デビュー曲『RAIN』のレコーディングをロスでするというのは、1994年早々に知らされた。恵比寿のよくメンバーが使っていた居酒屋に5人で集まることになった。
「今日は、メンバーにとっても大切な話があるんだ」 TAKUROがそう切り出した。
●ロスでレコーディング
それは、エクスタシー・レコードが、GLAYのデビューアルバム「灰とダイヤモンド」のリリースと同時に、メジャーレーベル「プラチナムレコード」を設立し、そこからの第一弾としてデビューシングル『RAIN』を発売する。
そのレコーディングはロスでする。そのデビュー曲に関しては、YOSHIKIさんが直接ロスでプロデュースしてくれるという報告だった。
TERUもJIROもHISASHIも、「えっ、ホント?俺たちロスでレコーディングできるんだ」いつもの調子でビールを飲みながら、完全に舞い上がっていた。もちろん俺も、その時まではレコーディングに参加する気でいた。
「そんなわけで、みんなパスポート取ってくれないかな。パスポートは申請してから受け取るまでに9日くらいかかるらしいんだ。出発は1月後半から2月になると思うから、そのスケジュールに合わせて取っておいてくれよ」
TAKUROのその報告は、どちらかといえば心地良く聞こえた。「ロスか・・・。いよいよ俺たちもロスに行ってレコーディングするんだ」 俺にとってみれば、このロス行きは初の海外旅行でもあり、楽しみにしていた。
当時付きあっていた恋人には、「ロスに行ったらおみやげいっぱい買ってきてやるからな」こんな大口も叩いたりしていた。
しかし、ちょうどこの年の1月17日、ロスで大地震が起こった。レコーディングする予定のONE ON ONE RECORDING STUDIOは、地震のために多少の被害を受けたらしい。
「レコーディングが20日ほど遅れるから、出発もちょっと当初の予定より遅くなる」との連絡を受けた。しかしその当時から、エクスタシーの関係者が俺に対して、「イヤだったら無理に参加することないんだよ」という態度を取り始めた。
●我慢ならない言葉
ある時、エクスタシーの会議室にメンバー全員が招集された。レコード会社のスタッフが、こう切り出した。
「みんなやる気がなかったら、やらなくてもいいんだよ。うちはGLAYとしては、TERUくんのボーカルと、TAKUROくんの曲があればいいんだから。この2つさえあればGLAYとして、どういう形でもウチからデビューさせられるからね」
その言葉は、俺やJIROやHISASHIに「しっかりやってくれよ」と叱咤激励するつもりで発せられたのかもしれない。しかし、俺にとっては複雑な響きを持っていた。
「TERUとTAKURO以外は付属品なんだ。やってもやらなくてもいいんだよ」と聞こえた。俺はの人生訓として「自分を主体として生きていく」 こう考えていたから、その言葉自体がどうしても我慢ならなかった。
もっとも、その以前から薄々そんな空気があることは知っていた。「灰とダイモンド」のレコーディングでスタジオに入った時のことだ。俺も悪いことをしてしまった。
実は、俺の次にGLAYのドラムを叩くことになったNOBUMASAが参加していたバンド・ボイスのライブがレコーディングの前日にあった。友人のバンドのライブということで、足を運んだ。
そして、「AKIRAも打ち上げにおいでよ」とNOBUMASAに誘われた。俺も飲むのは嫌いではない。ホイホイとついていった。
ボイスの打ち上げはファンの女の子たちがたくさん来ていた。メンバーは、その子たちを自分たちの輪に入れ、ジャンケンをして、一気飲みや野球拳などをして、盛り上がりに盛り上がった。
久々に面白い打ち上げに参加した俺は、なんと翌朝の5時まで飲んでしまった。家に帰り一眠りした。その日、下北沢430スタジオで行われるレコーディングに行く予定が入っていた。
●初レコーディングに大遅刻
それまで家族と一緒に住んでいた俺は、「プロになるんだから、自立もしなきゃ」 そんな大見得を切り、自宅の近くのアパートに1人移り住んだばかりだった。
朝まで深酒をして眠ってしまったため、起きられるはずもない。起こしてくれる家族もいない。目が覚めたら、すでにレコーディングの始まっている時間だった。
顔を洗うのもそこそこに、八王子からJR中央線に飛び乗ると、下北沢の430スタジオに向かった。メンバーはすでに音合わせを終え、レコーディングの準備に取りかかっていた。
「ごめんなさい、遅れてしまって」 こう言って駆け込むと、エクスタシーのスタッフは、「なにしてるんだよ。初めてのレコーディングだっていうのに。君はやる気があるのか」と大目玉を食らってしまった。
レコーディングが始まれば始まったで、俺のドラム、JIROのべースに対してエクスタシーの関係者の口から出る言葉は、「歌中心ね。歌中心だから、バックの音をちょっと低くしなきゃダメだよ」
何回音出しをしても、毎回、毎回、「それでは歌中心の曲に仕上がらないから」ということで録り直しになった。
GLAYにとって、音楽プロデューサーがついてのレコーディングというのはこの時が初めてだった。1曲、1曲、細かいサウンドのチェックがある。これまでのように演奏をがむしゃらに続ければいいということではなかった。
音に対するチェックが厳しい。「歌中心、歌中心ということをよく考えくれなければ」 スタジオ内にこの言葉が響く。
俺はジャパニーズ・メタル・サウンドから入っているだけに、どうもしっくりこない。HISASHIも、JIROも、TAKUROも、黙ってレコード会社のスタッフの言葉を信じて音を出し続ける。
そして、「灰とダイヤモンド」のレコーディングをどうにか終えた。
●俺は行かない
2月後半、ロスでのレコーディング出発の日程が正式に決まった。この時だ。エクスタシーの責任者から、「色々と考えてみたんだけど、今回のレコーディングは控えてくれないかな」 こう、会議室で言い渡された。
「それじゃあ、俺はいらないってことですか」 そう聞くと、会社の関係者は俺の目をしっかりと見据え、こう言った。
「そういうことになる。デビューしてから、色んなトラブルが起こっても困るからね。どうも君のやり方を見ていると、レコーディングといい打ち合わせといい、あまりいい方向に見えないんだよ」
売り言葉に買い言葉、それよりも男としてのケジメもある。俺もはっきりと返事をした。「わかりました。辞めます」
メンバーは、レコーディングのためにロスへ旅立っていった。出発の直前、メンバーの1人から「どうして行かないの?自腹切ってでもいいじゃない。ロスに行って一緒にレコーディングすれば、また話は違うほうに行くから」と誘われた。
正直言って、その言葉をもらった時はうれしかった。しかし、俺の性格的なものがそれをよしとはしなかった。「ダメなものに迎合して頭を下げる気はない」という自分の哲学が頭をもたげてきた。
俺は、「いや、俺は行かない。必要とされないんだったら行く必要もない」と答えた。
●進みたい方へ行けない
それから何日か経った。スタッフの女の子から電話が入った。「もしもし、あれ?AKIRA、なんで今東京にいるの?」
「うん、行かなかったんだよ。というか、俺、クビになったんだよ」と答えると、彼女は「えっ!?本当?どういうこと、それって・・・」と言って絶句し、とてもショックを受けたようだった。
俺も色々と複雑な気持ちでいた。エクスタシーレコードと契約すると、「これからはプロのバンドマンとして活動してもらうから、今までしてていた仕事は辞めてくれないか」と言われ、八王子のスタジオでの受付の仕事を辞めた。
それからまだ2カ月も経っていない。「このままGLAYのメンバーでいても、俺の進みたい方へは行けそうにない」とケジメをつけたつもりでいたが、やはり複雑だった。
俺がロス入りしてなかったことを聞いて、そのスタッフの女の子は、早速ロスにいるTAKUROのもとへ電話をかけたようだ。「どうしたの?AKIRA、抜けちゃったんだって?どうなってんの?」
こう言うと、TAKUROは黙ってしまったという。
⇒AKIRA、GLAYを脱退②
【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス」