箔屋町だより

-ギャラリーこちゅうきょオフィシャルブログ-

春分偶感

2019年03月21日 | ブログ

壺中居前の「サクラ通り」は、3月1日から両面通行となり、髙島屋SC様の南口タクシー乗り場も場所が変わりました。永年親しみ、かつは気軽に横断してきた習慣の変更を余儀なくされましたので、慣れるまで若干時間がかかりました。

それでも、昨日、名物の桜並木の一部が開花しましたので、春爛漫の気分をちょっとだけ早く実感しました。都心の開花宣言は今日あたりかと察します。月末が満開見ごろとのこと故に、私的な花見をボチボチ計画するこの頃です。

初旬のアートフェア東京(AFT)2019への出展から、疾風怒濤の日々となっています。

AFT2019は3.5日の会期中に、延べ6万人超の来場を記録し、大いに賑わいました。

当ギャラリーのブース、「三宅一樹-聖猫(しょうびょう)」展には、既知未知の紳士淑女が駆けつけてくださり、作家本人、企画担当のI君、スタッフ一同の面目が大いに立った次第です。真にもってありがたいことでした。

同展は3月18日(月)から3月30日(土)まで、会場を壺中居に移して、目下好評裡に開催中です。春分の今日、21日(木)は慣例を破り、祝日ですが、18:00まで開催いたします。AFT2019会場では「聖猫」シリーズから精選して展示しましたが、壺中居会場では、さらに最新の「神像」シリーズの力作群を第二の柱=ラインナップとして、ご用意いたしました。

担当のI君の研究と尽力の結果、緊張感と静謐とが絶妙に融合した好空間となったものかとみますし、主人公の三宅先生にもご納得いただけたかと拝察します。もちろん、三宅作品そのものが、深い精神性=内省を筆頭とする様々なメッセージを内包し、放射しますので、観ていて全く飽きることがありません。大変な力量かと唸るものです。

ぜひ、お繰り合わせいただき、ご来駕ご高覧を賜りますよう、改めてご案内を申し上げます。

※3月24日(日)は休業いたします。ご賢察ご宥恕のほど、お願いをいたします。

※また、HPで総特集を組みましたので、併せてご高覧ください。

4月下旬=25日(木)~27日(土)には、恒例の「東京アート&アンティーク2019」が開催され、目下、関連印刷物の配布に追われています。過去最多の参加店舗数となり、例年以上の盛り上がりが予想され、期待されます。

当ギャラリーでは、「次代の金工-金沢から」の題下に、金工作家の若きマエストロたち4人の競演の場を設けるべく、種々準備を進めております。

内容等、詳細につきましては、4月1日(月)に公開予定のHP総特集版をご参照いただければ幸甚です。

スタッフのO子と私儀の「ツープラトン」で諸事を担当いたします。ご期待くださいませ!

間隙を縫っての駄文執筆ですが、忙中閑あり、やはり自然体での読書を継続し、日頃の疲れと新知識への飢えを解消するこの頃です。

新春早々から、漢詩=中国詩の通読を専らにしていますが、『文選』と『中国名詩選』(いずれも岩波文庫版)とが、読了まで佳境を迎えつつあります。

私儀は韻文音痴と自認し、漢詩にはとりわけ大難儀するものですが、近年は自己流で通読し、ほんのわずかながらも、その妙味を体感する習慣がつき始めました。

今日も通勤途上の電車内で、晩唐の李商隠(811?-858)の名作群に接し、静かな感動感激に包まれては、新知識を得た悦びに浸りました。

まずは、原文をそのまま音読し、自己流で読み下す。次に訳者(今回は川合康三氏)の読み下し文を参照し、語釈に眼を通す。改めて、自分と訳者の読み下しを比較して、最終的には訳者のそれを再読玩味いたします。

自ずと時間と手間がかかりますが、この「作業」は慣れますと面白いことこのうえありません。

いずれ、年末に改めてご紹介し回顧することになるでしょうが、中国文学の泰斗・川合康三先生による読み下し、語釈、解説は実に有益で素晴らしく、あたかも、京大のゼミで精読をしている「錯覚」を覚えるほど、有益な読書体験となっています。

これから、サクラが漸次開花し、満開になるころも、しばらくは川合ゼミの「受講」を継続していることでしょう。

日ごろの疲れを癒す、最良の処方のひとつかと自覚します。(by kiyo)

 

 

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雨水偶感

2019年02月20日 | ブログ

昨2月19日(火)は二十四節気「雨水」でしたが、言葉通りに温かみのある雨に潤った都下の一日となりました。今年最接近した満月を拝めず、これは遺憾とはなりましたが、三寒四温がいよいよ実感を伴ってきたこと、素直に喜ぶべきことかと考えます。

先週末までの東京は、「六寒一温」か!とため息をつくほど寒冷が長引き、風邪と感冒が猛威を振るいました。小社内も例外ではなく、「明日は我が身…」と例年以上に警戒を強めた結果、心身ともに相当疲れました。当ブログも怠りがちとなり、慙愧に堪えませんが、一念発起(⁉)、相変わらず駄文悪文を綴ってみましょう。少しカビの生えた話になりますが、

「川瀬忍 作陶50年の間」展が、3月24日(日)まで、都下・虎ノ門の菊池寛実記念智美術館にて好評開催中なのですが、展覧会関連行事の一環で、

ナイトミュージアム「日本の”間“を体験する:地唄舞の会」が、2月9日(土)の夕べに当館にて開催され、私も奮発して参加鑑賞させていただきました。

主人公は「地唄舞神崎流」四世御家元の神崎えん先生で、地歌の名作「袖香爐」を舞われてから、川瀬忍先生との対談に移る二部構成で、総時間にして約一時間、大いに充実し、かつは楽しく参考になったひとときとなりました。

地唄舞とは本来無縁の私儀にも、神崎先生の気品の高く、厳しい御芸風はダイレクトに目に焼き付き、御演後も深い余韻に浸ったものです。国立劇場など、専門の劇場空間ではなく、美術館内の臨時即席の舞台でしたが、かえってお座敷で拝見するかのごとき、身近な距離感にして、神崎先生の息遣いまではっきりと感じました。これは相当贅沢な鑑賞会だと言えましょう。

第二部=対談では、永年の親友であられるお二人のお話がすこぶる面白く、時間延長も大歓迎すべきだったと素直に感じました。

実際、神崎先生には、壺中居と当ギャラリーにもしばしばご来駕されますので、私儀だけでも30年近い「お付き合い」になります。川瀬先生とは、それこそさらに永い年月のご交流なのですから、お互いの立場を尊重しつつ、お二人の秘話逸話が種々披露されました。私には初耳のエピソードもありまして、良い意味で驚いた瞬間もございました。

舞台上の神崎先生、ご制作中の川瀬先生は「厳しさと禁欲の権化」といえましょうが、仕事を離れて「普段着」のおふたりは共通して腰が低く、やさしく、誠実のかたまりにして、話題の引き出しを沢山お持ちです。私のごとき小僧さんにも常々、ごく親しく近しく接してくださいます。真にもって、忝く、ありがたく、貴いものです。

このイベントの当日は、生憎、久しぶりに早朝から降雪しまして、足元が大いに心配な開場時刻となりました。

それでも、厄介な積雪には至らず、かえって「袖香爐」の世界、雪の間から梅の香が、袖の間からは伽羅の香が漂い、聞こえてくるかとの錯覚を覚えました。天の配剤かくの如しか!と唸ったのは、列席者中で私だけだったでしょうか?

さて、今週末の2月24日(日)は、30年前、1989年の当日に執行された、昭和天皇陛下の「大喪の儀」に当ります。私はいまだに当時のことをありありと覚えています。朝からの氷雨がみぞれに変わり、果ては本格的な雪となりました。都下・阿佐ヶ谷での下宿時代に当ります。

それから30年経つとは!

田山花袋(1872-1930)の名著『回想録 東京の三十年』(1917)ではありませんが、私儀にも私なりの「東京の三十年」を歩んで参りました。

雨水の後の、温暖な今日、ボンヤリ駄文をひねくりながら、無数の体験に思いを馳せつつ、擱筆します。(by kiyo)

 

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初詣:広尾の美術館

2019年01月17日 | ブログ

寒のさなか、この時季本来のカラカラに乾いた好天のもと、都下では風邪・感冒・風疹が猛威を振るっています。それでも、肌寒さは厳冬のそれから春のそれへと変容して、日脚も少しづづ長くなり始めているとも感じます。相変わらず体調管理に気を付けたいものです。

ご譲位が確定して以後、巷では、何かと「平成最後の~」とうたい、昨年の流行語大賞に当然なるべきだったかと、ウンザリし、ため息が出る毎日です。

私見では、この「平成最後の~」は、今上天皇陛下と皇后陛下に対して、大いに非礼かとみるものです。全くもって軽佻浮薄、私儀は決して皇室礼賛家ではありませんが、少なからざる違和感を覚えるものです。

それにしても、5月1日の改元まで、穏やかで平和な平成時代が続き、有終の美となるよう、秘かに願います。

穏やかな陽光のもと、思い立って、都下・広尾に在る山種美術館に参りました。恥ずかしながら、「美術館博物館初詣」となります。

あたかも良し、特別展「皇室ゆかりの美術-宮殿を彩った日本画-」展の会期中で、当館が誇る日本画の名作、今回は皇居新宮殿に由縁の深い作品を基軸とした、3部立て構成の演出=展示に、ユックリジックリと鑑賞することが叶いました。実に良い、満足度の高い展覧会です。

渡辺省亭(1852-1918)による赤坂離宮のための円相風の下絵など、美術史建築史からみても貴重な資料は、実見する機がまずありませんので、これだけでも当館に来てよかったと悦びました。

出展作品の大部分が当館のコレクションですので、改めて、山種コレクションの層の厚さと質の高さに対して、最敬礼を惜しまぬものです。

この展覧会の会期は1月20日(日)までということもあってか、観覧者は想像以上に多く、(同館への無礼を覚えつつ)正直驚きました。展示内容の優秀さはもとより、昨今の皇室への関心の高まりが自ずと反映されているものと想像します。

因みに云う、山種美術館は開館以来、永年、日本橋兜町に在った旧山種証券本社社屋のなかに在り、弊社とは徒歩圏の隣町になりますので、実によく通ったものです。旧式のオフィスビルということで、制約が多かったことと拝察しますが、私的には頗る見やすく、居心地のよい美術館空間だったことも、また事実。その後、九段の仮美術館時代を経て、いまの広尾に移って今年が10年目の節目とのこと。当館の今後の発展を願ってやみません。

因みにまた云う、山種美術館と、六本木に在る泉屋博古館東京分館とは、コレクションからアイデンティティまで、全く相異質の性格なのですが、館内の空間と雰囲気が酷似しているとみるのは、我が気のせいでしょうか?この点でご教示をいただければ幸です。

その泉屋博古館東京分館にて、

「明治150年記念 華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る業と美-」展が、3月16日-5月10日の日程で開催されるとのことです。また、目白の学習院大学史料館でも、同タイトル下で、3月20日から5月18日まで特別展示がなされるとのこと、いわゆる2館共催の展覧会となります。

改元を跨いで、「平成最後の」展覧会のひとつとなり、反響反応も少なくないことかと想像します。

平和で穏やかな環境のもとに、足を運んで鑑賞したく、今から楽しみにしています。(by kiyo)

 

 

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自警録2019

2019年01月08日 | ブログ

グレゴリウス暦2019年、皇紀2679年、そして平成31年の元旦は、概ね穏やかで、初日の出=ご来迎を望めたエリアは相当多かったと聞きます。

寒に入ったこともあり、ここに寒中のお見舞いを兼ねまして、謹んで新年のお慶びを申し上げます。

壺中居と当ギャラリーは、昨7日(月)より、営業を再開しました。壺中居B1の展示ケースと、ギャラリー自体の展示を済ませましたが、昨年末のラインナップとはガラッと異なる内容にいたしました。ぜひ、ご来駕くださいませ。

昨年中の私儀個人の満足度、公私併せて、有形無形の収穫のそれは、プラスマイナス=若干のプラスだったかとみます。

今年も多方面から、陰徳を頂戴出来るよう、秘かに期待するのですが、やはり「セルフヘルプ」の精神を毎日忘れずに、孜々として努めたいものと存じます。

昨年暮れ方に、畏敬する秋葉生白先生に表敬訪問を試みました。

秋葉先生には、正に八面六臂のご活躍をされた旧年だったと、ご高話を伺ううちに自ずと理解得心出来ました。

話に花が咲きすぎて、覚えず、相当の長居となったこと、前例通りでした。そろそろ辞去しようかとする刹那に、同先生から、

「久しぶりに一筆進呈したいから、好きな言葉をひとつ聞かせてください。」との忝いお言葉です。

持ち前のズーズーしさから、実はこのありがたい瞬間を待ち構えていまして(!?)、私儀は即答して曰く、

「それでは、「良志久」とご染筆いただきたく、切に希望いたします。」

同先生は若干狼狽しつつ、「萬葉仮名にもこんな言葉はないぞ!良志久とは一体全体何ですか?」と、当然の疑問を抱かれますので、襟を正してご説明をいたしました。

1966年に初上映された『けんかえれじい』(日活)は、鈴木清順(1923-2017)が残した数多い映画作品中でも、印象度・感銘度が相当高い秀作で、ファンは少なくないとみます。

主人公・高橋英樹(1944-)が演じるバンカラ大将・南部麒六が、旧制岡山第二中学を放逐されて、旧制喜多方中学に転校し、校長室に呼び出されて、訓示を受けるシーンで、

校長先生が示す扁額「良志久」を、教頭のアヒル先生が「きみ、この言葉が読めますか?」と問いますと、主人公が「読めましぇん!」と即答するのです。校長先生が満足げにうなづき、「うん、これは「らしく」と読むんだ。男は男らしく、会津人は会津人らしく、喜多方中学生は喜多方中学生らしく生きねばならんど!」と主人公に説諭しますが、この場面は初めて観た瞬間に、我が心眼に焼き付き、今に至っております。

※教頭のアヒル先生が浜村純(1906-1995)、校長先生が玉川伊佐男(1922-2004)と、正に適材適所の名演技!。また私見では、高橋英樹の現時点までの最良の主演作品かとみるものです。

自分、すなわち、kiyoはkiyoらしく(良志久)、ギャラリーこちゅうきょはギャラリーこちゅうきょらしく(良志久)、この亥年のモットーとして「良志久」を胸中で熟成いたしたく存じます。

秋葉先生、このたびも丹精がこめられた自警=自戒の言葉をご染筆いただきまして、真にありがとうございます。大事にいたします。

皆さまには、改めて、今年もご教導を賜りますよう、謹んでお願いを申し上げます。(by kiyo)

 

 

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読書回顧2018

2018年12月28日 | ブログ

壺中居店舗前の「桜通り」と、ご近所のオンワード・ホールディングス社屋敷地の並木には、恒例のLEDイルミネーションが施され、日没後の日本橋界隈の「夜の名所」として、すっかり定着した感がございます。

3月末まで、壺中居2F応接間と当ギャラリーの窓際が、なかなかの「特等席」といって言い過ぎではありませんので、機会がございましたらば、是非いちどお立ち寄りください。

2年ぶりに私的な年賀状を、間隙を縫ってヒイヒイ言いながら認めていますが、喪中ハガキの場合とは雲泥の差です。やはり喪主にはなりたくないものだと、改めて実感しております。

幸いにも、今年は喪服を着る機会が例年以下でした。来る2019年=己亥も訃報に接することが多くないよう祈るばかりです。

加齢と視力の低下にともない、我が読書の分量は確実に漸次減少しています。それでも今年の「収穫」は悪くなく、図に乗って恒例の(⁉)我が読書の軌跡をたどってみましょう。全19種、計39冊中、特に忘れがたいものを選びました。例によって、順位はございません。

1.人見必大『本朝食鑑』、島田勇雄訳注、平凡社東洋文庫、全5冊

地元の古書肆にて、偶然に全巻揃えで購いました。著者(1642頃-1701)は江戸時代前期のひと、いわゆる本草学の大家で、本書は彼の代表作、しかも頗る付きの大著です。執筆当時の食材とその調理法を網羅していることだけでも圧巻ですが、本草家らしく、薬用方面での言及が精緻を極めていますので、まさに立派な学術書の観があります。現代社会が抱える食の安全問題と、食育問題にも、有益で新鮮な光明を注ぐ内容と言えますので、今後も読み継がれて欲しいものです。碩儒・島田先生の翻訳は、例によって平明で非常に読みやすく、各巻末に付された解説も読み応え大といえましょう。目下品切れとのことゆに、復刊を切に希望します。

2.野上豊一郎『謡曲選集 読む能の本』、岩波文庫

近年は活況を呈する能・能狂言界で、潜在するファンは相当のものと想像します。私には現時点まで縁の薄い世界ですが、文学としては年少期以来、ズッと関心を寄せています。ところが、この分野で文庫本等による、安価で便利なものがほぼ皆無かとみます。大いに残念な現況です。我が好奇心に対する最良のテキストが、臼川(きゅうせん)野上豊一郎(1883-1950)の本書で、岩波書店にとっても実に久しぶりの再版(初版は1935年)になります。数多い作品中から、バランス感覚抜群の選曲をしている編集方針に、まず拍手を送りたい。脚注も必要最小限に止めていますので、通読には却って親切だと感じます。これを機に、青少年にも入手しやすく、便利な形態の「謡曲集」と「能狂言集」が上梓されれば、大いに結構かと考えますが、いかがでしょうか?

3.マルコ・ポーロ『東方見聞録』、月林辰雄、久保田勝一訳、岩波文庫

あまりにも著名な本書には、既訳がいくつかあります。本書は国立パリ図書館蔵の原本をテキストにした完訳で、最新の研究成果が織り込まれた、内容豊富な上質の翻訳といえます。原本に掲載されたミニアチュール=挿絵が全葉付されていますので、大いに愉しく、感興が擽られました。翻訳態度も誠実で、平明な文体ですので、大変読みやすい。幅広い世代から愛読される資格が十二分にあると感じます。この種の歴史的旅行記で、既訳未訳の傑作、私の知らざるものがまだまだありますので、今後も注意しつつ、良書に出会いたく希望しています。

4.渡辺温『アンドロギュノスの裔(ちすじ)』、創元推理文庫

夭折した著者(1902-1930)が残した文業を探索して、丹念にまとめた本書は、実質的に『渡辺温全集』全1巻といえましょう。東京創元社の懐の深さを実感し、同社の快挙に敬意を表します。この種のジャンル、いわゆる「怪奇幻想文学」の範疇に収まり切らない著者の文才がまず素晴らしい!有名な『可哀相な姉』(1927年)の、冷酷かつは嫋嫋とした文体と内容、文学的香気は今読んでも新鮮そのもの、今回の再読でも大いに汲み取るものがありました。長生すれば、師匠の横溝正史(1902-1981)、或いは平井呈一(1902-1976)に匹敵するか、彼らを超える仕事をものしただろうとは、我が妄想とばかりとは言えないはずです。

5.ダンテ・アリギエーリ『神曲』、平川祐弘訳、河出文庫、全3冊

6.ジョバンニ・ボッカチオ『デカメロン』、平川祐弘訳、河出文庫、全3冊

『神曲』は山川丙三郎(1876-1947)と壽岳文章(1900-1992)訳に続き、通読に挑んだ3種目の翻訳ですが、この平川先生版が最良で最高峰でしょう。これを超えるものは今後現れまいと唸るほど、実に見事な翻訳事業だと信じます。トスカーナ語原典版によるものですので、信頼度は極めて高し。語学の天才にして、大碩学の平川先生の翻訳は晦渋とは全くの無縁で、平明かつは奥行の深い、立派なお仕事だと言い切れます。懇切丁寧にして、筋の通った訳注はともかく、各巻末に付された解説は、まとめてひとつの研究書として、別途上梓してもおかしくはないほど、有益なものです。ギュスターブ・ドレの挿絵が全点掲載されますので、美術史的観点からも興味深く、大いに参考になります。

『デカメロン』も同様で、やはりイタリア語原典版からの翻訳ですが、「語り物」としてのリズムと躍動感、当時の世俗感を再現しようとする孜々たる試みが、ごく自然体で現れていますので、あたかも最初から和文で書かれたものと錯覚するほどです。そのお蔭で、一気呵成に読破出来ました。

これだけ見事な訳業は滅多にないでしょう。さすがは平川先生!と敬意をこめて大拍手を送るものです。

7.『郭沫若自伝』、小野忍、丸山昇訳、平凡社東洋文庫、全6冊

郭沫若(1892-1978)の評価はまだ定説が無いようですので、彼の実像の研究には、本書が今後も不可欠なものだとは、容易に想像されます。革命家、文学者、歴史家、政治家と複雑なキャリアと「顔」を併せ持つ彼の自叙伝は、流石に文学としても読めて、大いに興味深く読了出来ました。我が国にも由縁が浅くなく、先般ご紹介しましたが、千葉県市川市に彼の旧居が記念館として機能しています。彼の日本滞在時代の記述にはとりわけ親近感を抱きました。それが帰国~抗日戦の記述に推移して、自ずと日中の暗黒時代、ちょっと昔の歴史が手に取るごとく活写されています。ひとりの中国人知識人が見た同時代史ですので、この方面でも今後重宝されるでしょう。

8.周作人『周作人読書雑記』、中島長文訳、平凡社東洋文庫、全5冊

周作人(1885-1967)の長兄は周樹人(1881-1936)=魯迅、弟が周建人(1888-1984)であることは有名ですが、実際、周作人の人物像と業績は、一般的には知られていないかとみます。私も『日本談議集』(木山英雄訳、平凡社東洋文庫)に出会うまで、彼に関する知識は皆無でした。そのなか、本書が上梓されて、作人の膨大な仕事の一端に触れる好機となり、大いに興味深く通読しました。中島先生による解説は読み応え大で、「周作人論」の秀作だとみます。上記の郭沫若に匹敵する、複雑で謎に満ちた人間だと知り、日本でも作人研究が今後大いに進むことかと期待します。それよりもなによりも、作人の読書記録そのもの、その分量の大きさと、ジャンルの広さに圧倒されない向きは皆無かと存じます。まさに圧巻、壮観です。私は読書人の端くれを自任していましたが、全く彼の足下に及ばぬと自認し、猛省するこの頃です…。

9.佐藤志乃『バンカラの時代 大観、未醒らと日本画成立の背景』、人文書院

東京美術学校と日本美術院の黎明期を背景に、横山大観(1868-1958)、小杉未醒(放庵1881-1964)を中心とした日本画の巨匠たちの青春時代を、風俗史・社会史的観点と民俗学的観点から光を当てて、活写した、ユニークな美術史書といえましょう。いや、美術史書の枠内にとどまらない、柔軟で鋭敏な筆さばきに大溜飲が下がるものです。バンカラとハイカラという言葉の持つ意味と、画家の精神構造と行動パターンを、そしてそれが画業に及ぼした働きとを、膨大な資料を渉猟して考察する過程が面白く、スリリングでもあります。近年に手に取った美術史書の新刊には無い本書の性格は、「考現学」を創成した今和次郎(1888-1973)の仕事を髣髴するものがあるとみました。今後この方面でも、本書のごとき、独特の視点から考察した研究書が現れることを希望いたします。

今年も公私ともに、大いにご教導ご芳情ご陰徳を賜りました。感謝の言葉が見つかりませんが、心から深く厚く御礼を申し上げます。

良い歳をお迎えください。(by kiyo)

※2018年12月29日(土)-2019年1月6日(日)の日程で、休業いたします。ご不便ご不快をお掛けしますが、

ご賢察ご宥恕を賜りますよう、お願いをいたします  再拝。

 

 

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