沢山のことが分かったら、柔軟思考になれるのでしょうか?
色んな人の意見をきいて、色んな国の常識・文化を知って、
経験が増えれば自分の中にある引き出しは増えるのでしょうか。
沢山の選択肢は生まれると思うのですが、その中から自分が
1つを選んで、それを常識としている国があったり
自分の尊敬してる人も同じ考えを持っているとなれば
逆にその意見に固執して、結局『柔軟思考』の反対の
『頑固』にならないのかな。
「人の話をきく」って、実はかなり奥が深いと最近思うのです。
偉い人の講演を沢山聴いても、全部「そうだったのか!」と
納得したり、逆に「自分の意見とは合わない、価値観が違う」と
思ったりするのは本当の「きく」じゃなくて。
一旦、どんな意見も自分の中に入れて、賛同できるものと
そうでないものを分けて。でもその後「そうでないもの」を
自分の外へポイッと捨てて拒絶するんじゃなく、
その意見も大事に自分の中に留め置いておく。
A:「戦争についてどう思う?」
B:「僕はbだと思うなぁ」
A:「…(←bではなくaという意見を持っている)」
この次の会話で、
「そうかなぁ。でもさ…」と、自分の意見をハッキリ言うより、
「ふぅん、どうしてそう思うの?」と、自分の言いたいことは
後回し。先に相手の意見を聴こうとすることが、本当の
「人の話をきく」かなぁ、と…上手く言えませんが。
自分も23歳になって、若輩者だけど生意気にもなりました。
さらに大人になったら、その時さらに頑固になった自分には
留学しても吸収できるものが少ないかも、と思うのです。
でも年齢も経験も減りません、増える一方です。
だから”聴く精神”と”素直さ”を、肝に銘じて(-_-)
色んな人の意見をきいて、色んな国の常識・文化を知って、
経験が増えれば自分の中にある引き出しは増えるのでしょうか。
沢山の選択肢は生まれると思うのですが、その中から自分が
1つを選んで、それを常識としている国があったり
自分の尊敬してる人も同じ考えを持っているとなれば
逆にその意見に固執して、結局『柔軟思考』の反対の
『頑固』にならないのかな。
「人の話をきく」って、実はかなり奥が深いと最近思うのです。
偉い人の講演を沢山聴いても、全部「そうだったのか!」と
納得したり、逆に「自分の意見とは合わない、価値観が違う」と
思ったりするのは本当の「きく」じゃなくて。
一旦、どんな意見も自分の中に入れて、賛同できるものと
そうでないものを分けて。でもその後「そうでないもの」を
自分の外へポイッと捨てて拒絶するんじゃなく、
その意見も大事に自分の中に留め置いておく。
A:「戦争についてどう思う?」
B:「僕はbだと思うなぁ」
A:「…(←bではなくaという意見を持っている)」
この次の会話で、
「そうかなぁ。でもさ…」と、自分の意見をハッキリ言うより、
「ふぅん、どうしてそう思うの?」と、自分の言いたいことは
後回し。先に相手の意見を聴こうとすることが、本当の
「人の話をきく」かなぁ、と…上手く言えませんが。
自分も23歳になって、若輩者だけど生意気にもなりました。
さらに大人になったら、その時さらに頑固になった自分には
留学しても吸収できるものが少ないかも、と思うのです。
でも年齢も経験も減りません、増える一方です。
だから”聴く精神”と”素直さ”を、肝に銘じて(-_-)