九州の風景

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吉野 臥竜梅 続編

2008-02-20 17:21:47 | Weblog

 永禄三年(1560)、正月 豊後国主大友義鎮公(宗麟)がこの地に遊覧し,饗応、あと鶴ヶ城主利光宗魚が観梅の宴を催した。宴たけなわのとき義鎮公は活花にしようと梅一枝をご用人由布弥太郎に折らせた。そのとたんに弥太郎は気絶したが、しばらくして我に返り「我は、天満大自在天神なり。汝はこの地主たるがゆえに、この度だけは命は助くべし、今後一枝たりとも折るべからず。」と言って再び人事不省となった。義鎮公は己の無礼を謝罪し、取った枝で御神体を刻んで奉納し、神殿を造り供米を献じて年々祭りを怠らなかったと言う。
 あるとき、府内〈大分)城主、松平公〈第六代第給近儒)がこの地に参拝し神園をご覧になり観称のあまり
  よしの芳野 
    かしこは桜  此処は梅
  お読みになった句を、後年 山田雅次郎氏(初代吉野村長)が句碑を建てた。
又、松岡の俳人、安藤石友が安政六年(1859)この地で芭蕉忌の句会を開き芭蕉の句
   この梅に牛も初音と啼つべし
の句碑を建てた。
 臥竜梅の由来を一言・