不思議活性

賢治童話と私  16 種山ヶ原 1


    『種山ヶ原』

    1

 種山ヶ原というのは北上山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩や、硬い橄欖岩(かんらんがん)からできています。
 高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒づつの部落があります。
 春になると、北上の河谷のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。
 放牧される四月(よつき)の間も、半分ぐらいまでは原は霧や雲に鎖ざされます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気のお定まりのぶつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起ってくるのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るようになります。その旅人と云っても、馬を扱う人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした。
 今年も、もう空に、透き徹った秋の粉が一面散り渡るようになりました。
 雲がちぎれ、風が吹き、夏の休みももう明日だけです。
 達二は、明後日から、また自分で作った小さな草鞋をはいて、二つの谷を越えて、学校へ行くのです。
 宿題もみんな済ましたし、蟹を捕とることも木炭を焼く遊びも、もうみんな厭きていました。達二は、家の前の檜によりかかって、考えました。

(ああ。此の夏休み中で、一番面白かったのは、おじいさんと一緒に上の原へ仔馬を連れに行ったのと、もう一つはどうしても剣舞だ。鶏の黒い尾を飾った頭巾をかぶり、あの昔からの赤い陣羽織を着た。それから硬い板を入れた袴をはき、脚絆や草鞋をきりっとむすんで、種山剣舞連と大きく書いた沢山の提灯に囲まれて、みんなと町へ踊りに行ったのだ。ダー、ダー、ダースコ、ダー、ダー。踊ったぞ、踊ったぞ。町のまっ赤な門火の中で、刀をぎらぎらやらかしたんだ。楢夫さんと一緒になった時などは、刀がほんとうにカチカチぶっつかったぐらいだ。

 ホウ、そら、やれ、
むかし 達谷の 悪路王、
まっくらぁくらの二里の洞、
渡るは 夢と 黒夜神、
首は刻まれ 朱桶に埋もれ。
 やったぞ。やったぞ。ダー、ダー、ダースコ、ダーダ、
青い 仮面この こけおどし、
太刀を 浴びては いっぷかぷ、
夜風の 底の 蜘蛛おどり、
胃袋ぅ はいて ぎったりぎたり。
 ほう。まるで、……。)

「達二。居るが。達二。」達二のお母さんが家の中で呼びました。
「あん、居る。」達二は走って行きました。
「よい童だはんてな、おじぃさんど、兄など、上の原のすぐ上り口で、草刈ってるがら、弁当持って行って来な。それがら牛も連れてって、草食ぁせで来こな。兄ながら離れなよ。」
「あん、行て来る。行て来る。今草鞋はぐがら。」達二ははねあがりました。
 お母さんは、曲げ物の二つの櫃と、達二の小さな弁当とをいくつか紙にくるんで、それをみんな一緒に大きな布の風呂敷に包み込みました。そして、達二が支度をして包みを背負っている間に、おっかさんは牛をうまやから追い出しました。
「そだら行って来ら。」と達二は牛を受け取って云いました。
「気ぃ付けで行げ。上で兄ながら離れなよ。」
「あん。」達二は、垣根のそばから、楊の枝を一本折り、青い皮をくるくる剥いで鞭を拵え、静に牛を追いながら、上の原への路をだんだんのぼって行きました。
「ダーダー、スコ、ダーダー。
夜の頭巾は 鶏の黒尾、
月のあかりは………、
 しっ、歩け、しっ。」

 日がカンカン照っていました。それでもどこかその光に青い油の疲れたようなものがありましたし、また、時々、冷たい風が紐のようにどこからか流れては来ましたが、まだ仲々暑いのでした。牛が度々立ち止まるので、達二は少し苛々しました。
「上さ行って好い草食え。早ぐ歩げっ。しっ。馬鹿だな。しっ。」
 けれども牛は、美しい草を見る度に、頭を下げて、舌をべらりと廻して喰べました。(牛の肉の中で一番上等が此の舌だというのは可笑しい。涎れで粘々してる。おまけに黒い斑々がある。歩け。こら。)
「歩げ。しっ。歩げ。」
 空に少しばかりの、白い雲が出ました。そして、もう大分のぼっていました。谷の部落がずっと下に見え、達二の家の木小屋の屋根が白く光っています。
 路が林の中に入り、達二はあの奇麗な泉まで来ました。まっ白の石灰岩から、ごぼごぼ冷たい水を噴き出すあの泉です。達二は汗を拭いて、しゃがんで何べんも水を掬ってのみました。
 牛は泉を飲まないで、却って苔の中のたまり水を、ピチャピチャ嘗めました。
 達二が牛と、またあるきはじめたとき、泉が何かを知らせる様に、ぐうっと鳴り、牛も低くうなりました。
「雨になるがも知れなぃな。」と達二は空を見て呟きました。
 林の裾の灌木の間を行ったり、岩片の小さく崩れる所を何べんも通ったりして、達二はもう原の入口に近くなりました。
 光ったり陰ったり、幾重にも畳む丘々の向うに、北上の野原が夢のように碧くまばゆく湛へています。河が、春日大明神の帯のように、きらきら銀色に輝いて流れました。
 そして達二は、牛と、原の入口に着きました。大きな楢の木の下に、兄さんの縄で編んだ袋が投なげ出され、沢山の草たばがあちこちにころがっていました。
 二匹の馬は、達二を見て、鼻をぷるぷる鳴らしました。
「兄な。いるが。兄な。来たぞ。」達二は汗を拭いながら叫びました。
「おおい。ああい。其処に居ろ。今行ぐぞ。」
 ずうっと向むこうの窪みで、達二の兄さんの声がしました。牛は沢山の草を見ても、格別嬉しそうにもしませんでした。
 陽がぱっと明るくなり、兄さんがそっちの草の中から笑って出て来ました。
「善ぐ来たな。牛も連れで来たのが。弁当持ってが。善ぐ来た。今日ぁ午まがらきっと曇る。俺もう少し草集めて仕舞がらな、此処らに居ろ。おじいさん、今来る。」
 兄さんは向こうへ行こうとして、振り向むいてまた云いました。
「腹減へったら、弁当、先にたべてろ。風呂敷ば、あの馬さ結付けでおげ。午まになったらまた来るがら。」
「うん。此処に居る。」
 そして達二の兄さんは、行ってしまいました。空にはうすい雲がすっかりかかり、太陽は白い鏡のようになって、雲と反対に馳せました。風が出て来て刈られない草は一面に波を立てます。
 どうしたのか、牛が俄に北の方へ馳せ出しました。達二はびっくりして、一生懸命追かけながら、兄の方に振り向いて叫さけびました。
「牛ぁ逃にげる。牛ぁ逃げる。兄な。牛ぁ逃げる。」
 せいの高い草を分けて、どんどん牛が走りました。達二はどこまでも夢中で追いかけました。そのうちに、足が何だか硬張ってきて、自分で走っているのかどうか判らなくなってしまいました。それからまわりがまっ蒼になって、ぐるぐる廻り、とうとう達二は、深い草の中に倒れてしまいました。牛の白い斑が終りにちらっと見えました。

・続きは次回に・・・・。


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