花村ようかんのブログ

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ライブ情報、こぼればなし

十穴のアナ「1か0の楽器」

2020-02-29 | 教室

「あなたは本当にハーモニカが好きなんですね」

「ハーモニカのことばかり考えてるのですか?」

という旨の言葉をいただくことがあります

こんな小風呂敷を拡げた手前、
仕方ないとは思いますが

「できればなるべく10ホールズは見たくもない」
というのが、
大方の本心です

そして
「見たくもないからこそ、その周囲を拡大して見よう」
とも、思います

「嫌やったらやめればエエやん」

~これはもっともですが、
楽器は棒や石ころのような物ではなく、
たとえ手にしていなくても、
関係は続くものだと思います

だから皆さんも、
悩みながら、
イヤイヤやる期間も、
アリ、
にしましょう



とはいえ、
10ホールズは、
間違いなく、
楽しい楽器です

しかし、
この楽しさこそが、
継続を妨げる、
根の深いボトルネックになりえる、
というハナシです


10ホールズ奏者が、
演奏のあと、
必要以上に共演者に握手を求めたり、
必要以上に頭を下げているのを目にされたことはありますか

「そら、感謝は大切だろ」
といわれれば、
それまでですが

私の見立てでは、
10ホールズ奏者が、
共演者を労い、
握手を求める回数は、
他の楽器奏者より、
弱冠多い

平均して他の楽器奏者の
「2割増し」
と、にらんでますね、多分

その心情を、
一言でいうと
「もし私だけ楽しんじゃってたら、なんか申しわけない、問題」

あるいは

「やっぱり、実演は稽古より楽しかった、イヤになって、なんかすみませんでした、問題」
と呼ぶことにします



この楽器は、
大部分を口の中に入れて呼吸で演奏します


直感的な演奏が可能な分、
楽しさに至るまでのプロセスが極端に少ない

それこそ
「ンダ~」
と、かるく鳴らすだけでも、
かなりの満足度得られることもあります

そうして出た音は、
音程や楽曲云々より、
音楽に血や息吹を与える効果をもたらしていると確信しています

続けます


さっきは
「楽しさがボトルネックになる」
と書きました

問題は、
気分の移り変わりです
プロセスが少ない分、
気分がのっていないと、
てきめんに演奏が難しくなる

そんなときは
「ンダ~」も
重い

?こいつは特別な楽しさのシワ寄せかもしれない


~オテテのシワとシワと合わせて、シワヨセ~




技巧派、テクニシャン、
と呼ばれている奏者の場合は、
基礎とセオリーで、
華麗に走り抜けはりますが、実際はどうだろうか?


さて、
ひとつの楽器の価値は、
参加可能な音楽の数では決まりません
よね

ブルーズやカントリーでは、
最大限に機能している10ホールズですが、
ジャンル問わず、オールラウンドに活動するのは、
スタートの時点で、
結局、滅茶苦茶アクロバティックなことをしなければいけません

歌謡曲はどうか?

 

現状を冷静にみれば、
明らかではないでしょうか?

さらに、
生々しさが出る分、
「人間不在の音楽」も
難しい

お芝居でいうところの
「木や石の役」です



にも関わらず、
この10穴は、
滅茶苦茶お手軽なのです


全長約10センチに3オクターブですよ

「ナニコレ、ナンジャコリャー」
です


「どんどん参加しろよ、イケヨ」
と、楽器の内なる声が聞こえそうです





特徴を理解するには、
繊細な分析と、
大胆な一般化の、
両面で考えるのがよいと思います

まさに微分積分です


大分削りましたが、
長くなりましたので、
シリーズにします


今回は、
ややネガティブな面を取り上げました

次回は、
そこから改めて見えてくる魅力についてです

そのあと、
趣味や教室で楽しんでおられる方に向けて、
いま私が考えていることに触れる予定です

以上です


☆5月は、
ヤバイ発表会もありますし
前向きにいきます

 


小さなショー

2020-02-19 | 教室
「大は小をかねる」
といいます

言い替えると
「小は大にかねられる」

むりくり変換すれば
「小は大に住める」

~狭いながらも、楽しい、わが家~



ミロクヨウカンは、
小から演奏を考えます

「マズハ、小ヲ、知ルベシ」
と、利休が書いたかどうかはわかりませんが、

このコンビなら、
茶室でも演奏可能です

とりあえず二人立てる面積があれば、
演奏可能

一人しか立てない空間なら、
肩車です

もちろん広い場所なら
歩き回りながら演奏です




「日曜日のミロクヨウカンのリハーサルはどうだった?」

などと、興味をお持ちの皆さん
ありがとうございます


予想した通り、
一言ではいえない稽古でした

「ミロクヨウカン」は、
10ホールズのオーソドックスな音の組み合わせと、
ちょっとした新感覚要素のある音楽です

構想は古いです
ミロクヨウカンの前身は、
山田直之さんとの
「十穴人」

山田直之さんは、
とにかくテクニカルで、
何をやってもエレガントな奏者でした


一方、
カトウミロクさんは、
いわゆるオールラウンドプレイヤーではありません


カトウさんは、
ブルースハープのシンプルな旨味を、ひたすら煮詰めあげた鉄人です


つまり
「上手い」演奏家というより、
「旨い」演奏家といえるかもしれません

私も
「音階と拍子さえ合ば、何でもできる」
などとは、つゆにも思っていません


それで、
結局のところ、
日曜日のリハーサルの内容は
私からは、ちょっといえない

二人でひたすら音を出して考えていたので、
気の効いたエピソードも特にありません

「カステラを食べながら、演奏してはったのが、面白かった」
くらいです




どんな内容か知りたい方は、
カトウミロク氏のリークに期待して下さい

でも、
氏もきっと一言ではいえないと思う



次回のリハーサルは来月

心配か好奇心かで連絡していただいたお友達、ありがとう
おれたち、大丈夫でした

ライブは
第一弾のセットリストが出来次第

皆さん
その節は
宜しくお願いします


今日は以上です

ミクロ、マクロ、ミロク

2020-02-13 | 教室

「結局、細胞の中には、宇宙があった」~ミクロコスモス

「結局、宇宙は、細胞の一部分だった」~マクロコスモス


いずれも、
古くからあるSFの「鉄板ネタ」
です

私は総称して
「コスもの」
と、呼んでいます


私の知る限りでは、
ミクロ、マクロ
どちらが舞台でも、
終盤までは、どちらかで一方で進行し、
結末で、やっとひっくり返るパターンになる場合が多い
だって、それやると、もう終わるしかないし


タイムトラベルものと違い、
コスもののストーリーは、
イメージをヒントにロジカルに捉えるので、
視覚的に理解する映像作品より、
文章に向いている題材のようだ

数学用語をつかうと、
ミクロコスモスは、微分的
マクロコスモスは、積分的
ともいえる

数学の問題のように、
物語のストーリーも、微分と積分は、曖昧にせず、

はっきり区別して書かれている

人間の意識下では、
微分と積分を同時にイメージするのは難しいからだと思う


箱のなかにどれだけの物が入るかを考える「微分思考派」

箱の外にどれだけの物を積み上げられるかを考える「積分思考派」

皆さんはどちらの傾向がありますか?

もしかしたら
「森羅万象、同じように見渡すようにしている」
という、弥勒菩薩のような悟りの境地を目指している方もいるかもしれない



単なる
「大、小」や「質、量」ではなく
「微分積分」というわけは、
サイズだけでなく、
考える方向性も示している言葉だからです


もう皆から、
とっくに笑われてるかも知れませんが、
最後に良いクイズをだしますから、
もう少し、お付き合い下さい

続けます


「部品の強度」を気にしたり
「手洗い予防拡大」のニュースを読んでいるとき
微分と積分を交互に使っているはずです

1/700の模型を組んでるときなんて、どうだろう?


楽器の演奏時も、
微分と積分のイメージを、
行き来している瞬間がある

ただし、
そのイメージが雑なとき、
相当マズいことになる局面をむかえます
それは私です



特に、この
10ホールズ

セオリーと段取りさえわかれば何とかなる楽器ではない

他の楽器もそうかも知れないが、
シンプルな楽器こそ、
芯を外すと、楽器の特徴が薄くなっていくものだと思います

私は「コス度のコントロール」が
鍵やと、睨んでますね
だから私は、うんと頑張らんといけない


逆にですよ、
上手な人は、技だけでなく、
ミクロとマクロの切り替えに、センスを感じる

そういう
「高コス度の人」の演奏は、
私からすると、
何があっても優雅にやれるように見えます

もしかしたら、
それも単なる訓練の賜物かもしれないが、
この目にはそう映ります



さて
「カトウミロク」はどうだろう?

ハーモニカふたりだけの音楽

楽器の組み合わせとしても、
随分と「小さい+小さい」
です

積分的な見方をすれば、
ハーモニカで、いくら太いトーンをだそうとも、ラッパ一発の音量にはかないません

しかし、
微分的な見方を有効に使えたら、
やもすれば、小宇宙が見えるやもしれません

いうなれば、
「ミロク」コスモス?
いうてしまいました

空間を意識して、微分に徹するのも良いかもしれない、どうする?

頑張らんと


さて、
この日曜日は、
初リハーサルです

研究熱心なカトウさんからの、アイデアのメールは多数頂きました

もう、やるっきゃないです


以上です



☆では、問題です

誰しも子供の頃には経験したであろう、明らかに微分積分を同時に感じることが可能な、コス度の高い現象は何?

もちろん完全な解答はありませんが、
私の答えより、良い答えに期待、です


十穴のアナ「つまらない十穴」

2020-02-06 | 教室

吹いて終わる曲がある

内心
「ああ、この曲、吹きで終わりか」
と、よぎる


「次の曲、大丈夫かな」
とも思う

「できれば今からでも1番から10番まで、ジャララン、と吸いたい」




10ホールズの、
吹きと吸いの意味合い

それは
音程の違いだけに留まらない

たとえば、
Cのハーモニカの1番を、吹く

吹いた息が、
リードに流れにて
「ドー」と、鳴る

あたりまえ?
はたしてそれだけですかな?

じつは
それだけではない

実際は、
リードに流れているのは、
息だけではないんや

「唾液」や!

優雅な話題ではないのは、
百も承知ですが、
続けます

吹くと、
結構な量の、唾液が、ツバが、
息とセットで
「わーい」
と、1番穴に流れ込んでいるのです

これは事実です


では、
今度は1番を、吸ってみる

穴からの空気と共に
「は~い」
と、喉に戻っているのは何か?
いうまでもありません

こうなれば、
もはや、音階など、
一旦コッチに置きたくなってきませんか?




入門された方に対して私が
「練習後、なるべく吸って終わってください」

あるいは

「保管は穴を下にして~」
と、言うのはなぜか?

もはやいうまでもありません


メカニズム、
という点でも、
リードについた唾液は、
厄介です

乾いても、新たな唾液が流込むと
「ヨシ!ヨシ!」とくっついて、リードに居座り勢力を増す

あの映画「ブロブ」のように~です

その結果、
リードがつまって、音がでなくなったり、
木製部が膨らみやすくなる

10ホールズは、ハーモニカの中でも、飛び抜けて穴の中の体積が少ないのだ

困ったことです



ここからは、私の感触ですが、
アクセントを揃えたメロディーを吹いているときよりも、

ブルーズのセオリー、つまり、
バンプや、英語的フレーズを演奏しているときの方が、
若干、唾液のトラブルが少ないように思う

おそらく、
ブルーズのセオリーを使うと、
おのずと
「吸いは強く深く」
「吹きは優しく広く」
に、なるからだ

セオリーは、
バイアスにもなるが、
ヒントにもなりうる

もしこの楽器が、
整った音階がすんなりでるものだったなら、

音階のアクセント選びに、もっと音楽的なセンスが必要だっただろう

 

かし

「まずは吸いを強く」

で、試してみるのは、予期せぬイントネーションがでたりして、そうわるくない

10ホールズで、
粒の揃ったメロディーをなだらかに演奏するのは、
めちゃくちゃ難しいのです

10ホールズの常識は、
学校で習う音楽の常識とは、ちょいと違うようです


でもですよ

よくよく考えると、
きっと、
どんな楽器も、
固有の特徴を活かし、受け入れられ、それを基礎としているはずだ


実用品や手道具は、
効率的で使いやすいのがなによりだ

しかし、
楽器はそうともいえないと、
思います

十穴のアナ的には、
そこが気になります


~では、最後にポエムを

とにかく吸すおう、強く吸おう
そうすれば
ツマラナイなどとは、
いわせません
おまけに唾液も、ツマラナイ

以上です





☆以前
「赤ワインは唾液の分泌をおさえる」
という記事を読んだので、
すぐに、ぐびぐび飲んで試してみたが、別の問題で客観的なデータは得られなかった

皆さん、情報よろしく