僕がGLAYと最後のステージを踏んだのは、4月2日、新宿『日清パワーステーション』での『SPEED POP STANDING GIG』のステージだった。
この日のライブは3月1日にリリースした1stアルバム『SPEED POP』の発売に合わせ、プロモーションを兼ねたコンサートの初日でもあった。しかし、僕の脱退ということもあり、このライブは急きょ、単発のライブに切り替えられた。
●葛藤のリハーサル
ライブ当日、楽屋に入ると、TAKUROも、TERUも、JIROも、HISASHIもすでにいた。
少なくともTAKUROとJIROには、「このままではやっていけない。ドラムをかえたい」はっきりこう言われた。TERUとHISASHIは、「オバちゃんとやっていきたいよ。どうして今ドラムをかえないといけないんだよ」 そう言ってくれた。その言葉は僕の頭の中にこびりついている。とてもじゃないが、JIROやTAKUROの顔を見ても言葉を交わす気にならない。
そんな僕を見て、TERUやHISASHIが僕に気を使ってくれているのがよくわかった。
リハーサルに入る。僕もプロだ。「このステージでもう終わりなんだ」 こう思うと、最後のステージくらいはきれいに飾りたかった。「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー」 僕のスティックが叩かれ、リハ―サルが開始される。音はいつものように進み、強烈なリズムで次々とGLAY独特のサウンドを叩き出していく。
僕はリハーサルをしながら、「どうしてだ。どうして俺が悪いんだよ。こんなにみんなと音も合っているのに。何が俺に足りないのか。本当のことが俺は知りたい」 頭の中に、そんな言葉が浮かんでは消えた。
最後までその思いは僕の頭を支配していた。関係者もそんなリハーサルの雰囲気を察知したようだ。何人かの音楽誌の記者が僕のところに来た。「どうしたの? 今日のGLAY、よそよそしいじゃない。なんか違うよ。どうしたの?ライブ前の打ち合わせで何かもめたの?」 なかなか鋭い指摘だった。
この日からサポートメンバーとして、キーボードのD.I.Eさんが参加していた。キーボードが入ったことで、確かにGLAYのサウンドに厚みが増していた。「自分たちの出せない音が見つかったら、その音が出せるメンバーを加える。GLAYの音は重厚でなくてはならない」 TAKUROのそんな意見で加わったキーボードのサポートメンバーだった。
●力いっぱいのドラムプレイ
幕が開いた。予定されている曲が次々に消化されていく。TERUのMCが会場に駆けつけたファンには心地よく聞えるようだ
「こんにちは、みなさん。俺たちのアルバム「SPEED POP」が3月1日リリースされたんです。みなさん買ってください。いい曲が入ってるから。俺たち、すごく自信持ってるアルバムなんですよ」場内は割れんばかりの拍手だ。そしてアンコール。『TWO BELL SILENCE』に続き、最後の曲『BURST』が始まる。
僕にとっては、GLAYと一緒に演奏できる本当に最後の曲になる。力いっぱいドラムを叩いた。全曲、どこもミスすることなくライブを終えることができた。
TAKUROとTERUはマイクを持ち、ファンに語りかけ始めた。「今日はみなさんにとって、ちょっと驚くような話があるんですけど、聞いてください。今まで僕たちをサウンド面でサポートし、GLAYのメンバーとして活躍してきたドラムのNOBUMASAが、このライブをもって、俺たちとは別々の道を歩み始めることになりました」
TAKUROとTERUの報告が終わると、僕は一目散に楽屋に駈け込んだ。知り合いの音楽記者が僕のところにやって来た。
「どうしたの? 僕はこれまでGLAYのドラムを何代も見てるけど、オバちゃんがGLAYのドラムとして一番合ってるように思うんだけど。音楽性のずれとかメンバーとのが何かあったの? 全然そうは見えないけどね。オバちゃんて、性格も爽やかで、GLAYのドラムとしては最高にマッチしてると思ってたんだよ」
僕もまったく同じ考えだった。言葉が出なかった。「うん。でも、もう辞めるってことになっちゃったし、それ以上のことを言ってもしょうがないんじゃない」僕はそう言って音楽記者を振りきった。
TERUもHISASHIも僕のことを心配そうに見つめている。TERUが僕のそばに寄ってきた。「オバちゃん、がんばれよ。俺、オバちゃんのドラムとしての腕すごく認めてるんだから。ほかのバンドに行っても、またしっかりがんばってよ。絶対にこのまま消えちゃうようなオバちゃんじゃないんだからさ」 こう声をかけてくれた。
HISASHIも、「絶対に遊びにきてよ。俺たち、まだミュージシャン仲間として色々なことを教えあったり、刺激しあったりしないといけないじゃない。俺たちもこんな形でのオバちゃんの脱退って胸が痛むっていうか、やりきれない思いなんだよ。わかってくれるよね」 そう言って僕の肩を叩いた。
●膨らむ疑問
TAKUROは、レコード会社の関係者にこんなことを言っていたようだ。
「自分たちの音は、絶対に大切にしないといけない。これからは、もっともっと大切にしていきたいと思ってるんだ。俺たちは自分たちのためにGLAYをやってるんだから。メンバーが何人かわろうと、そんなものに惑わされてはいけない。自分たちの音楽を信じていくしかない。これからもがんばりますよ」
僕はそのことを聞いたとき愕然とした。TAKUROが2つの人格を持っているとはとても思えない。あるときには笑い、あるときには怒り、曲を作りたくなれば1人で旅にでる。そんなTAKUROが言った言葉とはとても思えなかった。
それなら、僕に対しても正直に「オバちゃんのドラムは俺達のサウンドにはついてこれないよ」 一言そう言ってくれれば、僕も納得がいった。でも、「俺たち、急いでるんだよね。オバちゃんと一緒にやると3年かかるものが、オバちゃんが抜けて、新しいドラムにすれば1年でブレイクできるかもしれないんだ」 そんな抽象的な言葉で、僕はGLAYを脱退しなければならない。
そんなこと、僕には納得できなかった。「だったら、どうして全国ツアーが終わったとき、僕を正式なメンバーとして一緒にがんばっていこうなんて言ったんだよ」 この思いは膨らむばかりだった。僕は、GLAYから身を退くのに、自分の納得できる理由がほしかった。恨む気はない。ただミュージシャンとして自分がどのくらいの腕をもっているか。メンバーが僕のドラムのテクニックを認めてくれているのか。それだけが知りたかった。
僕に脱退を申し入れてきたとき、すでにTAKUROは新しいドラマーを決めていたようだ。4月22日からスタートした全国ツアー『SPEED POP GIG 95』のステージには、新しいサポートメンバーとしてドラムの永井利光が参加していた。
【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス」