあ。色々、もっともっと複雑な事情があったんじゃないのかな」
僕の中にはそんな疑問も残っていた。
●メンバー入り
僕とAKIRAとは性格が正反対だった。AKIRAは何事も自分が主導権を握り、グイグイと引っ張っていくタイプだ。僕は、与えられた仕事を自分なりにきちんとこなす。
AKIRAのように、積極的に自分が先頭に立って何かをやるというタイプではない。僕にはこれまで、人間関係で衝突したという経験が一度もない。自分で言うのもなんだが、友人の間では「お人好し」で通っていた。
こんな思いを胸に抱きながら、初めてGLAYのメンバーと音出しに臨んだ。「オバちゃん、やろうよね。俺はオバちゃんの腕知ってるし、絶対、いいと思うんだよ」 始める前に、TERUがこう言って、握手を求めてきた。
音出しでは、それまでGLAYの持ち歌、『LOVE SLAVe』、『POISON』、『JUNK ART』などを何回かくり返し演奏した。この曲は、前もってGLAYのデモテープを聴き、僕が必死に覚えていたため、簡単に音合わせはできた。
2時間の音合わせが終わると、機材を片づけ、スタジオの外のロビーに出た。TAKUROが、僕にこう言ってきた。
「気に入ったよ。やっぱり、俺たちの想像した通りのドラミングのテクニックを持ってたよ。オバちゃんさえよかったら、一緒にやろうよ」 「うん、いいよ。僕もやりたいよ」
こう言うと、「だったら、これからは運命共同体として一緒にやっていかなきゃいけないからさ。俺たちの自己紹介っていうか、今、生きている上での座標みたいなものをお互いに理解し合わないといけないと思うんだよね」 そう言ってきた。
メンバー全員、余分なお金は持っていない。
ロビーに備え付けの自動販売機でコーヒーを買うと、タバコを吸いながらロビーの椅子に座って、僕は1時間ほどTERU、TAKURO、HISASHI、そしてJIROの生い立ちや、現在の生活状況などを聞くことになった。
【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス」