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NYAMA's BLOG

ダルメシアンのCARAと、ぬくぬく3匹暮らし☆

インド痛17 ~インド病患う<後編>~

2004年10月31日 | <インド痛> H17.9
アグラから車で6時間、ほとんどシカバネ状態でデリーに到着。デリーのホテルは、インド到着時と同じ“タージ・パレス”でした。国際会議も行われるコンベンションホテルなので、提携している医者も一流のはずとヴァルマさんが言い、数時間で部屋まで来ていただけることになりました。

やって来たのは、ゴールドのサリーが素敵な年配の女医さん。さぁ、何があったか言ってごらんと英語で聞かれ、それだけで私は安心しました。ヴァルマさんとO嬢に外に出てもらい、お腹を押して、特に異常がないとわかると、嘔吐、下痢、発熱用の薬をくれたのですが、水色やらオレンジの大きなタブレット!(後で気づいたのだが期限切れ)日本入国時に麻薬と間違われることもあるそう。この薬がかなり強かったのでしょう、一晩で効いて、翌朝にはけろっと治っていました。

病気を診てもらうより、私達はこの女医サンにクギづけでした。サリーも素敵だけど、ダイヤの指輪にルビーのピアス。インドで医者の位が高いのは、その姿だけではなく、ヴァルマさんとの会話の様子でよくわかりました。保険会社提出用の診断書を書いてくれている間、とうとうO嬢は我慢できず、ビデオを回してしまいました。

そんなやり取りの最中、女性コンシェルジュが、ホテルから・・と赤いバラの花束を届けてくれたのにもビックリ!かなり上質のバラで、花瓶が要らないよう立つような細工がしてありました。
そのコンシェルジュがまた絶世の美女で!一緒に写真を撮りたかったわぁ。

インド痛16 ~インド病患う<前編>~

2004年10月31日 | <インド痛> H17.9
アグラの観光を終え、ホテルで民族音楽を聞きながらの夕食。ここまで私は元気でした。
夕食後、これまで撮ってきたビデオを見てみることに。揺れている映像が多いので、私はこれが良くなかったと後で思っていたのですが、O嬢曰く、この時私は既にイライラして「おかしかった」そう。
インドの映像に悪態つくわ、ガイドのヴァルマがむかつくと。
(実際、そうだったのだが)

寝る頃、何となく腹痛がしたのですが、夜中、吐き気で目が覚め。それからは、一時間おかずに嘔吐、下痢の繰り返し。頭はぐらぐら、ベッドに戻るのも面倒で、このままバスルームで横になりたい(バスルーム広し)と思ったほど。結局、一睡もできませんでした。

本当は、翌朝、これまでのように、車でデリーへ6時間ほどかけて移動のはずでしたが、とてもそんな体ではない状態。熱も38度以上に上がってしまいました。O嬢はすぐに機転をきかせてヴァルマさんに相談。ホテルで昼まで休ませてもらい、それからデリーへ移動することになりました。本当はその日、デリーの観光だったのですがボツ。お腹には自信があったので、自分がこんなことになってとてもがっかりしました。

私が寝込んでいる時、ヴァルマさんがO嬢に、インド版“ポカリスエット”の作り方を伝授してくれました。用意するものは、まずカフェ等でミネラルウォーターを注文。それと、そこにある砂糖、塩、そしてライム数個。これらを水に混ぜると、本当にポカリの味になるんです!ライムをたくさん入れた方が美味しい。これに私はとても助けられました。旅先で病気になった時に使えるテです。

O嬢は何本、この特製ポカリを作ってくれたかな。一人で食事に行っては、フルーツとポカリの材料をせしめて来てもらいました。
ある時など、材料のライムが1個しかなかったと。ボーイを呼んで、ジェスチャーで、「これを(ライムを)こうで(半分にカット)こう(4つ丸を作って4個分8ピースくれの合図)。」と説明したそう。ボーイも真剣な顔で、同じく、これをこうでこうね、と確認してったと。
持ってきてくれたのは、1個を4つに薄切りスライスしたライムだったとさ。

インド痛15 ~アグラ/アグラ城~

2004年10月31日 | <インド痛> H17.9
3代皇帝アクバルに建てられた城塞。
ここもまた赤砂岩でできた城で、外観の雰囲気にはもう飽きてしまっていました。
今でも、順を追って映像を見ていかないと、どこが何だったかわからなくなっています。

それより、この高台の城から見た、タージ・マハルの姿が忘れられません。ヤムナー河の対岸に建っているのですが、後年、5代皇帝シャー・ジャハーンが、息子のアウラングゼーブに幽閉されてここで亡くなったというのを聞いていたので。せめて、最後はムムターズ・マハルと一緒にお墓に入れてよかったね、という気持ち。

それにしても、私はビデオカメラ持参だったのですが、どこの遺跡も、必ず持ち込み料が取られるのにはムカついたね~。けっこう高い。普通のカメラにはかからないのですが。

インド痛14 ~アグラ/タージ・マハル~

2004年10月31日 | <インド痛> H17.9
アグラのメイン、“タージ・マハル”は、思ってたより大きかった!
これは、ムガール帝国5代皇帝、シャー・ジャハーン(これも世界史出たねぇ)が寵愛した2番目のお妃、ムムターズ・マハルのために建てたお墓。
白亜の大理石の霊廟は、下が八角形で、上にドームがのっています。近づいてみると単に真っ白な大理石ではなく、貴石をはめこんだ草花模様がついていたり、コーランのセリフがそのまま象嵌細工になっていたり。ついつい、見上げて見入ってしまうすばらしさでした。
汚れがなくきれいなワケは、その気の使いよう。まず、タージ・マハルまでたどり着くのに、途中、車を降りて電気自動車に乗り換えさせられ。帰りは馬車で戻りました。白い霊廟が汚れないように、ガソリン車は近づけない。また、工場も周囲何キロかには無いとか。

内部は意外と小さく、ムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの棺が安置されていました。

写真は、門をくぐって、ムガール式庭園とその先にあるタージ・マハール。
よく本やテレビで見る姿には人は写ってないけど、実際はものすごい人!!インドじゅうから集まってきたって雰囲気。
ガイドブック曰く、勝手に横でガイド始めて、後でお金を要求するような人がいるから気をつけるようにと。二人で上まで行ったら、「一緒に写真を取ってほしい」という人が近づいてくる。無視してたら、本当に記念写真を取りたかったようで、他の日本人や西洋人に声をかけて撮ってもらっては喜んでいました。田舎からアグラに観光にきて、本物の外国人を初めて見て、記念写真とって帰る・・みたいなおのぼりサンが多いのかな。

そういえば。
門をくぐる前に、男女別れての手荷物検査があって、電池のついた物などは没収されます。すんなり中に入ったけど、なかなかO嬢がやってこない。彼女は海外旅行荷物が重装備な人で、「飛行機が落ちたときのために」とミニ懐中電灯を持っていました。どうもそれが引っかかったらしく、係官に止められたのを無視して入ろうとして、捕まったらしい。。
ちなみに彼女は「飛行機が落ちたときのために」グッズとして、トランプも持ってきていました。

インド痛13 ~アグラ/ファティープル・スィクリ~

2004年10月31日 | <インド痛> H17.9
アグラは、100年に渡って栄えたムガール帝国の首都。一番有名なのは、やっぱりタージ・マハルですが、その前に、アグラ郊外にある“ファティープル・スィクリ”という遺跡を訪れました。
子供に恵まれなかったアクバル大帝(世界史で習ったよねぇ)に、聖人の予言通り世継ぎが生まれた時、喜んでここに都を建てたらしいんだけど、水不足の地域で、14年でまた遷都しちゃったらしい。短期間の城跡ですね。

ところで、ジャイプールからアグラまでは車で約6時間。
その間、車の中で何をしているかと言うと・・とにかくガイドのヴァルマさんがよくしゃべってた。最初はそれをふんふんと聞いていたのですが、だんだん重たく感じるようになって行き。日本語が堪能ではありますが、ちょっと聞き取りにくいので神経を集中するため、とても疲れる。しかも、頼みもしないのに、自分は日本の歌をよく知ってる、と郷ひろみやら松田聖子の歌とか歌い出すし、私達にも何か歌えと強要する。「うざい」以外のナニモノでもないでしょ。
途中、簡単ヒンディー語教室が始まり、それはちょっと楽しかったのですが、少し経って「復習」を強要するのもウザすぎた!しかも、全く頭に残ってない!キョーミがないってこういうことねと実感しました。

ちなみに、同行のお友達O嬢は、ヴァルマさんの説明が長ったらしく聞き取りにくくなってきた途端、急に静かになり。がっつり寝込んでいらっしゃいました。

インド痛12 ~サモードパレス~

2004年10月30日 | <インド痛> H17.9
インドより帰国して一ヶ月。痛みはいろんな思い出に変わりつつあります。

ジャイプールでの宿泊先は、さらに少し離れたサモード村にある「サモードパレス」でした。“パレス”はたくさんあったけれど、本当にマハラジャの宮殿だったところをホテルとして使っているのはそう多くありません。
実は、パックツアーの名称が『5つ星宮殿ホテル・サモードパレスに泊まるインド周遊』みたいな感じで。たった1泊とは言え、恐らく今回のメインだったと思います。でも、ホテルに着いたのは夜更け。たぶん、ホテルの中を散策したらかなり楽しかったと思うのですが、とてもそんな時間はありませんでした。レストランで遅い夕食をとり、翌日は早朝出発だったので、せめて、外観の写真を撮ったり、朝ご飯をルームサービスしてもらったり・・そんな程度で終わってしまったのは、本当に心残りです!

時間がなくなったのは、結局、自分達のせい。観光に組み込まれているショッピングにちょっと時間をかけすぎてしまったため。
ジャイプールで連れて行かれたのは、宝石屋と布地屋。宝石屋は、尋常じゃないゴーージャスなものばかりで、単に目の保養だったのですが(といっても小物購入)。布地屋は相当楽しく、サリー用のシルクを巻いてみたり、おみやげをあれこれ選び。途中、ドリンクを勧められるのですが、なぜか私達には“キング・フィッシャー”というインドビールを出され。これがなかなか、甘くてシャンパンみたいに美味しく!まんまと上機嫌になり、さらに買い物は進みました。。
ちなみに、インドはお酒が飲めない、といろんな本にありますが、州によって法律は違うらしく、ラージャスターン州はOKなんだそう。

まぁ、楽しかったから、ホテル滞在時間が短くなったのもしゃあない・・ということですね。

インド痛11 ~ターリ~

2004年10月25日 | <インド痛> H17.9
久しぶりにインド話しをひとつ。
この写真は「ターリ」と言い、元々は「大皿」を意味します。すなわち、大皿にのっかってくる料理をターリと呼ぶわけ。よく、日本のインド料理屋で、こういうカレーのセット見るもんね。あれがターリ。
銀の小さい器には、豆のカレーだの野菜のカレーだの、あと、タンドリーチキンものっかってきます。カレーの中で意外に美味しかったのは「ヤギカレー」。前も言った通り、ヒンドゥーでは牛を食さず、また、イスラムでは羊を食しません。
そんなわけで、中をとって「ヤギ」なんでしょうか。。

辛さにはめっぽう強いので、たいして辛いとは思わず。ナンはウマイし、二人ともばくばく食べてたら、今までこんなに食べてくれた日本人はいなかった!と、ガイドのヴァルマさんが喜んでました。意外に辛くないと言ったら、厨房にお願いして生の青唐辛子をいくつか持ってきてもらい。おそるおそるかじってみると、そうでもないな・・と思った1分後。
ハァーーーーッという何かが訪れました。

その後は、予定通り、ターリの中で最後に食べろといわれていた、まん丸の甘いお菓子「グラーブ・ジャムーン」を口にほおばり中和。はちみつシロップ漬けドーナツみたい。
甘すぎるお菓子はこういうためにあるのね。


インド痛10 ~ジャイプール/シティ・パレス~

2004年10月18日 | <インド痛> H17.9
マハラジャが、ジャイプールの街中に作った宮殿、シティ・パレス(まんまや)。今も建物の一部が王族のお住まいになってて入れないところがあります。正装した衛兵は、どちらかというと、チップもらって一緒に写真撮るためにいる人たち。
ほとんとの建物は博物館で、デブチビのマハラジャの豪華な衣装とか、細密画がたくさん飾ってありました。インドの細密画はなんか面白い。とても気に入り、絵葉書を買いました。

空港のお土産ショップで、細密画の画集があり手にとってみると、ナントそれはいわゆる春画集。マハラジャとハーレム女性のそういう絵ばっかりなんです。空港にこういうものがわざわざ置いてあるあたり、やっぱインドはむちむちしてんなーと思いました。

インド痛9 ~ジャイプール/ハワ・マハール~

2004年10月17日 | <インド痛> H17.9
ピンク色のハワ・マハール(風の宮殿)は、ジャイプールのランドマーク。私達は、道路から概観しか見れませんでしたが、内部は奥行が10mもない、5階建ての映画セットみたいな建物だそう。
宮廷の女性達が、中から外のバザールを見渡せるよう、格子スクリーン状の窓だったみたい。この、石の透かし彫り技法は、いろいろな建物で見ました。風の通りが良い上に、外部から見えにくいってことも重要だったと思われます。女性はあまり姿を見せちゃいけなかったので・・。


インド痛8 ~仲むつまじい男達~

2004年10月17日 | <インド痛> H17.9
男女カップルは見られなかったけど、男性同士が仲よく手をつないでいる姿を何度も見ました。年齢問わず老いも若きも。でも、彼らは決してゲイではないそう。仲が良い男達はそれが普通らしい。
写真の二人はちょっと一瞬離れた瞬間なので、連行っぽいけど違います。でも、たまに、遺跡の端に二人並んで寝てたりするのは・・絶対、恋人同士だったに違いない。

ところで。
インド人女性は、ミスユニバースになるくらい美しいけど、なんで男性はキモイんだろ。私が、濃い顔が苦手だからそう思うのか?
有名な俳優が何人かいるけど、男優サンはあり得ねーって感じでした。