GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 AKIRA、GLAYを脱退②

2009-09-15 | デビュー前




 空虚な日が続いた。何もする気が起こらない。2週間ほどすると、HISASHIから電話がかかってきた。

 「今、レコーディングを終えてロスから帰ってきたんだよ。ちょっと話ししたいんだけど」 HISASHIやJIROにロスのレコーディングのことも聞いてみたかった。断る理由もない。「いいよ。いつでもいいよ」


●メンバーとの話し合い

 HISASHIが言った。「AKIRAが辞めるっていうことを聞いたけど、俺たちなんか心残りなんだよ。おかしいよ、急にそんな話になるのは。会って話をしようよ。エクスタシーレコードの事務所でもいいかな」

 その言葉はうれしかった。HISASHIとJIROが指定した時間に事務所に行った。3人だけでミーティングルームに入った。HISASHIがこんな言葉を切り出した。

 「実は、ロスでAKIRAの件についてレコード会社のスタッフから、『上島はもう一緒にやっていくことができないから断ったよ』と言われた時に、TERUが『ちょっと待ってくださいよ。AKIRAって男は言えばわかるやつだし、今まで俺たちは一緒にやってきた仲間ですから、もう一度考えてください』と言って、話し合いを持ったんだよ。AKIRA自身はどうするつもり?」

 TERUもTAKUROも、俺の脱退に関してレコード会社の言い分に抵抗を示してくれた。その話を聞いた時、「こいつら、俺のことを仲間として認めてくれたんだ」と思い、熱いものが胸をよぎった。

 「じゃ、ちょっと考えさせてくれる?」 俺は、そう返事をした。それからいろいろと考えた。

 GLAYに参加した当初から、俺の中では「インディーズのバンドとしては日本で一番いい曲を持っているバンド」 そう自負できたし、TAKUROの織りなすメロディは、素晴らしいものがあった。

 「必ずこのバンドはブレイクする。日本一のバンドになるに違いない」 そんな自信もあった。GLAYに対する思い入れは、その当時から変わることばなかった。

 しかし、GLAYを『商品』と考え、自分たちの思うままに動かそうとするレコード会社の人間は、「俺たちが売っていくんだから、俺たちが売ってやるんだから」という態度をとる。

 確かに、ビジネス的に考えればレコード会社のリスクも大きいものがある。商品として考えるのも当然だ。

 バンドとそれを売るレコード会社との経済的な駆け引きや人間関係など、ひと言で言ってしまえば『大人の世界』というものは、それまで頓着しないで生きてきた俺には、かなりの抵抗があった。

 「上島明、はっきり考えろよ。メンバーもそう言ってくれるんだ。今、レコード会社側に頭を下げれば、GLAYのメンバーとしても残れるんだ。明、ちゃんと考えろよ」 自分の中でそんな言葉が去来した。


●バンド活動に終止符

 1日、2日、3日。そんな葛藤に悩みながらも、俺の中ではっきりと答えが出た。「自分がやりたいと思った音楽をすることが、おまえのミュージシャンとしての生きざまなんだろ」

 その言葉が、自然に頭に浮かんできた。再びHISASHIとJIROから電話があった。電話の向こうの声にこう答えた。「やっぱり俺、辞めるよ。違うバンド見つけてやるから、心配しないでよ」

 レコーディングの進行の関係でHISASHIとJIROよりロスから10日ほど遅れて帰ってきたTERUからも、さっそく電話がかかってきた。「AKIRA、おまえ辞めるなよ。絶対辞めちゃダメだよ。俺たちと一緒にやっていこうよ」

 TAKUROからは、なんの連絡もなかった。俺はTAKUROの人間性をよく知っていた。これまで一緒に活動してきただけに、バンドのリーダーシップを握っているTAKUROという男の人間性をよく理解していた。

 TAKUROも俺が「一緒にやりたい。今までみたいに一緒にやっていこうよ」と言えば、「AKIRA、一緒にやっていこうよ。これまでやってきたバンドじゃないか。GLAYのドラマーとして最後までがんばってよ」 そんな言葉が喉元まで出かかるのは明白だった。

 しかし、バンドのリーダーとしてリスクを背負い、一生懸命これから売り出そうとしてくれているレコード会社から、「あのドラムはやる気があるのかどうなのかわからない。もっと積極的ににバンドに溶け込むドラマーでないと途中で空中分解してしまうかもしれない。そうなったら、GLAYが損するだけだ」

 こう言われれば、リーダーとしてどっちの方向に舵を取るか。俺の家の電話番号にダイヤルしようとする指が、途中で止まってしまう。そんなTAKUROの姿が手に取るようにわかった。

 俺とGLAYの約2年間のバンド活動はこうして終止符を打った。しかし、今でも俺の中ではGLAYの存注が脈々と生き続けている。


●GLAYは最高のバンド

 「GLAYは、日本一いい曲を持ったバンド。絶対に日本一のバンドになる。プレイクする」 その予感が、それから3年もしないうちに見事、大当たりをした。

 99年3月。GLAYの東京ドームでの4DAYSライブ。新聞でその記事を目にしたとき、「やったな、おめでとう。TAKURO、TERU、HISASHI、JIRO。頑張ってくれよ。もっともっと頑張れよ」 思わず、こう叫んでしまった。

 かつて俺がGLAYのドラマーとして活躍していた時代を知っている友人は、「AKIRA、おまえ惜しいことしたよな。GLAYのメンバ-を抜けていなきゃ今ごろは億万長者だよ。ひと財産築けたろうにさ」

 そんな言葉をよく口にする。しかしそれは違う。人生は、自分の生き方、自分の目指した方向に進むもの。節々で自分の生き方を実践することが人生だと俺は思っている。

 TAKUROも、TERUも、HISASHIも、JIROも、自分たちの生きざまを実践し、今、ここにたどり着いた。

 俺、上島明は、自分なりに人生を歩み、今、ここを歩き続けている。結婚して子どももいる。この3月には2人目も生まれる。父親として、社会人として、これからも俺は力強く、そして自分に素直に生きていくつもりだ。

 2年間ではあったものの、GLAYのメンバーとともにに生き、音楽を求め、苦楽をともにした仲間の1人として、最後に言っておきたい言葉がある。「やっぱり、GLAYは最高のバンドだよ」

 これからも、がんばってほしい――。





【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス


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