この時期になると、どうしても「3.11」を思い出します。
今日の読売新聞朝刊も、見出しに「職のない古里 帰れぬ」という言葉が…。
なんとも悲しいことです。
「古里」に生きてきた人たちが、復興もすすまぬまま、職もなく、住宅ローンを抱えて、これから
どうやって生きていけ、というのか…。
古里を離れるのは仕方がないとしても、本当にほかに「安住の地」があるのか…。
考えるだけで、失礼ですが「憂鬱」な気持ちになります。
正直、自分だったらどうするんだろう、なんて考えるのもいやなくらいです。
「復興」という「未来志向」な言葉は全く意味がないような…。
新たな都市計画もけっこう、インフラの再生もけっこう…。
しかし、もっと「現在志向」というか、「現実志向」というか、せめて一年後の生活が見えるような
施策がとれないものなのか。
ぜいたくはできないでしょうが、家族5人がきちんと生きていけるような、直近の施策が必要です。
無駄な「生活保護」がたくさんあるなら、それを全部…というような…。
誰がどう考えたって、被災者に必要なことは、20年後の未来より明日ですよね。
もちろん長期の計画も大切なのはもちろんですが、その数倍「明日」の生活が大切なような気がするんですが…。
そして、先の暮らしの展望が見えれば、元気も出るような…。
間違ってますかね…。
早く安心して暮らせることをいつも思っています。
今日の読売新聞朝刊も、見出しに「職のない古里 帰れぬ」という言葉が…。
なんとも悲しいことです。
「古里」に生きてきた人たちが、復興もすすまぬまま、職もなく、住宅ローンを抱えて、これから
どうやって生きていけ、というのか…。
古里を離れるのは仕方がないとしても、本当にほかに「安住の地」があるのか…。
考えるだけで、失礼ですが「憂鬱」な気持ちになります。
正直、自分だったらどうするんだろう、なんて考えるのもいやなくらいです。
「復興」という「未来志向」な言葉は全く意味がないような…。
新たな都市計画もけっこう、インフラの再生もけっこう…。
しかし、もっと「現在志向」というか、「現実志向」というか、せめて一年後の生活が見えるような
施策がとれないものなのか。
ぜいたくはできないでしょうが、家族5人がきちんと生きていけるような、直近の施策が必要です。
無駄な「生活保護」がたくさんあるなら、それを全部…というような…。
誰がどう考えたって、被災者に必要なことは、20年後の未来より明日ですよね。
もちろん長期の計画も大切なのはもちろんですが、その数倍「明日」の生活が大切なような気がするんですが…。
そして、先の暮らしの展望が見えれば、元気も出るような…。
間違ってますかね…。
早く安心して暮らせることをいつも思っています。
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