GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 それぞれの正月三が日

2009-09-09 | デビュー初期




 この年は、1stアルバム『SPEED POP』の発売と、そのプロモーションをかねた『SPEED POP GIG '95』がスケジュールに入っていた。メンバーにとって、夢と希望に満ちた年だ。

 僕は1月1日、元日を迎えると、1人で家から車で20分ほどのところにある高尾山に初もうでに出向いた。


●ラッキーすぎる年

 94年は僕にとってラッキーすぎる年だった。プロのミュージシャンを目指していたとはいえ、名前の売れないバンドでドラムを叩いていた。そのバンドが解散をした。新たにドラムを叩けるバンドを捜していた。

 そんな時に飛び込んできたTAKUROからの「俺たちと一緒にやらない?」という誘い。TAKUROのこの言葉は、まるで幸福の女神から届いた福音のようにも聞こえた。

 メンバーに加わると、それから10日もしないうちに音楽の専門番組『ミュージックステーション』に出演を果たし、全国ツアーも回った。

 11月にはレコード会社からも認められ、「NOBUMASAくん、GLAYのメンバーとして認めるから、これから一生懸命がんばってくれないかな。」 そんなお墨付きももらって終えた94年だった。

 95年は僕にとっても、そしてGLAYのメンバー全員にとっても、夢と希望をもって臨む1年になるはずだった。僕はどちらかと言えば無神論者だ。神様も、仏様も存在自体、考えたことがない。

 しかし、現金なもので、この曰は神様にこんなお願いをした。「自分たちの力量が認められ、リリースされるシングルやアルバムがヒットチャートに登場するように。神様、お願いします。」

 帰る道すがら高尾山の稜線を越え、頭のてっぺんまで上った太陽がまぶしく見えた。高尾山から自宅まで歩いて40分ほどある。バスや電車にも乗らず、その道のりを心地よい足取りで歩いて家まで戻った。


●初めての充実した正月

 自宅の電話が鳴った。TAKUROからの電話だ。「オバちゃん、元気? 何してるの?」 TAKUROは郷里の函館に帰ったのかと思っていたが、東京にいたようだった。

 「うん、初もうでに行ってきたんだよ。今年はガンガンやらなきゃいけないじゃない。そんなことを祈願しに行ってきたんだ。」 こう言うとTAKUROが、こんな話をし出した。

 「俺、昨夜はまいっちゃったよ。大晦日だし、年越しそばでも食おうかと思って、材料を買いこんで、家に帰ってきて、そばをゆでたんだよね。ところがゆで上がって気がついたらさ、そばを食べる丼がないんだよ。」

 TAKUROのその言葉を聞いて、僕は前に一度遊びに行ったことのあるTAKUROの部屋の情景を想像してしまった。

 TAKUROの部屋はとにかくCDの山だ。ステレオ以外には、ほとんど物らしいものはない。コーヒーやお茶を飲むためのヤカンはあった。コーヒーカップもあった。しかし、丼はなかったかもしれない。

 「気がついたら、もう11時を回ってたんだよ。どうしたらいいかって考えてさ、近くにコンビニにおでんを入れてくれる発泡スチロールの丼をもらいに行ったんだよ。」

 「店員さんも結構人がいい子でさ、『年越しそばのそばをゆでていたんだけどさ、丼ないんだよ。一つ、丼くれないかなあ』って言ったら気持ちよくくれたんだ。それで年越しそばをようやく無事に食うことができたんだよ。」

 なんとも締まらない話だった。メンバーは、それぞれ思い思いの正月三が日を過ごしたようだ。

 TAKUROは、「本当に久々にゆっくりした正月を迎えたよ。こんなに精神的にも充実した正月は初めてだ。今年は1stアルバムのリリースも全国ツアーも決まってる。こんなに将来の展望の見える正月を迎えたのは初めてだよ。」

 こう言って喜んでいた。





【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス


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