「書冊秋に読むべし
詩句秋に探すべし
永夜痛飲に宜しく
曠野遠遊に宜し」
先週末からの雨で急激に秋が深まった。「曠野遠遊に宜し」で紅葉狩りにでも行きたいもんだ。
「書冊秋に読むべし」は只「永夜痛飲に宜しく」に圧倒されてベッドに持ち込んだ本は数ページで放り出されさっぱり進まね。
アイン・ランドの「水源」だなんて1000ページを越える2段組、もう枕にするしかないわな。
ようやく読み終えたギュンター・グラスの「たまねぎの皮をむきながら」
そもそもたまねぎをむくか? 表皮の飴色の薄皮はむく。しかしあの麟片を一枚づつむくわけがない、それも泣きながら。ところがヒトのしないようなことをするのが作家なのだ。自己の過去の精神の彷徨を探るにはたまねぎをむかなければならないのか。
ギュンター・グラスは「ブリキの太鼓」の原作者だ。ナチスを厳しく追及したノーベル賞作家が、若き日ヒットラーユーゲントに居たことを告白した書として知られる本書だ。文体が特色有り、読み易くはない。が読み応えのあるものだ。
若気の至りとか、過去は水に流すとか、が通例のこの国の感覚ではこの「告白」の反響の大きさは寧ろ怪訝で、寧ろ「ウイルヘルムマイスター」や「魅せられたる魂」「即興詩人」などのクラシックな人生の惑いとして読んだ。その意味では青春の書だ。