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NYAMA's BLOG

ダルメシアンのCARAと、ぬくぬく3匹暮らし☆

インド痛7 ~美しい女性達~

2004年10月16日 | <インド痛> H17.9
インドでは、ほとんどの女性はサリーを着て、素肌を露出することはない、と聞いていましたが、本当にどこの女性もサリー姿でした。一枚の布を器用に着付けするサリー、とても素敵でした。

サリー以外の人を見たのは・・デリーの何人かの大学生が、普通にジーンズ&Tシャツ姿だったのと、デリーのホテルで見た女優。日本人もはかないような超ミニで西洋人のようでした。
テレビの歌番組に出ている女の子は、フツーの西洋式の格好なのに、道行く女性はほとんどサリーって、とてもギャップを感じましたね。

私達は、とあるファブリック店で、実際にサリーを着付けてもらいました。その写真の掲載はやめておきます。額に「ビンディ」をつけた姿は、まんまインド女でした。
あの、ビンディというのもよくわからないおしゃれグッズでしたね。シールになっていて、インドの女性は一枚額に貼り、もう一枚はバッグにしのばせておく代物みたい。取れちゃうのは、みだしなみとして恥ずかしい感覚かな。

ちなみに、インドでは男性が女性に触れることは厳禁。外国人女性には、偶然を装って触れてくることもある・・と聞いてました。一緒に行ったO嬢は、デリーのホテルのレストランで、食べ物を説明してくれるボーイさんがべたべた触ってくる!と憤慨してました。怒ってる様子がわかったのか、ボーイ君は”Oh!Sorry Sorry!”みたいに大ジェスチャーで詫びていました。そんなつもりはなかったと言いたげに・・。
まぁ、彼女も肩出しタンクトップ状態だったので、目立つことは目立っていたんですよね。真相はわかりません。。

インド痛6 ~聖なるのら牛~

2004年10月16日 | <インド痛> H17.9
ヒンドゥーの世界では、牛は神様の乗り物なので、神聖な動物とされています。牛肉は食べず、家畜として飼っていた牛が役立たずになっても、トサツはできず。かと言って、家に置いておくわけにも行かないので、外に追い出してしまい、のら牛が誕生します。

ジャイプールあたりでは、背中にコブのある白いのら牛が、食べ物を求めてごみ捨て場に群がっている姿など、かなり圧巻でした。大都会のデリーでさえ、道路の分離帯に堂々とのら牛が。頭の良いことに、両側を行き来する車で起こる風に、涼を求めているのでありました。

ヒンドゥー教徒は極端に殺生を嫌うのかな?
途中、前を行くトラックの運転が荒く、ちょっと道にはみ出てきたのら犬をはねてしまいました。あっという間に、私達の車も、犬の体を乗り越えてしまい・・ゴトンという鈍いイヤな感覚を今でも覚えています。すると、私達のドライバーは、スピードメーターの所に飾ってあった神様の絵に何度も触り、十字?じゃないけど、何度も胸の前で切っていました。まるで、不吉なコトを祓うかのように・・。

インド痛5 ~ジャイプール/アンベール城3~

2004年10月15日 | <インド痛> H17.9
アンベール城の入り口、「ガネーシャ門」。
このベージュの壁に、植物の染料で描いたという装飾が美しかったねぇ・・。

ガネーシャは、数いるインドの神様の一人。
象の頭をもった姿は、なんとも愛らしく、ガネーシャグッズはいっぱい売ってます。
かく言う私も、商売繁盛の神様でもあると聞き、おみやげに石のガネーシャを3体も買ってきちゃいました。

なぜにガネーシャは象の頭を持つのか?私の読んだ文献によりますと・・
ガネーシャの父はシヴァ、母はパールヴァティ。
父が留守の間に、母は自分の垢(なぜに・・)から子供を作りました。それがガネーシャ。
自分の水浴を息子に見張らせている間に、父が帰ってきて、見たことない男がいるんで、ばっさり首を切り落としてしまったと!
水浴からあがってきた母が、驚いて嘆き悲しみ、なんとかしてよーーとなじったところ、父は、じゃあ最初にここを通った生き物の首をくっつけると約束しましたと。

かくして、哀れ、最初に通った象さんの首を、ガネーシャにくっつけ、はい、めでたしめでたし・・となりましたとさ。
・・いいのかそれで!?って感じですわね。

インド痛4 ~ジャイプール/アンベール城2~

2004年10月15日 | <インド痛> H17.9
アンベール城の名物は、この「象さんタクシー」。
山のふもとから、てっぺんの城まで乗っけてってくれます。
どの象もお化粧がきれい!

たまに、プシャーッと音がして、冷たいしずくが足にかかる。
恐らくあれは、鼻水だったのでありましょう。
立ったままのうんちシーンも見ましたが・・
かなりの高さから落ちるそれは、どすどすと迫力がありました。

インド痛3 ~ジャイプール/アンベール城1~

2004年10月15日 | <インド痛> H17.9
一日目は夜遅くついたので、そのままデリーに1泊。
翌日は、デリーから266km離れた「ジャイプール」へ向かいました。

ジャイプールは、ピンクシティの名前通り、街中の建物がピンク色。
インドの建築物は、赤砂岩や茶砂岩でできたものが多かったため、
ここもそれでかな?と思ったら・・。
昔、イギリスの王子が訪問する際、歓迎の意でピンクに塗ったと。
お赤飯色はどこの国でも、おめでたい色なんでしょうか。

アンベール城はそのジャイプール郊外にある、山の上の城塞宮殿って感じ。
ジャイプールに首都がうつされる直前まで都だったところらしい。

ところで。
首都をうつしたのは「サワイ・ジャイ・シン2世」というマハラジャ。
インドでは、名前を聞いただけで、その人がどのカーストに属するかわかっちゃうそう。
そしてそのカーストによって、就ける職業も決まってきちゃうと。
この「シン」という名前の人は相当上の方々なのでしょう、あちこちで目にしました。
デリーの良いホテルの女性コンシェルジュ、空港の税関係員、そして現在の首相、外相も
「シンさん」なのでありました。


インド痛2 ~インドの音~

2004年10月12日 | <インド痛> H17.9
外国、に関わらずかもしれませんが、知らない街へ出かけると、その街特有の音がすると思いませんか?
今回のインドは、残念ながら音を語れるほど、のんびりできませんでした。ちょっと国的にやばそうな気がしたので、パッケージツアーに申し込んだため、自分の足で歩くのではなく、車で連れ回される旅でした。
と言っても、私達2人にインド人ガイド1名&ドライバー1名で、Ford車1台貸切の、まぁ融通のきくツアーではあったのですが。

ツアーの内容は、北インドのメイン3都市「ジャイプール、アグラ、デリー」を駆け足で回るもの。都市間は車で5~6時間もかかるんです。
よく知らなかったけど、インドは西ヨーロッパくらいの広さなのね。しかも人口は10億!!

なわけで、今回はほとんど車での移動だったため、一番、心に残る音は”HORN”、クラクションでした。
写真はトラックのお尻。必ずこのように、”Blow Horn”もしくは”Horn Please”と書いてあります。トラックやバスは遅いので、追い越したければ右から追い越す際に、ブブーーと鳴らしてくれ、じゃないとわかんねーよ、というわけ。実際、Hornを鳴らさないで右から越そうとすると、ががーっと幅寄せられます。サイドミラーなどついてても、用足りてるとは思えぬ。・・それともわざとだったのかな。

インド人は音にのみ敏感なのでしょうか。常にお互い、ブブーブブーと鳴らしっぱなしでしたね。
逆に、デリーなどの街中では”Horn禁止”の標識があったりしましたよ。


インド痛1 ~なぜにインドでなければならなかったのか~

2004年10月09日 | <インド痛> H17.9
インドへ行って参りました。
もう3週間ほど前のことです。
「インドへ行く」と言うと、誰もが「いんどぉ!?」と
突拍子もない高音で反応しました。
いくら、毎年どこか海外に出ている私でも、インドという場所は意外だったのでしょう。

春までいた東京での友達に、いつか一緒に海外へ行きたいと言われてました。
そうねそうね、でフツーは終わったのかもしれませんが、彼女は有言実行の女。
(今回の旅でよーくわかった)
北海道に戻ってきた私に、さらに彼女からの強いアプローチがあり、
近場のアジアあたりならいいですよぉと答えたところ・・・
インドを持っていらっしゃいました。。

がしかし、私はそのお誘いに、思い切り食いついてしまったのです!
こんな機会でもなければ、絶対に行くことのない国。
夫やうちの家族が、インドに行きたいなんて思うはずがないし、
私自身、いつかはタージマハルくらい見たいな、程度の気持ちを
もっていました。

インドは、そんなお気軽な私に、きつーいお灸を据えてくれました。
エスニックな食べ物大好きなのですが、帰ってきた頃は香辛料の香りはおろか
道端で濃い~顔の男を見ても、うっぷとなったくらい。
最近は、ようやく「インド痛」も癒え、楽しかった思い出として語れるように
なってきています。

”Incredible India”
この写真は、帰りの空港にあった看板。
自国をよーくわかってるじゃないですか・・
まったくもって、インクレディボーな国でしたよっ!