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今朝、つまり地震発生から3日目の10月2日になって、はじめてマンディ(水浴)し、服を着替えました。
飲み水は必要量も少なく、あまり心配ありませんが、トイレや洗いもの、マンディの水は飲み水の数十倍要るわけですから、確保をどうするか考えねばなりません。我が家の浴室の水槽の容量は100リットルに満たないし、満杯になっていたわけではないので、もう半分ほど。GENのワーキングツアーで行った大同で、水のない生活は知っているつもりですが、せいぜい2日分といったところでしょう。
近所では今のところ私のできることは少なそうだし、子守りばかりでは疲れきってしまいそうなので、デキのところへ行くことにしました。
これが正解だったようで、デキの家ではすでに電気が使えるようになっていて、テレビが点いています。アンコットも走っています。
テレビのニュースを見て、ようやくいろいろわかってきました。震源はパリアマン沖だったこと、アメリカのオバマ大統領もこの地震について声明を出すほど世界的なニュースになっていたこと、すでに日本を含め、各国からの救援隊がパダンに到着していたこと。被害の出ている地理的範囲、などなど。
すぐに自宅に携帯と充電器を取りに戻りました。急に視界が開けてきた気分です。まだつながりにくいけれど、携帯が生き返って、昨晩メールが来ていた、メダン領事館のトヤマさんにも連絡できました。
デキの家の近くには市場もあります。見に行くと、新しいものも入ってきているようです。道路沿いの商店も、可能なところは営業し始めています。
一つネックなのが、バイクのガソリンがほとんど底をついてきているそう。どこのガソリンスタンドも品薄で大行列のよう。デキの家のすぐ近くにも一つありますが、行列のせいで、前の道路までかなりの渋滞になっています。うまいタイミングで行っても、1時間待ちだとか。これでは、気軽に私の家との往復やその他のことに、バイクを使わしてもらうわけにはいきません。
ドナの実家はパイナンですが、仕事のため普段はパダンに住んでいます。デキは用事で出かけたし、バイクも使えないので、歩いても15分程度のドナの家に行ってみました。
ドナの家はひどく損壊していました。玄関の上が完全に崩れ落ちて、ドアが塞がっています。家自体は私の家よりひと回り小さいのですが、広い庭があるので、そこにテントを張っていました。
地震当日、パイナンからパダンに来ていて、17時のバスで帰ると言っていたアミも一緒でした。学生で、パダン市内の離れた所に住んでいる妹とその恋人も合流しています。
ドナの家の周辺も、我が家の近所同様、新しい家が多いけれど、壊れ方のひどいのが多いようです。その中で、古い木造の家は、どれもほとんど損傷なさそうです。
ドナの家に行く途中、ガソリンの小売りをしているところがありました。1リットルずつ、ペットボトルなどの容器に入れて売っています。
普段からパダンにはそういうのはあちこちにあって、ガソリンスタンドの値段(4500ルピア)にプラス500ルピアぐらいで売っていますが、今は3倍の1リットル15000ルピア。
非常時だし、いつ手に入るかわかりません。売れ行きはよさそうなので、迷ってる間にも売り切れるかもしれませんから、3リットル買って帰りました。多少高い買い物でも、必ず要るようになるものだし、無くて困るよりはいいと思ったのです。
ですが、デキの姉のユリは「なんでそんなに高いのを買ってきたんだ!?」と非難ごうごう。
私が一人でバイクに乗って動き回るのも危なっかしいし、何かと忙しくってガソリンも貴重な今は、いちいち送り迎えしたりも面倒だろうし、デキたちにその余裕がありません。
なので、今日はデキの家に泊まることになって、これを書いています。
以上で10月2日に手書きしたものは終わりです。次号からはもう少し時間がたってからのことになります。
飲み水は必要量も少なく、あまり心配ありませんが、トイレや洗いもの、マンディの水は飲み水の数十倍要るわけですから、確保をどうするか考えねばなりません。我が家の浴室の水槽の容量は100リットルに満たないし、満杯になっていたわけではないので、もう半分ほど。GENのワーキングツアーで行った大同で、水のない生活は知っているつもりですが、せいぜい2日分といったところでしょう。
近所では今のところ私のできることは少なそうだし、子守りばかりでは疲れきってしまいそうなので、デキのところへ行くことにしました。
これが正解だったようで、デキの家ではすでに電気が使えるようになっていて、テレビが点いています。アンコットも走っています。
テレビのニュースを見て、ようやくいろいろわかってきました。震源はパリアマン沖だったこと、アメリカのオバマ大統領もこの地震について声明を出すほど世界的なニュースになっていたこと、すでに日本を含め、各国からの救援隊がパダンに到着していたこと。被害の出ている地理的範囲、などなど。
すぐに自宅に携帯と充電器を取りに戻りました。急に視界が開けてきた気分です。まだつながりにくいけれど、携帯が生き返って、昨晩メールが来ていた、メダン領事館のトヤマさんにも連絡できました。
デキの家の近くには市場もあります。見に行くと、新しいものも入ってきているようです。道路沿いの商店も、可能なところは営業し始めています。
一つネックなのが、バイクのガソリンがほとんど底をついてきているそう。どこのガソリンスタンドも品薄で大行列のよう。デキの家のすぐ近くにも一つありますが、行列のせいで、前の道路までかなりの渋滞になっています。うまいタイミングで行っても、1時間待ちだとか。これでは、気軽に私の家との往復やその他のことに、バイクを使わしてもらうわけにはいきません。
ドナの実家はパイナンですが、仕事のため普段はパダンに住んでいます。デキは用事で出かけたし、バイクも使えないので、歩いても15分程度のドナの家に行ってみました。
ドナの家はひどく損壊していました。玄関の上が完全に崩れ落ちて、ドアが塞がっています。家自体は私の家よりひと回り小さいのですが、広い庭があるので、そこにテントを張っていました。
地震当日、パイナンからパダンに来ていて、17時のバスで帰ると言っていたアミも一緒でした。学生で、パダン市内の離れた所に住んでいる妹とその恋人も合流しています。
ドナの家の周辺も、我が家の近所同様、新しい家が多いけれど、壊れ方のひどいのが多いようです。その中で、古い木造の家は、どれもほとんど損傷なさそうです。
ドナの家に行く途中、ガソリンの小売りをしているところがありました。1リットルずつ、ペットボトルなどの容器に入れて売っています。
普段からパダンにはそういうのはあちこちにあって、ガソリンスタンドの値段(4500ルピア)にプラス500ルピアぐらいで売っていますが、今は3倍の1リットル15000ルピア。
非常時だし、いつ手に入るかわかりません。売れ行きはよさそうなので、迷ってる間にも売り切れるかもしれませんから、3リットル買って帰りました。多少高い買い物でも、必ず要るようになるものだし、無くて困るよりはいいと思ったのです。
ですが、デキの姉のユリは「なんでそんなに高いのを買ってきたんだ!?」と非難ごうごう。
私が一人でバイクに乗って動き回るのも危なっかしいし、何かと忙しくってガソリンも貴重な今は、いちいち送り迎えしたりも面倒だろうし、デキたちにその余裕がありません。
なので、今日はデキの家に泊まることになって、これを書いています。
以上で10月2日に手書きしたものは終わりです。次号からはもう少し時間がたってからのことになります。
今僕はYAMAHAという会社に勤めていて、バイクを作っています。インドネシアではHONDAと並んでがんばっているようで、他の地域が軒並み厳しい中稼ぎ頭です。バイク乗ってるの?
バイクは、自分では持ってないので、たまに借りて乗るぐらいです。普段は後ろに乗せてもらってます。
YAMAHAがジャカルタの近くで、中本信忠さんの技術指導を受けて緩速ろ過の浄水施設つくったのがあるそうですが、ご存じですか?