Club Duke

イタリアングレイハウンドのデュークなお散歩日記。姉猫マミも登場します。

大江戸透絵図

2006年03月15日 21時47分14秒 | ファミリー・ご先祖様

腸炎でこの3日間家に閉じこもっています。 原因は分かりません。 デュークの散歩も夜のpapaの担当だけ。  ということで、図書館から借りてきていた「千代田から江戸が見える 大江戸透絵図」に付いているCDでヒマにまかせて遊んでみました。 このソフトは、江戸時代の千代田区内の古地図(住んでいた人の名前が入っています)と現在の地図で構成されています。 画面上部に「江戸」と「東京」がラインの両端にあり、ライン上にあるボタンを動かすことにより江戸時代の地図になったり現在の地図になったりします。 ラインの真ん中では江戸の地図と現在の地図が重なって見えます。 縮小、拡大も出来ます。 「私が住んでいるところには、○○家の上屋敷があったのね。」 [あっ、○○ちゃんの家のあたりには江戸時代にはこういう人が住んでいたんだ。」 「大名の○○家の上屋敷はここにあったんだ。」 などなど・・・。 江戸時代の道路区画と現在のそれに変化があまりないことに驚きましたが、おかげで結構遊べました。

  

そのあと、「新宮町史」という現在の新宮町役場が30年ほど前に編纂した町の歴史書がありますので読んでみることにしました。 新宮というのは、姫路から電車で北に40分ほどのところです。 この資料は全7巻で、第6巻と第7巻は江戸時代で新宮池田藩の歴史についての説明が中心です。 頼方さんの名前を丸の内仲通りにある古地図で発見してから彼について調べてみたいと思い、この本を引っ張り出してきました。 やはり、ご先祖様の中では中心人物のようで、かなりのページ数をこの人のために使っています。 この本から池田播磨守頼方さんの業歴を見ますと、先ず最初に浦賀奉行になっているのが分かります。 アメリカ船モリソン号が初めて浦賀に来て世間が騒然となったときです。 浦賀奉行として海防にあたりました。 次に、奈良奉行、江戸に大火があり江戸城本丸が焼失した後に普請奉行、勘定奉行公事方にもなっています。 勘定奉行は天領を支配し、勝手方と公事方があり、勝手方が幕府の財政を公事方が訴訟裁判を担当していました。 講談で有名な国定忠治も頼方さんが裁き、関所破りの罪で「はりつけの刑」を下しています。 その後、江戸町奉行を三度、約11年間勤めています(これは大岡忠相や遠山の金さんよりずっと長く、町奉行としては最長らしい)。 その間に、大目付となり海防を担当しました。 大目付っていうのは、諸大名の監督・監察の役割をもっていたそうです。 安政の大獄の時期には、町奉行と勘定奉行公事方を兼務していて、尊皇攘夷を唱えて捕らえられ江戸に護送された人たちの裁判にもあったたそうです。 その中には、吉田松陰も含まれています。 先日のブログでは、松蔭の裁判に係わったと書きましたが、頼方さん自身が裁いちゃったようです。 要は、ペリーがアメリカから来て開国を迫り、世間が騒然としている中の井伊直弼による日米通商条約から安政の大獄のころに、江戸の行政・警察、司法、海防等を担当していたと言えます。 因みに、この人が最初に町奉行になった時、その前任者は桜吹雪の遠山の金さんだったそうです。 明治以降、私の身内からこんなに偉い人は出ていません。 papa頑張って。