風車ビルだより

今は風車のない風車ビルからの風だより

足止めの春

2011年03月26日 | 全般
大震災巨大津波から2週間以上がたったということが信じられない。時の流れがすっかり来るってしまったようだ。原発の事故はああ良かった、メルトダウンの爆発だけは免れると思ったのが春の足音だったのに、今日の寒さ以上に収束への道筋の見えなさを思う。

たとえこれ以上事故の深化がなかったとしても、既に出ている放射線の量だけで、どれほどの被害を計ればいいのか。
せめて若い人たちだけは20kmだ30kmだといわずに遠く離れて欲しい。

画像は彼岸の坂井町墓場の梅

春の海に

2011年03月21日 | 全般
福井県南越前市河野海岸から西方、敦賀半島を望む。
余りにものどかな春の海だ。
穏やかな海面を穏やかな陽光が舞う。この海が津波となって襲ってくるとはとても信じられない光景だ。
対岸に見えるのは敦賀半島。ここから若狭湾の終わりまで15基もの原発が連なる、原発銀座だ。
原発は山陰になるが、目を凝らせば巨大な送電線の鉄塔が見える。





日常 非日常

2011年03月19日 | 全般
春になれば雪は溶け暖かくなって草木萌え、花が咲くのが当然と思っていた。

チェルノブイリを知らないわけではないし、インドネシアの津波も見た。阪神淡路の地震も見た。でもそれらが大規模に一度に襲う危機を誰が予想できたのか。

データを偽造したり事故隠しを繰り返してきた東電やともかく事態を過小評価したいらしい政府の発表など、今更信じられるわけがない。

福島第一の最初の爆発で負傷が伝えれた作業員達はどうなったのだ?実際にどこの誰がどんな怪我でどこの病院に運ばれ、どんな容態か、マスコミは何も報じない。外国のニュースで3人死亡が伝えられたものもあるそうだ。確認の手立てはない。
都内の病院の固定式のサーベイメータが警報を出しっぱなしだという。
既にアメリカ軍は原発から80キロ県内から脱出したというのに、丸腰の一般の人たちは取り残される。
もはや不可避に見えるメルトダウンへの道。フォールアウトは風によって首都圏に達する。それまでに出来る限り首都圏の人の人数が減っているべきなのだ。脱出できる人は出るべきなのだ。まだ間にあう。少なくとも100キロ県内の人は逃げるべきなのだ。ガソリンがどうのこうのと云うより、もはや政府はそれらの人を圏外の逃す輸送経路を強制的に作るべきなのだ。

それでも、まだ、何とかなるのではないかと思ってしまうところは確かにある。でも危機を管理する人たちには楽観論こそ敵だ。

でも楽観したいのだ、私も。
何故って、例えば震度7だった宮城県栗原市で取引先の工場は持ちこたえた。壁や床にひびが入りものは散乱し、停電したけれど、人的被害はなく、工作機械も動かしてみないことには解らないといえども大きく破損した様子はないと聞いている。福島県いわき市小名浜でも津波が来なかったところは、インフラが復旧すれば操業可能とのことだったのだ。
だから津波の映像に圧倒されながらも、再生は可能だと思っていたのだ。
そう、日本の技術を信じている。そして不休の現場の人たちを信じたいのだ。
だから、原発も電源が回復したら! 冷却装置が動いてくれたら!それさえできたら!と思ってしまう。
本当にそれを願っている。


日常 非日常

2011年03月15日 | 全般
ずっと落ち着かず、何かに集中できず、非現実の感覚に振り回され、その感覚に疲労する日が続く。
全く何の被害もなかった地域にいてさえこれだ。
どれほど被災地の人々はストレスと云うはおろかの状況にあることか
生きているうちにこれほどのものを見るとは思わなかった。
この落ち着かなさは私独りのものではなく周りの皆がそうなのだ。

原発は刻々とカタストロフィーに向かう道標を刻む。それが解っていながら何の手立てもなく傍観せざるを得ない絶望の感覚の中にまだ何とかなるのでは?と、希望的観測に終始する公式発表(それさえ現状の悪化を認めざるを得ないのであるが)を信じたい思いでいっぱいになる。

地震だけだったなら!
取引先の工場の状態なども徐々に入ってきている。インフラさえ回復すれば操業可能なところが多い。
岩手も宮城も福島も、津波が来ていなかったところはほとんど無事なのだ。
福島原発も非常用電源が海水に漬からなかったらこれほどの惨事にはならなかったろうに。
東電や政府の対応に対する怒りはともかく、計画停電で右往左往する東京には実は同情を感じていない。

日常 非日常

2011年03月14日 | 全般
テレビは次々と危機的状況を映し出す。でもここは余りにも平穏でもしこのような時代でなければ大惨事が起こったことも知りようがなかっただろう。
そのギャップは圧倒的で落ち着かなく、何をしていても手に付かない状態になってしまう。
知り合い範囲の人々の安否は既に確認できている。取引先の工場の状態も最悪ではないらしい。
そして思いがけないような要請や発注が来ており、昨日3/13は日曜にも拘らず何とかこなし終えたのは夜10時を過ぎていた。
ずっと昼間は坂井町で作業していた。駐車場脇の空き地にはイヌフグリが咲き出していた。本社の屋上にはまだ雪があったのだが。


大樟(おこのぎ)漁港

2011年03月06日 | 福井県
ナビの云うままに越前町大樟まで走る。なんだかよく分からない道だったが、確かに最短だったかもしれない。
水仙はもうほとんど終わっていた。
途方もなくメタボな腹をした鱈、今朝あがったものだそうだ。びっくりしたように大きく口を開け澄んだ目を見開いていた。

白子かも!だったのだけど真子だった。
夫が苦戦しつつも捌く。
鱈の刺身なんて初めて食べた。あっさりした癖のない白身だが旨い。明日は昆布締めした分。
アラを鍋にした。これも旨い。問題は量が多すぎたこと。少し塩してもう冷凍庫だ。
ものすごい量の真子だけはどうにもならない。でか過ぎて切り分けられず大鍋で煮るも破れて手に負えない。最初の処理に失敗し臭みが取れないし・・・高血圧対策で全て薄味ではできないぞ。どうしよう?