仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

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大明呪の作動原理: 人の想念は空であり、時間・空間を超越し強力な創造・展開力を持つ(第2部)

2015年05月02日 21時26分55秒 | 空=言葉=宇宙の英知=大明呪 般若心経
大明呪の作動原理: 人の想念は空であり、時間・空間を超越し強力な創造・展開力を持つ(第2部)

4. 「人の言葉=想念=空」を唱える般若波羅蜜多=大明呪による苦の解消

(1)人の想念の力=大明呪

大般若経や般若心経では、「人の言葉=想念=空」を反復して唱える般若波羅蜜多=大明呪は、縁起・現象相を創造・展開して、苦を解消する最強の呪文(真言)であると説かれています。
(ブログ記事「想念の力: 一切の苦しみを除く般若波羅蜜多「大明呪」の調査」、巽先生の著書及びサイトを参照)

例えば般若心経では、
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう」
と説かれています。

これは、観世音菩薩様が、素晴らしい般若波羅蜜多(大明呪)を実行された時、五蘊(森羅万象(人、自然界、人工物))は、全て空=言葉=想念であることをはっきりと理解され、全ての苦しみを解消されたことを述べています。

この教典の記載の根拠となるのが、
菩薩=仏=般若波羅蜜多=五蘊(色受想行識)=人の言葉=大明呪(真言)=想念=空
空即是一切
という方程式であり、
これは、般若波羅蜜多=大明呪=言葉=想念=空が、縁起・現象相である五蘊(色受想行識)を創造・展開し、苦厄を解消することを示しています。

般若波羅蜜多である大明呪「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」が「一般形(一般式)」で書かれており、具体的な個々の目的に合わせて自由に変形させて使うという、大明呪の具体的な使い方に気づき、実行され、多くの人の命や人生を救われたのは巽直道先生でした。

一般式とは、例えば数学の1次関数を一般式で y = ax + bと書き、aとbを変化させることにより、無数の1次関数を作ることができます。
これと同様な書き方が大明呪「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」でも行われており、これは一般式です。
大明呪を一般式の元の形(原形) 「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」で唱えても効果はありません。
具体的な個々の目的に合わせて変形させて使う必要があります。

例えば、
病気の場合には、「治る、治る、きっと治る」
何かをやりたい場合には、「できる、できる、きっとできる」
と、声に出して、あるいは心の中で、何千回、何万回、何十万回も唱え続けると、願いがかない、苦しみから解放されます。

具体的な大明呪の応用と実績に関しては、詳しくは、巽直道先生の著書とサイトをご覧ください。
60年余りに渡る膨大な症例の実績があります。
http://www.maroon.dti.ne.jp/jikidoukai/newpage3.html


(2)観音力

我々凡夫の想念の力は弱いため、自力の大明呪では、限界があります。
大慈悲心を持たれる観世音菩薩様による地球人の救済に関して、釈尊が観音経に詳しく説かれ、その力は観音力と呼ばれています。
観音経は、例えば下記のサイトにあります:
http://homepage3.nifty.com/chances/aokyoukan/16.htm

空と同化された観世音菩薩様の持たれている智慧と力は、空の智慧と力です。
観世音菩薩様は空と同化されているため、全宇宙・全時間に存在され、空=言葉=想念の力=観音力により、我々を救ってくださることが観音経に説かれています。

今この文章を読んでいるあなたのいる場所、あなたの肉体も本質相では空ですから、空と同化された観世音菩薩様は、あなたのいる場所、あなたの肉体にもおられます。
このため、観世音菩薩様の観音力は、いつもあなたと共にあるのです。

我々凡夫は、観世音菩薩様の説かれた大明呪を唱えて苦の解消を行なう必要があります(自力)。
しかし、凡夫の我々の想念の力は弱いため、如来であられる観世音菩薩様の観音力により助けていただくように祈ることも必要であると思われます(他力)。
このように自力と他力の併用が、最も効果的な方法であると考えられます。


(3)大明呪を唱える言語について

大明呪「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」は、日本語に翻訳したり、目的に合わせて変形せずに、サンスクリットのままで唱えるべきであると主張される人がおられます。
ここで、お釈迦様の使われていた言語や仏典で使用される言語についてまとめてみます。

Wikipedia「パーリ語」によれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA%E8%AA%9E

パーリ語は上座部仏教経典に用いられる文語であり、元来どの地方の方言であったかは不明確である。上座部仏教では自らの経典を仏の直接の教えとする観点からマガダ語と同一と見られてきた。ただし現在ではアショーカ王碑文との比較から西インド起源とする説が有力である。
最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言からパーリ語へ翻訳されたと推定されている。このために、パーリ語はアショーカ王碑文のうち西部のギルナールの言語に最も近いが、その中にマガダ語的な要素が指摘されている。
大乗仏教でサンスクリット語が多用されたのに対し上座部仏教においてパーリ語が多用されたのは、仏教伝道において民衆に分かりやすい口語(すなわちプラークリット)を利用することでその効果を高めるためであったからと推測される。後に、観念的な議論を特徴とする大乗仏教が盛んになると専門性の低いとされたパーリ語は廃れ、教典の言語はサンスクリットに取って代わられることになる。
(Wikipediaの引用終わり)

仏教で使用された言葉の変遷は以下のようになります:
①お釈迦様が話されていたのはマガダ地方の東部方言
②最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言からパーリ語へ翻訳された、
③上座部仏教においてパーリ語が多用されたのは、仏教伝道において民衆に分かりやすい口語(すなわちプラークリット)を利用することでその効果を高めるためであった
④観念的な議論を特徴とする大乗仏教が盛んになると専門性の低いとされたパーリ語は廃れ、教典の言語はサンスクリットに取って代わられる

このように、仏教や仏典で使用される言語は、最初はマガダ地方の東部方言、その後にパーリ語、その後に観念的なサンスクリットと、大きく変化しています。
これらの3つの言語は、いずれも初期の仏教で使用されていたものであり、その価値に優劣をつけることはできません。
お釈迦様はサンスクリットを話されていたのではなく、マガダ地方の東部方言を話されていたこと、仏典にパーリ語という口語が使用されていたことからも分かるように、日常生活に使用する言語を使用することに、何も支障はありません。
お釈迦様や観世音菩薩様が般若心経や大明呪を説かれた時には、最初はマガダ地方の東部方言で説かれたはずであり、日常生活に使用している言葉を使用されています。
このため、般若心経の大明呪を日常生活に使用している言葉で唱えても何ら問題はなく、我々日本人が日本語に翻訳して行じることには、何の問題もありません。
むしろ、具体的な意味を良く理解した上で唱えることができるため、意味も理解できずにサンスクリットで唱えるよりも日本語の方が効果的であると思われます。

また、抽象的な言葉による呪文では、具体的な物事を言い表すことはできません。具体的な願いをかなえ、具体的な苦を解消するための呪文は、具体的な言葉による表現を使用しなければ実現できません。
例えば、
病気の場合には、「治る、治る、きっと治る」
何かをやりたい場合には、「できる、できる、きっとできる」
と、声に出して、あるいは心の中で、何千回、何万回、何十万回も唱え続けると、願いがかない、苦しみから解放されます。

このように、仏教で使用された言語の歴史を見ると、多くの仏教関係者が主張するような、サンスクリットの呪文でなければ効果がないという根拠はどこにもないのです。


(4)参考情報: 仏教の苦
仏教では、苦を次のようにまとめています。般若心経は、大明呪(=空=言葉=想念)による能除一切苦(全ての苦しみを取り除く)を説いています。

出典: Wikipedia四苦八苦
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。
苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、
根本的な四つの思うがままにならないことに加え、
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。


5.エミール・クーエ氏の自己暗示の本質は大明呪と同じ

20世紀始めにフランスやヨーロッパなどで活躍されたエミール・クーエ氏の自己暗示(想念の反復)により、非常に多くの病気が治る実績が報告されています。
(自己暗示、C.H.ブルックス, エミール・クーエ 著, 河野徹訳, 法政大学出版局 を参照)

この中で、クーエ氏の自己暗示を詳細に調査したC.H.ブルックス氏は、p.108で次のように述べています。

『キリストが、治療の奇跡を行わせようとして使徒たちに与えた力は、数人の選ばれた個人に授けられた権能ではなく、全人類共有の遺産であると考えよう。
キリストが指し示した我々の内なる天国は、我々の日常生活を清めるとともに高め、よりすこやかな肉体と美しい精神を得るために、誰でも利用できるものと考えよう。
このように考えてくれば、クーエの一般公式に含まれた言葉は一種の祈りといえないだろうか。
自我の意識を超えたあるもの、われわれの背後に横たわる無限の力、何かこういうものに対する訴えとはいえないだろうか。』

ブルックス氏は、クーエ氏の自己暗示は「一種の祈り」「自我の意識を超えたあるもの、われわれの背後に横たわる無限の力に対する訴え」と述べておられます。

想念の力を使用して病気が治るメカニズムは、般若心経の大明呪もクーエ氏の自己暗示も同じであると考えられます。
なぜなら、大明呪もクーエ氏の自己暗示も、これら2つの方法では、治るという言葉=想念を繰り返すことにより、人間の人体の病気が治からです。
2つの方法は同じことをやっているのですから、そのメカニズムも同じです。

クーエ氏は、想念の反復を、20世紀初めの科学的知識に基づいて、「潜在意識に対する自己暗示」であると述べています。
しかし実は、クーエ氏は、約2600年前に観世音菩薩の説かれた大明呪を独自に発見されていたのだと私は思います。

ただし、クーエ氏の場合は、人間の脳により生み出される潜在意識は肉体内に限定されるという地球の科学的常識に基づいて、その効能の説明は人体内の現象に限定されたものであり、肉体の外部にまで及ぶ縁起の現象界の全ての苦に対する効果は述べられていません。

このため、クーエ氏の場合は、般若心経に説かれている能除一切苦(全ての苦しみを取り除く)の実現とは説かれていません。

以上

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