[里山環境保全みどり会] より、貴重な 〔山本大水害の写真〕 などを提供して戴きました。
今月のホームページには、それらの写真に加え、当時の復興工事により改修され、長年この地域を水害から守っている現在の河川を写真撮影して、編集を行ないました。
ホームページに掲載した写真のような “大水害惨事” を地域の方がどれほどご存知でしょうか?
水害の発生は大正15年、当時山本の人口は約1,100人、以後、84年間で、約13倍となり現在では約14,200人が暮らし、水害のあった地域には住宅、店舗などが立ち並び、広域の街に変貌しています。
この地域に大惨事があった証は、復興工事で築造された “三面石積みの西山本川” や “三谷川源流の砂防堤” などがわづかに残っているのみで、それ以外はほとんどありません。古くからこの地域に居住されておられる家でも、世代が変わり、惨状や復旧に尽力された先人のご苦労などの伝承が、とだえているように思われます。
今回掲載した“当時のリアルな写真”と “現在の河川写真” などで、 “山本大水害” の歴史をあらためて確認して戴けたと思います。
ホームページ閲覧の皆様方からも、この歴史を風化させない為に、現世代、次世代に伝承して頂ければ幸いです。
なお、来月は当時、山本村の村長で長年村政に励まれ、前述の復興工事にも心血を注がれた郷土の偉大な恩人 [瀬川卯一] 氏について、氏の 「顕彰碑」 をもとに紹介する予定です。
K,N
1月UPのホームページには [山本 平山八幡神社] に伝わる460年前の [棟札] を紹介しました。
昨年末、広島城において [広島湾頭をめぐる歴史群像] の企画展があり、同 [棟札] が展示される事になり社殿から持ち出され、その時、棟札に記載された墨字が赤外線カメラで撮影されて、あらためて書の記載内容が再確認されました。
[棟札]は社殿の屋根裏に固定されているので、取り外すのは大変厄介で、めったに外されることはなく、実物を見る機会はほとんどありません。そこで、今回が良い機会ですので、 “神社総代”並びに、同神社を兼務されている“安神社宮司”様に今回の企画展にあわせ写真撮影をさせてもらう事を依頼しました。
安神社宮司様から企画展終了後の返戻時、即座に、新装された明るい安神社の拝殿に持参くださり、撮影にご協力くださいました。
大変古いものですから、墨書が薄く、従って、写真の書は鮮明度を欠きましたが、HP閲覧者の皆様にはかえって歴史の深みを感じて戴けたのではないかと考えます。
ご支援下さいました“神社総代”、“安神社宮司”様にあらためてお礼申し上げます。
K,N