ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.22 パダンの震災(1)(09.10.02)

2009-10-13 15:48:48 | No.21~No.30
 以下は、9月30日の地震発生から2日後の10月2日に、ノートに手書きで書き留めておいたものです。ようやくPCが使えるようになったので、そのまま書き写してブログにアップします。
 ほぼ時系列に、思い出すまま書いたものなので、いつも以上にダラダラ、ぐちゃぐちゃですが、手書きしていたものそのままです。あくまで10月2日時点のこととして読んでください。


 この2日間の出来事を、だいたい時系列で思い出すまま書きます。まだ頭の中でまとめられないことも多いのです。
 9月30日の17時15分ごろ、地震発生時に、私はちょうどプロクラマトールの2階の教室で授業中でした。生徒は女の子2人だけ。
 生徒たちの方が一瞬早く揺れに気付いたでしょうか。2人ともぱっと教室から駆け出し、私も反射的に後に続きました。教室を出て、階段を駆け下りていく時には、すでに相当大きな地震だと理解できました。縦揺れは初期微動のはずですが、足の裏からガンガン突き上げられるような感覚がしました。階段を下りて行く時には、横揺れもあり、体が揺さぶられるようでした。壁や天井に溜まったホコリやごみか、砕けた破片でしょうか。頭の上から砂が降ってくるような感じもありました。

 建物の外まで走り出ると、前の交差点から向こうの道には、もうもうと砂煙が上がり、何台かのバイクが転倒しているのが見えました。すぐ隣にできたばかりのYAMAHAのきれいな建物の窓が割れ、ガラスが落ちていきます。プロクラマトールの壁にも大きなひびが入っています。
 揺れが収まって、アンコットで通っている私の生徒2人と、別のクラスのもう一人、藤井さん夫妻と私の計6人は、藤井さんの車で避難することになりました。
 生徒2人のカバンはまだ教室の中です。危険は承知で、教室に戻り、床に散らばったものをかき集め、カバン2つを持って再び外に出た時には、もう他の生徒や受付の子は戸締りして、すでに帰っていました。どうせ停電していては使えませんから、私のノートパソコンは事務所に置いて行くことにしました。
 プロクラマトールは海岸からわずか200mほどで、海岸の堤防が見えるような場所です。津波に襲われる可能性だってあるので、とにかく早く避難しなければなりません。周りはすでにパニック気味で、バイクや車に乗り合わせ、我先に、といった態です。
 
 中央市場の近く、プラザ・アンダラス(Plaza Andalas)という、パダン最大級のスーパーマーケットとショッピングプラザは、壁が崩れ、最上階のフードコートのある4階から火が出ています。
 そこからブミ・ミナンはじめ、多くのホテルが集まる地区を通りましたが、そのほとんどは大きく損壊し、火事になっているのもあります。また、1階部分がぺしゃんこになっているのもあり、阪神・淡路大震災の記憶と重なります。
 ここまでざっと見て、高さのある建物ほど被害が大きそうです。パダンでは、たいていは2階ぐらいまでで、4階以上の高さのある建物はそれほど多くないのです。
 さらに進んで、華僑の多く住む地域にも、黒煙が幾筋か上がっているのが見えました。瓦礫の直撃を受けたのでしょうか。崩れた建物の脇で、すでに亡くなってる人も車から見えました。
 道路は渋滞気味で、隣に通りかかった車は、フロントガラスが全面砕け、助手席に瓦礫を乗せていました。

 パダンの中心の繁華なところからちょっと離れたところで、走っている車の中でもわかる余震がありました。周囲に怒号が飛び交います。
 3人の生徒たちは、ずっと電話やメールを試みていましたが、ようやく1人、家族と話せたよう。カーラジオは全く入りません。
 中心地からは離れ、18時を過ぎて、辺りは暗くなってきています。地震発生から停電していますから、光はバイクと車のヘッドライト。家々には懐中電灯やロウソクが弱々しく点り始めています。この時、1週間ぐらいは停電を覚悟しなきゃならないだろうな、なんて考えていました。

 藤井さん宅に着いたのは、18時半ごろでしょうか。おつれ合いのお母さんと、生後半年の子供が待っていました。藤井さんの家は、外から見ると無事そうですが、中ではいろいろ物が壊れ、台所回りの壁や柱に大きなひびが入っています。勝手口の外側の塀は完全に倒れていました。
 家の中から食べ物・飲み物、寝具などを外に出し、食事にしましたが、こんな時にも、驚いたことに、お母さんと生徒の一人が礼拝を始めます。
 生徒のうち、2人は家も近く、迎えに来てもらえたので、帰宅しましたが、1人は学校からの方向も逆なので、一緒です。夜になって雨が降ってきたので、玄関入ってすぐの応接間を片付け、そこで一夜過ごしました。

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