平安時代「流鏑馬の礼」を制定されたのは清和天皇の兄弟で、源姓を賜り臣籍降下した 源 能有(みなもと よしあり)公である、以後、源家を経て、武田家が相伝しそれを司っていたと伝わる。
また、武田家の中でも(甲斐 武田家ではなく)我が地を治めた「安芸 武田家」で長年相伝されたのである。滅亡後は熊本細川家に伝承された。
今日では熊本、鎌倉の地にある3団体がその「古式弓馬術」を継承している。
今年3月[武田流 流鏑馬]について以上のような事を「Web情報ステーション」に載せることを考え、親友M氏に伝えたところ、[武田流 流鏑馬]の役員をしている彼の親友S氏に情報伝達してくれた。そのご縁で、弓場故実礼法武田流[日本古式弓馬術協会(S氏)]から、「平成30年6月3日(日) 滋賀県大津市にある[近江神宮]で「流鏑馬神事」が行われる」ことの「連絡」と「招待」を頂き、実際に観覧する事が出来た。
[近江神宮]は 大津京駅からタクシーで5分の近距離。第38代天智天皇が祀られ、近江大津宮(大津京)跡にあり、広大な境内には多数の社殿がある歴史的な神社である。
「流鏑馬神事」は
1、12:30~13:00 「出陣」~「鏑矢奉献の儀」が≪内拝殿≫で。
★一般には非公開であるが、内拝殿に入れて頂いた。
2、13:00~13:15 天長地久の式・馬場行進≪正参道≫で
3、13:15~14:00 「騎射」・「凱陣の式」が≪正参道≫ で行われた。
★観覧には同協会の好意で“2の的”付近の特等席を用意し て頂いていた。感謝!
「騎射」は射手6名(内1名は女性) が何組かに分かれて正参道約200mに設置された1種目の「檜板を網代にあみその上に5色の輪が塗られた切り紙を張られた的」の1の的~3の的を目掛け疾走する馬上から 矢を射る。次に2種目は「中心に黒丸を塗られた檜製の板的」で同様に騎射された。3種目の的は「陶器」であった。3種の的中 2種目、3種目 は矢が的中すると割れて吹っ飛び迫力満点である。
高度な技量を持つ射手ではあるが、的への的中は全て当るとは限らず、非常に難しいものであることも実感した。
持参した「デジタルカメラ」と「ビデオカメラ」で今回の[流鏑馬神事]の模様を録画できた。悪戦苦闘しながら編集して本日HPに載せることができた。
不十分な映像ではありますが、[武田流 流鏑馬]神事の概要は知っていただけると思います。
今回の貴重な観覧が叶ったのも、いろいろとお世話くださった M氏 S氏 のおかげで、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
H 30,7,1 K,N