一通りメンバーの紹介が終わった後、TAKUROが僕に聞いてきた。
「オバちゃん、俺たちと一緒にやってくれるよね。頼むよ」 僕は、メンバーの一人ひとりが滅多に口に出さないであろう、自分の家庭環境や生活環境などを語ってくれたことに感激した。
●一緒にやらせてよ
「僕を信頼してるからこそ、みんな、こういった話をしてくれたんだ。こんなに素直で、そして自分をさらけ出すメンバーだったら、バンド活動をやっていけそうだ」
こう思った僕は、その場で返事をした。「僕のほうこそ、頭を下げたい気持ちだよ。一緒にやらせてよ」
「わかった、オバちゃん。じゃあ、一緒にやろうよ。この場で決めちゃうからさ」 TAKUROは、スタジオの電話でエクスタシーレコードの担当者に電話を入れた。
「決まりました。ドラムが決まりましたよ。大庭くんと言って、俺たちと以前から知り合いのドラムなんですけど。すぐ来て、見てくれませんか」 エクスタシーレコードで、当時のGLAYの担当をしていたタカナシさんという方がすぐにやって来た。
この時、TAKUROが僕に出した注文は一つだった。「オバちゃん、ドラムとして、小川のせせらぎのように静かで軽やかな流れの中に激しさを取り入れる、そんなリズムを打ち出してほしいんだけど」
その時は、意味がわからなかった。「わかった。できる限り、それに沿った音を出すようにするよ」
僕はそう答えながらも、「GLAYの中で、AKIRAの叩いていたドラムのリズムを忠実に守っていこう。AKIRAのドラムのリズムを基本にいこう」と考えていた。
●メロディラインが素晴らしい
前からGLAYについては、「曲が素晴らしい。曲そのもので勝負すれば売れるバンドだ」と思っていた。実際、メンバーに加わってドラムを叩くと、「メロディラインが最高に素晴らしいバンドだ」と実感せずにいられなかった。
その間、GLAYは3月30日、市川CLUB GIO、そして4月3日にお茶の水日仏会館、4月25、26日と目黒鹿鳴館での2DAYSライブがあった。僕がGLAYのドラムをやることが決まったのが、4月20日過ぎだった。
4月25、26日の目黒鹿鳴館での2DAYSライブには、当然間に合わない。 「わかった。5月31日にある下北沢の『タウンホール』から、オバちゃん、叩いてよ。15曲ぐらい覚えてくれればいいからさ。お願いね」
この時は、まだ僕はGLAYのメンバーの一員として、正式にエクスタシーレコードと契約を交わしていなかった。レコード会社側からは、「とりあえずは何ヵ月か、君の音楽的な部分をじっくり見させて頂くから」 こう言われていた。
僕にとっても不満はなかった。「一生懸命やりますから、よろしくお願いします」 タカナシさんにそう頭を下げた。
【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス」