GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 NOBUMASA、GLAYを脱退①

2009-09-09 | デビュー初期



 「オバちゃん、ちょっと相談があるんだけど。」 TAKUROから電話が入った。

 僕はこの電話を、これからのGLAYのバンドとしての活動の確認の相談かなと思った。レコード会社の会議室に行った。すると、TAKUROとJIROが沈痛な顔をして座っていた。僕は状況が飲み込めなかった。僕が正面に座りタバコに火をつけると、TAKUROが「俺たち、いろいろ考えたんだけど、このままではやっていけないと思うんだよね。」と話を切り出した。

 「レコード会社の方からも言われたんだけど、このままだと売れるまでに3年はかかる。でも、ドラムを変えれば1年で売れるっていう話も出されて。僕たちもそれなりに考えたんだ。」

 一瞬、何を言われているのかわからなかったが、次第にTAKUROの言った言葉が飲みこめてきた。「俺をクビにするっていう話が内々に進んでいたのか…。」 僕は、その場で初めてその事実を知った。愕然とした。何も口に出すことができない。黙っていた。「まあ、事情としてはそんなことなんだけど。」 2人ともそれだけ言うと、下を向いてしまった。

 しばらくすると、TAKUROとJIROが部屋から出ていった。八王子の実家に帰るため、電車に乗った。1時間以上乗った電車の中でのことを僕は全く覚えていない。


●あまりにも唐突

 その夜、TERUとHISASHIから電話があった。

 「実は、ドラムを変えるという話が持ち上がってるんだ。もう聞いたかもしれないけど、そういう話し合いがあるときにオバちゃん、絶対に『辞める』って言わないでよね。俺もHISASHIも、オバちゃんと一緒にやりたいし。このままでいいと思ってるんだよ。絶対だよ、絶対に辞めるなんて言わないでよ。レコード会社の言い分っておかしいよ。」

 僕はこの言葉がとてもうれしかった。でも、「オバちゃんとはもう一緒にやっていけないんだ。ドラムを変えないと、GLAYがブレイクするまで3年かかる。そんな時間を待っていられない。」 TAKUROのその申し出は、あまりにも唐突だった。

 GLAYのメンバーから、「これからは正式なメンバーとして、一緒にやっていこうよ。」 そう言われた時から、ある程度の安心感があったのは確かだ。安心感が出てしまうと、ミュージシャンとしては向上心を失ってしまうということも知っていた。それでも、シングルやアルバムがヒットチャートに載るようになり、「さあ、これからがんばろう。」と自分の全身に気合いを入れ、ドラムの練習に精を出す毎日だった。自分は自分なりに頑張ったつもりだ。

 しかし、人間を見る目、洞察力に優れたTAKUROは、「これでGLAYの正式メンバーになれたから、そこそこのことをしていればメジャーデビューして有名になれる。」という僕のそんな安易な心の内を見抜いたのかもしれない。


●俺たちは急いでいるんだ

 それにしても納得がいかない。「俺たちは急いでいるんだよ。」 そう言われても、何を急いでいるのかの説明はない。

 もちろん僕も一生懸命だ。少なくともTAKUROにしてみれば、「俺たちのメンバーとして認めたんだから、もっと向上心を持って飛躍してほしい。」 そういった期待はあったと思う。しかし、正月の初詣での自分の決心といい、僕の中では「今年はやってやる。絶対にブレイクするんだ。」という思いもあり、それなりに取り組んできたつもりだ。

 僕にとってみれば、3月1日の目黒鹿鳴館でのシークレットライブもそこそこのステージをこなしたという自信があった。

 心が揺れた。揺れ続けた。TAKUROは俺に何を言いたいんだろう。約1年間、行動をともにしてきた。TAKURO独特の意味を含んだ言葉もある。その言葉も、僕なりに理解しているつもりだった。でも、「オバちゃんとやればブレイクするのに3年かかる。俺たちにはそんな時間ないんだ。」というTAKUROの言葉はどう解釈すればいいのか、僕にはわからなかった。

 要するに、僕のドラムテクニックは認められなかったということなのか。それはそれでいい。だったら、1カ月間に及ぶ全国ツアーを終えた最終日の翌日、TAKUROから言った「俺たち、オバちゃんと一緒にやっていこうよ。オバちゃんはもう俺たちの仲間だよ。」という言葉は何だったのか。

 20回以上もGLAYとステージをこなしてきた。メンバーも僕のドラムの腕を認めてくれたからこそ、「一緒にやっていこう」と言ってくれたはずだ。僕は目の前が真っ暗になった。


●辞めてもらうしかない

 その何日か後、メンバー4人とレコード会社の事務所で会った。

 その席で、TAKUROがはっきり口にした。「このままではできない。悪いけど、オバちゃんには辞めてもらうしかないという結論なんだけど。」 レコード会社のスタッフもいたが、黙ったままだった。TAKUROのことだ。レコード会社の担当者から「このままドラムのNOBUMASAくんを置いても、GLAYとしてはブレイクできない。NOBUMASAを外し、新しいドラムを迎えようじゃないか。」と言われたのかもしれない。

 僕はTAKUROをはじめ、TERU、HISASHI、JIRO、全てのメンバーの人柄は熟知したと思っている。TAKUROが口にした「オバちゃん、このままではやっていけないんだ。GLAYは1年でブレイクしなければ消えてしまうかもしれない。悪いけど、辞めてくれないかな。」という言葉の裏には、きっと色々な諸事情があったに違いない。

 「オバちゃんにお願いしたのも俺だから、もしダメで切るんだったら、俺の口から言わせてくれないですか。」

 TAKUROがレコード会社のスタッフに、毅然とした態度でそう言っている姿が見えるようだった。TAKUROのバンドリーダーとしての資質を、僕は見抜いていた。TAKUROは僕に言い終わると、下を向き、両手を机の上で握りしめ、何かを耐えているように無言になった。机の上に1滴、2滴、涙が落ちた。泣いていた。

 「俺は過ちを繰り返しているんじゃないのか。よくわからない。俺のやってることは正いのかどうなのか、わからなくなってしまった。」 そう思っての涙だったのかもしれない。

 自分の口から、「うちのドラムをやってくれないか」と誘っておきながら、1年後にレコード会社のスタッフの意見もあったとはいえ、自分の口から、「辞めてほしい」と言わざるを得なくなった自分を責めているようにも見えた。GLAYのドラムは、これまで1、2年おきに次々に変わってきた。そんなことを繰り返していることに、GLAYというバンドを愛しているTAKUROは耐えきれなかったのかもしれない。

 「そう、わかった。だったら俺、辞めるよ。」 僕は立ち上がると、1人で事務所のドアを出た。





【記事引用】 「GLAY‐夜明けDaybreak/大庭伸公(デビュー初期のドラマー)・著/コアハウス


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