物の改ざん結果と、本来を覚えているキーマンの立場が守られなくなっていることは、ひも付きのようです。
キーマンが忘れきってしまったり、社会的に死ぬくらいの目にあって 言っても無駄だと 発言の場がとれなかったら、改ざん(大嘘ごと)が幅をきかすことになるわけです。
戦後、年数だけでは80年を超えた・・・
必要な伝承は、さまたげられきってた・・・
歴史認識はついに、180度にまで変わってきてた・・・
とうぜん、
ちょっとやそっとでこんなことにはなりません。
私は現地証人となるため、訪れたところが思い返せば意外と多かった ・・この変則的な思い出し方は自分自身の嵐、荒波ごとと、無関係ではないし、完璧な記憶に保持するには、さまざまな障壁が待ち受けていて、並大抵ではなかったことを言わせてください。
記憶を物に残しても無駄だったことを、まったく教えられることなく目撃経験を作ったのも、安易に完璧を期すとかえってよくないという、それはそれは難しい事情(催眠術)があったことを、ご案内者の先方は すでに把握されていたのが、今になって自他のことの実感でわかります。
この記事で紹介します場所は、家族で訪れてはいますが、帰る間際まで、至福の体験でした。
以降、親が何か特別な方々から聞いていたらしい重要な任務を私があずかる事と、生の私とを、親が完全に乖離させていたのです。
不思議な面食らいごとです ;
理由が、親や妹に 疑心暗鬼やひがみな特徴があったようなだけのことではないと思いつつも、家庭内のことだからと、昔は具体的に外で話すこともしてきませんでした。
徐々に、顕著な類似特徴が増えるなか、他の人もの急変、物の具体的な異変や 被犯罪とも結びついたりと、催眠術 の存在が否応なしにわりだされてきたのでした。
家族が私に対して、人格そのものをとらえてくれていた感覚が持てた 最後くらいになる場所かもしれません。
どうやら現在までに、地名がわざわざ、飛び火結合しているようですが、その地は、
古来の 飛鳥の里 でした。
各記憶は多くは残ってはいませんが、
ご案内者が、満を持すように連れてこられた場所で、このように言われました。
「この景色を覚えておいて」…
とても開けた視界に広がったのは、
まさしく、
万葉集などで語られる ことば どおりの風景にして、
随一の美しい世界。
空気もちがって感じました。
これが本当のやまとなんだ!
しかし、「ここはもう少しでなくなってしまう。住んでいる人はいます。」
と、耳にはいるけれども、どきっとする気持ちをおさえて
何を言っているのか、そんな縁起でもないこと…と、耳を左から右へさせたけど、その日、別の場所(あまり説明できそうな記憶が残っていません。)でも言われてしまいます。そこよりはもう少し記憶部分があるその場所が コチラ
きのう、PC画にしてみました。
もちろん じっさいは、もっと広々としており、山の稜線など やはり見ながらでないとどうにも描けなくなってたりで、何百倍 何千倍と美しいながめです。
当時 現地で私が今一つはっきり気づきたくなかったことで、ご案内者がどうも意図していたのは、山の稜線を描くことで、地形を示されたかったのですが、これはごめんなさいです。
かわって、私の言葉で解説といたしましょう。
ご覧の通り、カラフルなのは、手前の民家のある里と、バックの山々の広がりとは、特段の距離があることを示します。
紀伊半島も奈良県は本来、三つの巨大な地溝があって、それぞれの山脈はいくつもの山が連なってできていました。
日本地図で起こってきているように、九州が縮小したり 下北半島など 各半島が細ったり短くなったり消えたり、人の往来が少なくなっている場所全体がとことん無くなっていびつバランスにまでなると気づく人も出てきますが、中腹が秘境だらけの山間部はとらえようがないから、景色との比較は必要だし、その景色自体、狙われているやまとの人々の心の故郷を表わす貴重な空間。
もう、やられる・・・
そう断じていた ご案内者の言葉に
やっと向きあっている現在の私です。
やまとは くにの まほろば
たなびく (やまやまを表す) 青垣
やまとし うるはし
過去の記録物は人間の手(地球上)からすっかり奪われました。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報は、必ず危険情報が含まれます。責任をもってうのみにせず、お取扱いは極力ご注意ください。
(憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 )
■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。
日本国憲法の発布 前までのじっさいの写真はごくわずかです。たとえば東京裁判といわれた時の撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10mほど手前の位置からです。
二・二六事件 の事実はこちら末文…見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
一貫性がとれていないような発生ごとや、似て非なる記事等とは 区別くださいますよう お願いします
史実のこと あいだの記事💧💧💧 正すポイント 末尾 追記
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