不思議活性

賢治童話と私 12  雁の童子 1



きょうは、賢治童話『雁の童子』の紹介です。

    『雁の童子』
 
     1

 流沙の南の、楊で囲まれた小さな泉で、私は、いった麦粉を水にといて、昼の食事をして居りました。
 そのとき、一人の巡礼のおじいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来ました。私たちはだまって軽く礼をしました。
 けれども、半日まるっきり人にも出会わないそんな旅でしたから、私は食事がすんでも、すぐに泉とその年老った巡礼とから、別れてしまいたくありませんでした。
 私はしばらくその老人の、高い咽喉仏のぎくぎく動くのを、見るともなしに見ていました。何か話し掛けたいと思いましたが、どうもあんまり向うがしずかなので、私は少しきゅうくつにも思いました。
 けれども、ふと私は泉のうしろに、小さな祠のあるのを見付けました。それは大へん小さくて、地理学者や探検家ならばちょっと標本に持って行けそうなものではありましたがまだ全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ塗られていかにも異様に思われ、その前には、粗末ながら一本の幡も立っていました。
 私は老人が、もう食事も終りそうなのを見てたずねました。
「失礼ですがあのお堂はどなたをおまつりしたのですか。」
 その老人も、たしかに何か、私に話しかけたくていたのです。だまって二三度うなずきながら、そのたべものをのみ下して、低く言いました。
「……童子のです。」
「童子ってどう云う方ですか。」
「雁の童子と仰っしゃるのは。」老人は食器をしまい、屈んで泉の水をすくい、きれいに口をそそいでから又云いました。
「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこの頃あった昔ばなしのようなのです。この地方にこのごろ降りられました天童子だというのです。このお堂はこのごろ流沙の向う側にも、あちこち建って居ります。」
「天のこどもが、降りたのですか。罪があって天から流されたのですか。」
「さあ、よくわかりませんが、よくこの辺でそう申します。多分そうでございましょう。」
「いかがでしょう、聞かせて下さいませんか。お急ぎでさえなかったら。」
「いいえ、急ぎはいたしません。私の聴いただけお話いたしましょう。」
 
 
 沙車 (さしゃ)に、須利耶圭 (すりやけい)という人がございました。名門ではございましたそうですが、おちぶれて奥さまと二人、ご自分は昔からの写経をなさり、奥さまはたを織って、しずかにくらしていられました。
 ある明方、すりやけいさまが鉄砲をもったご自分のいとこの方とご一諸に、野原を歩いていられました。地面はごく麗わしい青い石で、空がぼおっと白く見え、雪もま近でございました。
 すりやけいさまがおいとこさまに仰っしゃるには、お前もさような慰みの殺生を、もういい加減やめたらどうだと、こうでございました。
 ところがいとこの方が、まるですげなく、やめられないと、ご返事です。
(お前はずいぶんむごいやつだ、お前の傷めたり殺したりするものが、一体どんなものだかわかっているか、どんなものでもいのちは悲しいものなのだぞ)と、すりやさまは重ねておさとしになりました。
(そうかもしれないよ。けれどもそうでないかもしれない。そうだとすればおれは一層おもしろいのだ、まあそんな下らない話はやめろ、そんなことは昔の坊主どもの言うこった、見ろ、向うを雁が行くだろう、おれは仕止めて見せる、)といとこの方は鉄砲を構えて、走って見えなくなりました。
 すりやさまは、その大きな黒い雁の列を、じっと眺めて立たれました。
 
 そのとき俄かに向うから、黒い尖った弾丸が昇って、まっ先きの雁の胸を射ました。
 雁は二三べん揺らぎました。見る見るからだに火が燃え出し、世にも悲しく叫びながら、落ちて参ったのでございます。
 弾丸が又昇って次の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、遁げはいたしませんでした。
 却って泣き叫びながらも、落ちて来る雁に随いました。
 第三の弾丸が昇り、
 第四の弾丸が又昇りました。
 六発の弾丸が六疋の雁を傷つけまして、一ばんしまいの小さな一疋丈けが、傷つかずに残っていたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、もだえながら空を沈み、しまいの一疋は泣いて随い、それでも雁の正しい列は、決して乱れはいたしません。
 そのときすりやさまの愕ろきには、いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変って居りました。
 赤い焔に包まれて、歎き叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまいに只一人、まったいものは可愛らしい天の子供でございました。
 そしてすりやさまは、たしかにその子供に見覚えがございました。最初のものは、もはや地面に達しまする。それは白い鬚の老人で、倒れて燃えながら、骨立った両手を合せ、すりやさまを拝むようにして、切なく叫びますのには、
(須利耶さま、すりやさま、おねがいでございます。どうか私の孫をお連れ下さいませ。)
 もちろんすりやさまは、馳せ寄って申されました。(いいとも、いいとも、確かにおれが引き取ってやろう。しかし一体お前らは、どうしたのだ。)そのとき次々に雁が地面に落ちて来て燃えました。大人もあれば美しいようらくをかけた女子もございました。その女子はまっかな焔に燃えながら、手をあのおしまいの子にのばし、子供は泣いてそのまわりをはせめぐったと申しまする。雁の老人が重ねて申しますには、
(私共は天の眷属でございます。罪があってただいままで雁の形を受けて居りました。只今報いを果しました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育てを願います。おねがいでございます。)と斯うでございます。
 すりやさまが申されました。
(いいとも。すっかり判った。引き受けた。安心して呉れ。)
 すると老人は手を擦って地面に頭を垂れたと思うと、もう燃えつきて、影もかたちもございませんでした。須利耶さまも従弟さまも鉄砲をもったままぼんやりと立っていられましたそうでいったい二人いっしょに夢を見たのかとも思われましたそうですがあとでいとこさまの申されますにはその鉄砲はまだ熱く弾丸は減って居りそのみんなのひざまずいた所の草はたしかに倒れて居ったそうでございます。
 
 そしてもちろんそこにはその童子が立っていられましたのです。すりやさまはわれにかえって童子に向って云われました。
(お前は今日からおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のお母さんや兄さんたちは、立派な国に昇って行かれた。さあおいで。)
 すりやさまはごじぶんのうちへ戻られました。途中の野原は青い石でしんとして子供は泣きながら随いて参りました。
 すりやさまは奥さまとご相談で、何と名前をつけようか、三四日お考えでございましたが、そのうち、話はもう沙車全体にひろがり、みんなは子供を雁の童子と呼びましたので、すりやさまも仕方なくそう呼んでおいででございました。」
 
 老人はちょっと息を切りました。私は足もとの小さな苔を見ながら、この怪しい空から落ちて赤い焔につつまれ、かなしく燃えて行く人たちの姿を、はっきりと思い浮べました。老人はしばらく私を見ていましたが、又語りつづけました。

「さしゃの春の終りには、野原いちめんやなぎの花が光って飛びます。遠くの氷の山からは、白い何とも云えず瞳を痛くするような光が、日光の中を這ってまいります。それから果樹がちらちらゆすれ、ひばりはそらですきとおった波をたてまする。童子は早くも六つになられました。春のある夕方のこと、すりやさまは雁から来たお子さまをつれて、町を通って参られました。葡萄いろの重い雲の下を、影法師のこうもりがひらひらと飛んで過ぎました。
 子供らが長い棒に紐をつけて、それを追いました。

(雁の童子だ。雁の童子だ。)
 
 子供らは棒を棄て手をつなぎ合って大きな環になりすりやさま親子を囲みました。
  すりやさまは笑っておいででございました。
 子供らは声を揃えていつものようにはやしまする。
  
 (雁の子、雁の子雁童子、
   空からすりやにおりて来た。)
 
と斯うでございます。けれども一人の子供が冗談に申しまするには、
  
 (雁のすてご、雁のすてご、
   春になってもまだ居るか。)
 
 みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一つ飛んで来て童子の頬を打ちました。すりやさまは童子をかばってみんなに申されますのには
 (おまえたちは何をするんだ、この子供は何か悪いことをしたか、冗談にも石を投げるなんていけないぞ。)
 子供らが叫んでばらばら走って来て童子に詫びたり慰めたりいたしました。或る子は前掛けのかくしから干した無花果を出してやろうといたしました。
 童子は初めからお了いまでにこにこ笑って居られました。すりやさまもお笑いになりみんなを赦して童子を連れて其処をはなれなさいました。
 そして浅黄のめのうの、しずかな夕もやの中で云われました。
(よくお前はさっき泣かなかったな。)
その時童子はお父さまにすがりながら、
(お父さんわたしの前のおじいさんはね、からだに弾丸をからだに七つ持っていたよ。)と斯う申されたと伝えます。」

 巡礼の老人は私の顔を見ました。
 私もじっと老人のうるんだ眼を見あげて居りました。老人は又語りつづけました。

 「又或る晩のこと童子は寝付けないでいつ迄も床の上でもがきなさいました。
(おっかさんねむられないよう)と仰っしゃりまする、すりやの奥さまは立って行って静かに頭を撫でておやりなさいました。童子さまの脳はもうすっかり疲れて、白い網のようになって、ぶるぶるゆれ、その中に赤い大きな三日月が浮かんだり、そのへん一杯にぜんまいの芽のようなものが見えたり、また四角な変に柔らかな白いものが、だんだん拡がって恐ろしい大きな箱になったりするのでございました。母さまはその額が余り熱いといって心配なさいました。すりやさまは写しかけの経文に、掌を合せて立ちあがられ、それから童子さまを立たせて、紅革の帯を結んでやり表へ連れてお出になりました。駅のどの家ももう戸を閉めてしまって、一面の星の下に、むねむねが黒く列びました。その時童子はふと水の流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから
(お父さん、水は夜でも流れるのですか)とお尋ねです。すりやさまは砂漠の向うから昇って来た大きな青い星を眺めながらお答えなされます。
(水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、平らな所ででさえなかったら、いつ迄もいつ迄も流れるのだ。)
 童子の脳は急にすっかり静まって、そして今度は早く母さまの処にお帰りなりとうなりまする。
(お父さん。もう帰ろうよ。)と申されながらすりやさまの袂を引っ張りなさいます。お二人は家に入り、母さまが迎えなされて戸の環をはめて居られますうちに、童子はいつかご自分の床に登って、着換えもせずにぐっすり眠ってしまわれました。
 
 又次のようなことも申します。
 ある日すりやさまは童子と食卓にお座りなさいました。食品の中に、蜜で煮た二つの鮒がございました。すりやの奥さまは、一つをすりやさまの前に置かれ、一つを童子にお与えなされました。
(喰べたくないよおっかさん。)童子が申されました。(おいしいのだよ。どれ、箸をお貸し。)
 すりやの奥さまは童子の箸をとって、魚を小さく砕きながら、(さあおあがり、おいしいよ)と勧められます。童子は母さまの魚を砕く間、じっとその横顔を見ていられましたが、俄かに胸が変な工合に迫って来て気の毒なような悲しいような何とも堪らなくなりました。くるっと立って鉄砲玉のように外へ走って出られました。そしてまっ白な雲の一杯に充ちた空に向って、大きな声で泣き出しました。まあどうしたのでしょう、と須利耶の奥さまがおどろかれます。どうしたのだろう行って見ろ、とすりやさまも気づかわれます。そこですりやの奥さまは戸口にお立ちになりましたら童子はもう泣きやんで笑っていられましたとそんなことも申し伝えます。

・続きは次回に・・・・。


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