箔屋町だより

-ギャラリーこちゅうきょオフィシャルブログ-

ばいもの花咲く頃

2018年03月28日 | 

皆さま こんにちは

「ばいも」の花咲く頃となりました。

世間では桜の花見がにぎわっていますが、桜以外にも花の見頃が次々とやって参りました。

「ばいも」は貝母と書くのですが、なぜ「貝の母」なんだろうという疑問がようやく解けました。

釣鐘状の花の形状ではなく球根の形状から名付けられたそうで、クルっと丸い貝が二枚向き合ったような形をしているとの事。

母なる球根が貝みたいなので「貝の母」となるんですね。

なるほど~

名付けた人の感性の深さに思わず唸ってしまいました。

貝母を下さいましたK先生の奥様、ありがとうございます。

とてもキレイに咲いて楽しませて頂いております。

O子

鉄花器/坂井直樹


早春のにぎわい

2017年01月19日 | 

2017年、新たな年がスタートいたしました。

ブログのサボり癖もすっかり板についてしまいましたが、本年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、寒風に身も縮む毎日ではありますが、このたび新春にふさわしいお写真を頂きました。

華道の造詣も深くて、時折お越し頂いては場を明るくして下さるKさま。

昨年の林秀行・慶一展にてお求め頂いた陶筥を可愛らしく花器に見立ててお使いになられていました。

 林慶一作 青白磁陶筥 林慶一作 青白磁陶筥

咲き切った故に使われなくなった短い花の部分を頂かれたとの事。

水仙の愛らしさが柔らかな印象の器によって一段と引き立ち、取り合わせの妙味を感じます。

花を活かそう、器を活かそう、そして花を楽しもうというお気持ちからの創意工夫と自由な発想が、水仙と陶筥に新たな活躍の場を生み出されたのですね。

活けられた水仙の表情は明るく健康的で、子供達が賑やかに集っているみたい。

閑寂な冬の風景の中にそこだけ早春の息吹が溢れているようでした。

Kさま、ステキなお写真ありがとうございました。

O子


つぼみを生ける

2015年01月22日 | 

梅の枝を扱うと必ず落ちる小さなつぼみ。
まるで枝から見放されたかのようにコロコロとあっさり落ちる。
そうっと扱っていれば、居るべき場所で花を咲かせていたかと思うと少々罪悪感。
罪滅ぼしの気持ちから一粒一粒拾い集め、小皿に浮かべてみる。
意味がないか…と思いつつ。
しかし翌日、つぼみがふっくらと開いていた。

捨てなくて良かった。

花を生かして、これも生け花。   O子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


偲ぶ花

2013年12月19日 | 

今年も残すところわずかとなりました。

年の瀬を迎えるにあたり心に残る出来事を振り返る方も多いと思います。

僭越ながら私事を申し上げますと

この秋の初め、近しくご縁あった方がお亡くなりになり、悲しみと残念な思いの中、内々の偲ぶ会にて献花を活ける事がありました。

二十代に縁あって華道流派に入門し、現在もいろいろなシーンでお花を活けますが、その多くは仕事がら展覧会などで作品に花を添える事であったり自宅で花のある空間を楽しんだりといったもので、言うなれば仕事の一環であり自分のためであり、私にとって花を活けるとはそういう感覚のものでした。

献花は故人に捧げる花という意味で今まで活けてきたどの挿花とも違いました。初めて自分のためでも不特定の人のためでもない“その人のために花を活ける事”そして “空間を彩るためでない花を活ける事”を経験した次第です。 

故人を偲ぶ事はもちろん、集まった方々の心を慰める花となれたかどうか自分では判断が下せませんが、その方がもしこの花をご覧になっていたら喜んで下さるだろうかという思いを基準に、きれいに花が入ったか否かの問題ではなく、自分なりに悼み弔いの気持ちを表そうと考えていた事を思い出します。

野山の花がお好きな事を知ったのは亡くなられてからで、高い美意識と形式的なものに囚われないご自身のスタイルをお持ちでした。

「花を活ける」という意味を表面的なものでしか考えてこなかった私に、今までのどの挿花よりも大きな事を教えてくれたように思います。

この役目を与えて下さった方々にこの場を借りて感謝申し上げます。

そして 改めて故人へのご冥福を心よりお祈りいたします。 

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O子

 


挿花日記/秋草

2013年10月03日 | 

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10月を迎え、秋の訪れをあちらこちらで感じるようになりました。

差し込む陽も穏やかになって、少し長くなった影やしっとりと漂う空気に秋への変化を感じさせられます。

 

今ごろ山里の野辺に行けば万葉集に収められた山上憶良の歌、

「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七草の花」

といった情景が広がっているのかもしれませんね。

 

そんな野辺の情景をいけばなとして持ってこれたら素敵なのですが、その" さり気なさ" がムズカシイ・・・

力量の話はさておき、来たる秋を少し楽しんで頂けたら幸いです。

O子

 

器:山田和 作 線刻掛花入

花:吾亦紅、藤袴

 


蓮の花

2013年09月19日 | 

毎年夏になると実家の庭先で蓮が花を咲かせます。

あまり早起きでない私は、未だ明け方の美しい咲き始めを見る事が出来ません。

朝早くに蕾を開かせ、太陽が昇りきった頃には花びらを閉じてしまうこの花は、清澄な空気の中でしか人目に触れないようにしているのでしょうか。

花の開閉を繰り返し、たった4日ほどで蓮弁が散っていく様子は儚さを感じると同時に、散りゆく美しさも感じます。

宗達によって描かれた「蓮下絵和歌巻」の蓮もそんな儚さと美しさを紙上に留めようとしたのかもしれません。

 

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仏教では最も尊ばれる花ですが、泥中の蓮というストイックな精神の象徴よりも、私としては安息と救済の花だと言われた方がしっくりくるのです。

蓮の花を眺めていると、なぜか他の花では感じない安らぎと幸せな気分になります。

最も尊ばれる理由はこれだと勝手に思い込んでいます。 O子


挿花日記/小さきものへ

2013年07月25日 | 

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自宅で愛用している小さな小さな器があります。

手のひらにコロンと納まるその器は、石田誠さんの手によるものです。

健康的な白い肌に明るいブルーを帯びた石田デルフトは、幼く見上げてくる稚児のような花が似合うようです。

いつも傍らで仲よく花と佇んでいます。  O子

 

器:石田誠作 紅毛小瓶

花:千日紅


花のかほり

2013年07月04日 | 

自宅近くを歩いていると、鼻先にふと花の匂いがしました。

覚えのある香りに周囲を見渡すと・・・やはり。

一軒のお宅の垣根越しに、真っ白なくちなしの花が咲いていました。

 

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私の住む町は庭に花木を植えるお宅が多くて、季節を通じてこのような経験をします。

春の沈丁花にはじまり、初夏のくちなし、秋の金木犀

いずれも存在を知らせるかのように芳香を放っています。

 

五感の中で 嗅覚は最も記憶と結びつく感覚なんだそうですが、

私にとって花の香りと言えば沈丁花で、子供時分の無邪気な思い出がリンクします。

実家の庭先に咲くあのコロンとした花珠を、こっそり切り取っては掌で転がしたり、鼻に押し当てたり。

何か特別なタカラモノでも手に入れたかのようにご機嫌に遊ぶのですが、その内に鼻が疲れて放置するのがいつもの結末でした。 

 

不意に出会う花の香りはなかなかステキなものです。

みなさんも遠い記憶が甦ってくるかもしれませんね。  O子