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『トレード』
解説より。
こんな風景画はかつて描かれたためしがない。それでいて、空、丘、都市、深い峡谷、樹木、草地、道路など、ふつう風景画に欠かせない最小限の条件はことごとく取り揃えられているのだ。ただし、風景画にとってもっとも重要な空間の感じや距離感がここには乏しい。ここでは、トレードの町のたたずまいが妙な工合にならべ変えられている。
人を威嚇するような天の怒りは、トレード市のなかでもひときわ高い建物のある一帯、つまり本寺やアルカサールの城のあるあたりのうしろに集まっているようであり、それを象徴するかのごとくそのあたりは一段と暗くなっている。険悪な空の黒い怒りは、教会の権力と国家の権力とが結びついたトレード市の強大な力の所在を具体的に示してるいものだ。
緑のなかに点在する極微の針の頭くらいの人々の行動が平和そのもので嵐とは無関係な点、はっきり平和だとはいわないまでも、このおびえる都市の圏外にいるもの、その中に属していないものが平穏そうに描かれている点等々、いったいこれはどうしたことなのだろうか。
グレコはこのトレードの再構成されたイメージのなかで、地上界において天国へ最短距離にあるものに対する彼独自の神話や判断を語ろうとしたのであろうか。この作品は、人間の内なる罪の所在を、懲罰と救いというかたちで示した神秘な肖像なのであろうか。
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私は、スペインを訪れたことはありません。偉大なる宗教画家グレコにとって、風景画は数えるほどしかないということですが、『トレード』の風景画が、グレコが意図した彼独自の神話を表現したものだとしても、グレコはトレードとともに生きたのであり、人は誰もが、みんなそれぞれの風土とともに生きていることの慈しみを思いました・・・・。
・続きは次回に・・・・。