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音大のロビーにて ~Second Season~

自分の好きな音楽や、日々の雑感などを、気ままに書いていきます。ちなみに現役音大生です。現在更新停止中

「パクリ」について考える

2005年01月25日 | 音楽コラム集

パクリというのは音楽のみならず、芸術全般に常に付きまとう問題ですね。僕も一人の作り手としても、受け手としても、この問題については長い間考え続けてきました。パクリはなぜ駄目なのか、なぜ似た曲ができるのか、模倣はどこまで許されるのか、聴く側はそれらをどう受けとめていくべきか、などなど語るべきことがたくさんありすぎて、何から手をつけてよいのやら分かりませんが、それなりに筋を通して書けるように頑張ってみます。

まず、「なぜ似た曲ができるのか」について考えてみましょう。やはりここらへんは作曲家にしか分かり得ない問題でもあるため、存分に語ってみます。

よく言われることに、メロディーを作るときに「頭に残っていた音楽を無意識にオリジナルとして作ってしまった」というやつがありますね。はっきり言って、これは曲を作る上で絶対に避けられないかと思います。全ての音楽には基本的に、どこかにこういった部分が含まれているはずです。

作曲ていうものは、頭にパッと浮かんだものを形にするという場合もありますが、「作曲技術」の基本となるのは、自分がメロディーを作る時の方法論を確立することだと僕は考えます。つまり、自分が使いやすいコード進行やフレーズなどを蓄えて、自分なりの「メロディーのクセ」というものを掴むことで、偶発的な発想に頼らず、より安定してオリジナリティのあるメロディーが作れるようになる、ということです。

その証拠に、例えばスピッツなんかは、すごく個性的なメロディーを書きますよね。もちろん楽譜的には違うものではありますが、根本的な発想もとが同じなだけに、曲のカラーというか、醸し出す雰囲気に共通したものがあります。つまり「スピッツ的なメロディー」というものを作り出す方法論を、草野マサムネはしっかり確立しているということです。これは他のどのアーティストにも同じことが言えます。

そして、この「メロディー作りの方法論」を作り出すために、「他人の影響を受ける」ことが重要になってくるのです。例えば、つじあやのはスピッツの影響を受けているため、彼女のメロディーの中には、どこかに「スピッツ的なメロディー」の面影が残っています。が、彼女の場合それをしっかりと消化吸収して、「つじあやの的なメロディー」を確立しているため、それは単なる模倣には終わらず、新たなオリジナルとして完成できるのです。

つまり、この「新たなオリジナルを確立する」ことが、「模倣」とか「影響を受ける」ということで最も重要なことなのです。これはおそらく意識して行うことではなく、自分がオリジナルなものを作ろうとした時に、今まで聴いて蓄えてきたものが、ほっといても無意識に出てくるのでしょう。

しかしながら、聴いて明らかに「そっくり」と感じてしまう場合、これはまだ自分なりの作曲の方法論を確立しきっていないということになります。有名なところで、河口恭吾の「桜」は、徳永英明の「僕のそばに」のパクリであるという話があります。これもおそらく最初に言った「頭に残っていた音楽を無意識にオリジナルとして作ってしまった」のパターンであると考えられます。が、この場合「影響を受けた」ということだけで片付けるにはちょっと似すぎている。その上、「桜」が「僕のそばに」を食うほどの名曲かというと全然そんなこともなく、遥かに「僕のそばに」の方が名曲です。これは結局、河口恭吾の実力の無さが原因なんですよね。彼はまだ「河口恭吾的なメロディー」というオリジナリティーを確立しきっておらず、他人の影響を受けている段階に留まっているのでしょう。

彼の場合、「桜」を作ったときに「僕のそばに」に似ていることに事前に気付いて、CDとしてリリースことを踏みとどまるべきでした。というか、リリースしたあとに指摘されて気付いたのかもしれませんが、それでも何らかのコメントを発表するべきしょう。影響を受けたのは火を見るより明らかなんですから、それをしなかったのでは、リスナーに「パクリ」とみなされるのもやむなしと言えます。

ここで「パクリはなぜ駄目なのか」を考えてみますが、これは上の例でも分かるように「アーティストのオリジナルの表現として未熟であるから」ということです。しかし逆に似ていたとしても、その曲が元の曲に勝るとも劣らない良さがあれば、それは新たに「オリジナル」として認めることも有りだと僕は考えます。

例えば、ミスチルの名曲「Over」のサビは、KANの名曲「言えずのI Love You」のサビにそっくりです。この場合「何となく」のレベルではなく、よく聴くとかなりの似方なのですが、しかし、それで「Over」を否定できるかと言えば、とてもできないほどの名曲です。もとの曲に並べるだけの良さであるため、「言えずのI Love You」を知らない人が聴いても、また知っていても十分に感動させられるだけのパワーを「Over」は持っているので、これはKANの影響を受けて新たに生み出された「オリジナル」とみなせるでしょう。事実、僕も他人が指摘しているのを見るまでこのことに気付きませんでした。これと同じような例は数多いと思います。

そして、こういったことに気付いた場合に最も考えるべきことは、どれだけ似ているかということより、「もとの曲と比べても評価できるほど、模倣した曲は良さを持っているのか」ということでしょう。「似ているから駄目」というのは、やはり建設的な意見とは言えません。それがあくまで「芸術」であり「表現」である以上、独立した一つの楽曲としてまず評価し、その上で良し悪しを判別すべきと思います。

ギネスさんのおっしゃっていた、くるりのパクリ騒動については僕は詳しくは知らないのですが、くるりも確固たるオリジナリティを持ったアーティストなので、やはり「似ているから駄目」といって全てを否定するのは間違ってます。まあそれは、アンチくるりが貶める材料として利用してるだけだと思うので、そういうのは相手にする必要も無いでしょう。しかし、似ているのが事実なのであれば、やはり元の曲も聴いてみて、それとは違った良さをくるりの曲が持っているのかどうかを判断すべきでしょうね。そして、擁護するためでなく、また貶めるためでもなく、あくまで公平な目で見てほしいです。それでも露骨に似ているだけのものであったら、やはりそれはくるりであっても批難されるべきことだと思います。まあくるりほどの実力者なら、そうそう安易なパクリなどはしないと思いますが…。

…というわけで、長くなりましたがここらで筆を置こうかと思います。正直まだ言い足りないこともあるぐらいなので、またこのテーマについて書くかもしれません。「スピッツ的なメロディー」とか、ちょっと感覚的なことであるため、うまく伝わったかどうか不安ですが、もし疑問点等あれば質問して下さい。












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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ありがとうございます (ギネス)
2005-01-27 19:36:48
大変詳しい解説、ありがとうございました。

音楽を作ったこともない僕にとって、「なるほど」

と思える所がたくさんありました。特に「作曲方法」に関しての、音楽ができる仕組みが、よくわかりました。

やはり、音楽家の人たちというのは、それぞれ方法論を持っているんですね。「スピッツ的メロディー」っていうのも「イメージ」で分かります。それを確立するのは大変な努力だと思いますし、その確立されたものがオリジナリティなんですよね。そのオリジナリティの確立っていうのが、また難しいんでしょうね。



>>「似ているから駄目」というのは、やはり建設的な意見とは言えません



この言葉は大変同感しました。よく聴きもしないで、ただ批判ばかりすることは本当に薄っぺらい評価だと思いますし、一つの作品として評価するのは大事なことだと思います。それは、音楽の聴き手に求められていることですね。つくり手が影響をうけて新たなオリジナルを作ったというこを、聴き手側がきちんと評価しないきゃいけないなと痛感しました。



ちなみに、くるりの話なんですが、僕の説明不足でした。逆にくるりの曲がパクられたということで騒いでいる人がいるみたいなんですよ。くるりが安易なパクりをしないのは、勿論当然です(^_^)



今回は、勝手な要望ですいませんでした。でも、ジーニアスさんの考えが聞けて大変うれしかったです。

また、ちょくちょく見にくるつもりです。
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こんにちは (ジーニアス)
2005-01-28 20:43:54


どうやら共感してもらえたみたいでよかったです。頑張って長文書いた甲斐がありました。



まあ、僕はまだまだ未熟な作曲家見習いですけどね。「オリジナリティの確立」なんて、僕がそれを成し得るのはいつのことやら…。まあでも、いろいろと音楽聴いてると、それだけで分かってくる事もあるもんです。



>よく聴きもしないで、ただ批判ばかりすることは本当に薄っぺらい評価だと思いますし、一つの作品として評価するのは大事なことだと思います。



そうですね。僕がよく「自分の好き嫌いで判断するな!」っていうのは、こういう理由です。音楽でも何でもそうですが、やはり聴く側がしっかりと享受してこそ初めて芸術は成り立つわけで、そういう責任があるんだってことを、ちゃんと自覚しなくちゃなりません。そうしてこそ、音楽を聴いたことが自分自身の素養として蓄積されていくんだと僕は考えてます。



それと、パクられたのはくるりの側だったんですね。いや、僕もくるりみたいな癖の強いバンドがパクリっていうのはちょっとピンと来なかったんですが、そういうことでしたか。納得です。



では、これからどこまで続くか分かりませんが、毎日更新してるんで、これからもチェックしてみて下さい。
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