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NYAMA's BLOG

ダルメシアンのCARAと、ぬくぬく3匹暮らし☆

イタリア魂32 ~最終話 『スリこそイタリア』~

2006年05月01日 | <イタリア魂> H17.9
上海のお話しを終えたばかりですが、一部の読者の方に「ところで“イタリア魂”はアレで終わったの?」と聞かれておりました。
時系列的にはオシマイだったのですが、確かにキリが悪かったため、最終話をお届けしようと思います。
話題はやっぱり、“スリ”。
“イタリア魂”は、2005年9月の、夫の両親との旅行記ですが、最後にお送りするのは、その前・・2003年9月に、私の両親と妹、夫の5人で、イタリア・ローマからドイツへ北上した際のお話しです。

ローマの地下鉄路線の中でも、“スペイン階段”→“テルミニ駅”区間は、スリ頻発区間の一つといわれています。
事件は、一日目のローマ観光を終え、スペイン階段から、テルミニ駅近くにとったホテルへ戻ろうと、地下鉄に乗車した際、起きました。


電車を待つ間、ビデオ係の夫は、暗いホームや落書きだらけの列車を、すごいすごいと撮影しまくっていました。彼も、両親同様、イタリアは初めて。
首からビデオをぶら下げ、まんまオノボリさん状態

一本目の電車は、夕方ということもあり、かなり激混みだったのでやり過ごし、次の電車を待つことにしました。運よく、次の電車は空いていました。
ギリギリまでビデオを回している夫に、「もう、切りなさい」と声をかけ、ドアの前に立ちました。
順番は、母、父、を守るように妹、その後ろから私と夫が横並び。

ドアが開く間際、何となく、イヤな気持ちになりました。さっきまで空いていたはずが、ドアが開く直前、中にいきなり人がいっぱいいるように感じたのです。
どいてよ、降りるわよ!という雰囲気で人がどやどや降りて来て、私達は、乗れなかったら困る!と、人に揉まれながら中へ入って行きました。
私は、何となく気味が悪い感覚があり、自分のショルダーバッグ口をしっかり握っていました。
・・体を、誰かにペタペタ触られているような気がしたからです

必死で乗り込んだ次の瞬間、振り返ると、目の前で、こんな光景が繰り広げられました・・

「危ないっ!」と叫ぶ妹。そして、何かを拾い上げる!
イタリア女の罵声。
振り向くと、夫と、ビール片手に赤ん坊を抱いたイタリア男が睨み合っている。
そして、周囲のイタリア人達が無言で見守る中、閉まりかけた電車のドアから、女を含め、3人のイタリア人が降りて行きました・・。

ナニゴト!?という感じでしょう?

今度は、夫の目から今のシーンを追ってみると・・こうなります。

電車到着。
どやどや人が降りて来た。激混みではあるが、実は自分はまだ、カメラを回している。
とりあえず、このまま、中に入ってしまおう・・。


--彼は左利き。カメラは右手に持ち、映像には、父の背中のリュックが映っています--

一瞬、左モモを何かがスッと触れた感覚があった。
咄嗟に、利き手で自分のポケットに、パンと触れてみたら・・
サイフがないッ



次の瞬間。夫が、すれ違ったイタリア女に、いきなり、後ろから抱きつきました
叫ぶイタリア女

そして、下にバサッと落ちたのは・・夫の札入れ!
「危ないっ!」と妹が叫び、そのサイフを拾い上げました。
前日、彼女はちょうど、夫のサイフを見て、可愛いねぇ~と話題にしたばかりだったので、落ちたのが夫のサイフだとすぐ分かったのです。
でも彼女はその時、なぜ、サイフが落ちたのかについてはわかりませんでした。ただ、とっさに拾ったまで。

夫が女を離し、ぎりっと睨みつけました。すると実は、女の他に、ドアの横でビールを持ってこちらを睨んでいる男がいることに気付きました。こいつにビールをかけられるかな?と一瞬、思ったそう。でも、思い切り、睨み返してやりました。
そしてさらに、ドアのすぐ傍に、もう一人、見張りの男がいるとわかったのです。
彼らは、3人のチームでした。

夫とスリ3人、そして、両手でギッチリ財布を握っている妹・・の相関図。
振り返って見た私にとっては、一体、何が起こったのか?咄嗟には、分かりませんでした。

仕事をしくじり、悔しいものの、こんなんで警察を呼ばれてはマズイ・・と、3人は立ち去ったのでしょう。
電車のドアが開いてから閉まるまで、ほんの数分の間のデキゴトでした。



夫が、のんきにビデオなど回しつつ電車に乗ったことにはムカつきましたが、それ以上にいつものクセで、ズボンの左ポケットに、ペロンとサイフを入れていたなんて海外でしかも、スリの巣窟、イタリアはローマで
こんな、マヌケなことがありましょうや

しかも中には、現金・・ユーロばかりか日本円、クレジットカード全てという全財産
父母には、ああしろこうしろと言っておきながら、何という失態
後からわかって、呆れ、驚いたのは言うまでもありません。
旅の一日目でアレを全部、捕られていたら・・旅はめちゃめちゃ。ひどい思い出になっていただろうと、今、思ってもゾッとします。

ですが。
一番、驚いたのは、その実行犯、「女スリ」でしょう。
たぶん、彼女はまず、私をねらい、ペタペタ触ったのだと思われます。スキがないと分かると、すぐ横で、へらへらとビデオを回している男のポケットに手を突っ込んだ。すると、ラッキー!サイフが
さっすが、のーてんき日本人!・・と、ニッコリ去ろうとした途端。いきなり、その男に抱きつかれたんですから!
驚いて、サイフも落としてしまうでしょうて
見た目は、ぽよよんとしてるけど、意外に野生感度が高いんです・・うちの夫

電車が走り出し、スリからサイフを取り戻して緊張がほぐれた途端、私達はゲラゲラ笑い出しました。
「何やってんの、全く!」って。
周囲のイタリア人達は、呆れてみてたと思います。のんきにスラれ、オオトリモノを繰り広げたと思ったら、大騒ぎして笑ってる・・。
ホント、日本人はお幸せモンだと。

ホテルに戻り、そういえば、回していたテープはいつの時点で切ったんだ?と言うことに。
再生してみると・・
まず、電車のドアが開く直前の映像に、女やビール男が映っていて、男はこちらを見ていました。獲物にターゲッティングしてる感じ・・。
そして、ドアが開き、父のリュックの後ろ姿がしばらく映った後、画像が急にガタガタッと乱れ、ピーーーーーッという感じで、真っ暗に!
・・あまりに生々しい、すっごくコワイ映像なんです!
夫は、無意識にビデオを離し、女に抱きついたことがわかります。

その後、ゲラゲラ笑いながら、今、ちょっと前に起こった事件を再現して見せてる私達の映像があるので、まだ許せますが・・。
ほんとにシャレんならない、「カメラは見た!」的映像が残っていました。

今、思っても、スリからサイフを取り戻すなんて、一体、何パーセントいるだろう?と。絶対、返ってこないのがフツーでしょう。
この間、私もスリにやられてみてわかりました。あの、一瞬、「チ」と触れられた感覚に対して、反射的に「スリだ!」なんて、絶対、反応することは不可能です。
改めて、夫の研ぎ澄まされた“野生感”ってスゴイなぁと感心しました。
あの事件以来、我が家では、彼を 『機敏なデブ』 として称えています



ご参考になりましたでしょうか。
今のところ、我が家のイタリアにおけるスリとの闘いの勝敗は、
『1勝(夫)、1敗(義理母)、1引き分け(私)』と言ったところ。
これ以上、記録を更新したくはないものです・・。

他にも、他人がスリにやられて慌てふためく様を、いっぱい見ています。ガイドブックなどに出ている事例通り。ヒトゴトではありません。次はアナタです!・・と、冗談抜きで言えるくらい、イタリアは、気をつけていてもスリに出会えちゃうトコロ。

それでもやっぱり、イタリアは大好き!こんな部分があったとしても、イタリアの魅力にはかなわない。また、すぐ行きたくなってしまう・・。
スキを作らず、スリにも負けず、これからも、たくましくイタリアを旅したいものです

~おしまい~




イタリア魂31 ~ROMA 『スリに遭う Part2』~

2006年03月12日 | <イタリア魂> H17.9
午前中にローマのホテルをチェックアウトし、テルミニ駅へ歩いて向かう途中、またもスリに遭いました。今度は、子供の・・というか、ファミリーのスリ集団。
小さい道ではなかったんです。大通に出てからの事件。

通常、私達は、夫-父-母-私・・と言う順に、縦一列に並んで歩いていました。大きなスーツケースは男性2人がゴロゴロ引き、私達は自分の手荷物くらい。
特に急いでいたわけではないのですが、私達は早足で歩いておりました。
ちょっとのタイミングで、石畳にスーツケースの車輪が入り、男二人が手間取った・・一瞬の隙に、母がすっと二人を抜き、先頭を歩き始めてしまったのです。
母は、意気揚々、タッタと前に行きたい人。そういう性格なんだなぁ・・というのは、バチカンで大行列に並んでいる時、判明しました。ちょっと気をぬくと、大きな外人の間を縫って、すすっと前に行ってしまうのです。勝手に前に行くなと言ってもダメ。逆に、こっちこっち!と呼ばれる始末。
・・まぁ、一般的「オバチャン」なワケです。

彼女は意気揚々、先頭を早足で歩き始めました。
ちょっと私達との間が開き始めたと思った時、あっという間に、スリの子供達に囲まれてしまったのです

「お母さん!」「止まって!」と後ろから叫ぶも、彼女はまるで何も聞こえないかのように、ただひたすら、日本でやるがごとく、ついて来る子供達と目を合わさないようにして、早足で振り切ろうとしたのです。・・一番、まんまとやられるタイプ

子供達の中に、母親らしき女がおり。腕が隠れるくらいのダンボール片を持っていました。あれで、自分の腕を隠しながら獲物に近づき、モノをするという、大層、古典的な手法です。でも、その母親は、そんなにうちの母に近づけていない気がしたので、こちらもあまり焦ってなかったかもしれません。

ようやく私達が母に追いついた時、たくさんいた子供達と母親は散り、一人だけ、とっても可愛い女の子が残っていました。そして、自分の上着をめくってお腹を出し「私、何も取ってない、食べ物ちょうだい」と身振り手振りで懇願するのです。
オトリです。私達の注意をひきつけておいて、他の仲間を逃がすという・・。日本では使うことのない、罵声を浴びせかけてやりました

お母さん、何で止まらないの!?と言うと、「もう、頭ん中が真っ白で・・」と。
何か捕られたものない!?と、母のたすき掛けショルダーバッグを見ると、オーマイガッ!またも、ファスナーがパッカリ開いている!
二度と見たくなかった光景。しかも、何となく、中がスカスカしている!

みんなで覗き込むと、母はバッグの中に手を入れ、一言。
「化粧ポーチがない・・」

どっかの景品でもらった物だから、問題ないとのこと。・・スリのやつ、またも“スカ”を掴んでしまったわけですな。
彼女は、ショルダーバッグの中にはサイフを入れておらず、背負っていたリュックの中でした。スリとしては、物を取り出しやすいショルダーにサイフが入っている・・と思うんでしょうね。
それにしても、誰がポーチを捕ったのか?
母親はあまり近づいてる風じゃなかったので、子供の一人が抜き取って、母親のダンボールの下にパスしたのか・・?
スリの手法って、いつもプロフェッショナルね

母は、ちょっとクリスチャン顔になり「あの子達があの化粧品を使ってくれるならいいわ」・・と。
「金じゃない」と思ったらすぐ捨てるよ、と夢を壊した私達。
まぁ、彼女も、帰りの免税店で、ブランドの化粧品を買ってもらったので、良かったのではないでしょうか。

スリに囲まれるなんて経験は、平和な国にいたらちょっとないので、頭が真っ白になったのも無理はありません。でも、「お母さん!」という叫び声に反応しにくくなっているというのは、意外でした。
子供がまだ小さい母親なら、敏感に反応したのかもしれません。子供の面倒を見なくて良い歳になったら、ああいう場で「お母さん」は耳に入らないのかもね。

ローマの観光が終わり、テルミニ駅のホームをダッシュで電車に乗らなきゃならなくなりました。ホームは恐ろしいほど長く、心臓の弱い母には酷でした。
先頭を夫が走り、その後を私、母、父・・と走っていたのですが、母はまたも頭が真っ白になり。前を行く私達を見ずにひたすら走り、二股に分かれた道で、違うホームへ走りこんで行きました・・。

お母さん!とまた呼びましたが、全く気づかず。
「○○○ヒロコさん!」とフルネームで叫ぶと、ハッと彼女は止まりました。
病院とかで呼ばれ慣れてるからかな。今度からは、これで行こう

それにしても・・二度もスリに狙われたこのバッグ。絶対にこんなの、海外に持ってっちゃいけませんよッ。

再び登場。すっかり悪者オーストリッチ。

イタリア魂30 ~ROMA 『コロッセオから真実の口まで』~

2006年03月12日 | <イタリア魂> H17.9
荷物をようやく預け、地下鉄B線に乗り込み、コロッセオ駅で下車。
天気に恵まれてきた私達でしたが、コロッセオの中に入る行列に並んでいるうちに、とうとう雨が降り出しました

始めは、たいしたことないかな・・と思っていたのですが、コロッセオは“屋根なし”の観光地なので、最後はザーザー降り出し、かなり濡れてしまいました。


ヴェローナのアレーナに似てるけど、こっちの方が格段に大きい。
中の様子を見たのは久しぶりです。ここは、映画「グラディエーター」の世界。人間同士、または人間と猛獣の死闘がくり広げられていたという・・。
地下の迷路のような部分が、猛獣の檻になっていたんでしょうね

古代の石が無造作に転がってる

コロッセオと接して、古代ローマの中心地だった「フォロ・ロマーノ」という地域が広がっています。
廃墟を突っ切って行きたかったのですが、雨で足元が気になり、外側をぐるりと回ることにしました。外側からでも、何となくフォロ・ロマーノは見渡せます。


          元老院                 さりげなく建つ交番は、ちょっとしゃれてる


ケーキやピアノに例えられる「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」と、「市庁舎」



コロッセオ建築の参考にされたと言われる「マルチェッロ劇場」
そのすぐ近くのカフェで遅めのランチをとることにしました。
入ってから知ったのですが、その「アンティコ・カフェ」は、1886年創業の由緒正しい老舗カフェでした。パスタ等のメニューもけっこう充実していて、なかなか美味しかったです。
何と言っても、そこの名物は、ボーイのお兄さん。金髪、思いっきり白人顔なのに、ヘンな日本語を話すんです。いっぱい、日本人客が来て、覚えたのでしょう。
チップをはずんであげたかったのだけど、ユーロをぎりぎりに残していた私達は、ご飯代分くらいしかお金がなく。支払って、そそくさ逃げるように出てきちゃった。
サービスが悪かったんじゃないのよぅ、お兄さん。

そして、最後のメイン観光地、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」へ。
予想通り、口に手ぇ突っ込む目的の人達の長蛇の列。
私達には、並んでる時間がなかったため、外の柵のところから、タイミングを見計らって写真撮影しました。


教会の前の柱廊左奥に「真実の口」があります。
もともと、古代ローマのマンホールの蓋だったらしい。ちょっと怖いおっさんの顔は、海の神様“トリトーネ”です。
どーりで、ヘアスタイルがもしゃもしゃ。たぶん、コンブね

雨の中、「チルコ・マッシモ」という、古代ローマで4頭立て戦車レースが行われた競技場横を通って、帰りました。

ここは映画「ベン・ハー」の世界

イタリア魂29 ~ROMA 『一番、行列したとこは・・』~

2006年03月11日 | <イタリア魂> H17.9
10月2日(日) ついに途中から

ついに日本へ帰る日。夜のフライトだったため、昼間は最後の観光に出かけました。
その前に、ホテルをチェックアウトして、荷物を鉄道のテルミニ駅に預けてから行動しようということになり。ゴロゴロ荷物を引いて、駅まで歩いて行きました。
そして途中、『スリ・第二弾』に出くわすわけですが・・その話しはまた今度。

テルミニ駅は、いつの頃からかリニューアルされ、とても立派になりました。恐竜の肋骨みたいな外観は同じですが、中に入って、近代的になったことに驚きます。特に、地下街が充実。テルミニ駅の公式HPがあるほど、見るとこいっぱいってことね。
荷物を預けようと行った先には・・先っぽが見えないほどの、長蛇の列。
預かりは、空港のようなセキュリティを通した後、“配膳エレベータ”みたいのにのせ、どっかへ自動的に運ぶ仕組み。ちゃんとシステマティックなのに、何ゆえ、こんなことになっているのか?
夫が、行列の一番前まで見に行って、原因を突きとめてきました。
「係員がちんたらやってる」と

荷物を受け取り、交換のためのレシートを切り取り、渡す。たったそれだけなのだけど、「休みの日に、何で俺がこんなに働かなきゃならないんだ」と、ボヤきが聞こえてきそうなほど、むったりした表情で、のろのろとやっている。どんなに行列の人数が増えようが、さっさとさばこうという気持ちなどなさそ。
結局、1時間半、並ぶはめになりました。今まで、いろんなとこで並んだけど、ここほどひどいところは無かった。

それにしても、こういうシーン、あちこちで見た気がします。
イタリアは、ユーロが導入され、物価が高くなって、観光客にはちょっと「お得感」が薄れました。でもその分、国としてはリッチになって、お金をいろんなシステムにつぎ込んで近代的になり、外国人観光客の受け入れもスムーズに行く仕組みが整って来ているはずなのに・・
「人」がついてってない印象。

ユーロの影響で、イタリア人自身もリッチになったのかと思いきや、全然なのだそう。私達、外国人が物価高を感じる以上に、イタリア人も感じているみたい。月給は上がらず、物価だけが2倍に跳ねあがっちゃった!みたいな
ヴェネツィア行きのバスの中で、ガイドさんが言ってました。高級ホテルの従業員のサラリーが、日本円にして15万円程度だと。夏は日焼けしたいのに、ヴァカンスに出かけられなくなって、ベランダで甲羅干ししたり日焼けサロンが流行りだって。

ユーロを導入したら、国も人の生活も良くなるもんだと思っていたのに、そのギャップを悶々と感じているであろうイタリア人。わいわい入ってくる観光客のことを、ちょっと腹立たしく思っても仕方ないのかなぁ・・などと感じてしまいました。

確か、トリノオリンピックでも、いろんなところで大行列ができていたと・・。
何となく、想像がつきますね。

イタリア魂28 ~ROMA 『サンタンジェロ城からナヴォナ広場へ』~

2006年03月06日 | <イタリア魂> H17.9
そろそろ、ローマから帰って来る気になりました。(遅ッ)
じゃないと、次の旅に出られない・・という前に、香港に行って帰って来なきゃいけないし。
そうなんです。せまってるんです、次の旅。なので、とり急いで頑張るよ!

さて。
ヴァチカンを出てからの、ローマ市内観光の続きについてお話しをします。
ヴァチカンのあるサン・ピエトロ広場から続く太い通りをテヴェレ川に向かって歩くと、“サンタンジェロ城”にぶつかります。
サンタンジェロは、セント・エンジェルの意味。城の日本語訳名は“聖天使城”です。ペストが流行った折、大天使ミカエルが城の屋上に現れ「もうペスト終わるよ」と告げたとか。

ヨーロッパで「城」というと、きれいなイメージですが、ここはなんだか荒々しいゴツゴツした建物に見えます。非常時には法王様が逃げ込む城塞になったり、牢獄になったり。
以前、中に入ったことがありますが、廊下などちょっと暗くて怖かった。
歴史が現れているって感じですね。

正面のサンタンジェロ橋には人がいっぱい!

テヴェレ川にうつる姿はなかなか素敵。川沿いを歩き振り返ると、遠くにヴァチカンのサン・ピエトロ寺院が見えます。



橋を渡り、しばらく行くとぶつかるのが 『ナヴォナ広場』。
ローマには広場がたくさんあるけど、私がけっこう好きな広場です。
楕円形をしているのは、昔、戦車競技などが行われていた場所だから。一言で“昔”と言っちゃいますが、「紀元1世紀」です。
・・ホント、ローマは古さがハンパじゃないのよ。

広場として整備されてからは、内部の3つの芸術的な噴水を中心に、周囲にはカフェが。庶民の広場・・という雰囲気がとても良いです。

ベルニーニ作ムーア人の噴水がお気に入り

以前は、ローマに関わらず、至るところ似顔絵描きばかりだったけど、今は、イタリアの風景画を売る人達が多いです。べらぼうに立派な油絵とかじゃなければ、小さい絵など、けっこうお手ごろ価格。
私や両親も、ヴェネツィアで気に入った絵を買いました。2種類買ったら、ちゃんとおまけしてくれました。


大道芸人はなかなか!でも、スリにはご注意。

バテ気味の両親を励まし『パンテオン』へ。
円形、ドーム型の万神殿。内部には、ラファエロや、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のお墓が。。


上部には小窓があり陽の光が差しみます

広場も多いけど、噴水も多いローマ。水道が整備され、水が豊富にあったことがわかります。
地下鉄バルベリーニ駅にある“トリトーネの噴水”(左)と、“蜂の噴水”(右)。これらもベルニーニの作品です。
蜂の噴水に至っては、馬の水のみ場だったらしい。



歩きに歩いて、本当にバテバテな両親。
何とか歩かせるため、特に体力のない母に対しては、次に向かう場所が“ローマの休日”のどの場面のロケに使われたかを教えながら、何とか頑張って歩かせました。母はその度、「まぁ素敵!」を連発。
でも、最後の最後に"パンテオン"の説明をした時は、「まぁ素敵!・・でも、それがどんな場面だったかは思い出せないの」だって。
思考力の限界まで、連れまわしちゃった・・。

一句: 「ランチどき。下をのぞくと母の足。」

イタリア魂27 ~ROMA 『サン・ピエトロ大聖堂』~

2005年12月20日 | <イタリア魂> H17.9
ヴァチカン美術館を出、へとへとになった状態で、ようやくサン・ピエトロ大聖堂へ向かいました。

大聖堂に入るには、ノースリーブや短パンはいけません。
2年前、ショートツアーに参加してヴァチカンに入る折、カップルで来ていた男性がショートパンツにサンダルという軽装で、入れてもらえない現場を見ました。
今は、そういう宗教的厳しさは、幾分、ゆるやかになった気がしますが、空港のようなセキュリティチェックをくぐらなければならなくなっていました。ご時世を感じますね。


どんなに派手に露出した女性も、入る時にはなんか羽織る。ジョーシキ。

ヴァチカンの衛兵はスイス人。
500年前からの制服はミケランジェロがデザインしたと言われています。

ヴァチカンは、キリストの第一弟子であり初代ローマ教皇である聖ペテロが埋葬されたのが発端。この間、教皇になったヴェネディクト16世は、通算第265代目にあたるそう。
歴代の教皇名が書かれた碑はちょっと見入っちゃった。今でこそ、みんな長生きして全うできるのでしょうが、中には一年待たずして没していたり・・。
暗殺とか!?・・ゴッドファーザーみたい。

サン・ピエトロ広場から見る大聖堂は圧巻。
広場の周りは284本もの柱がぐるりと囲み、その上から、140体の聖人が見下ろしています。

実は、聖人像もかなりデカイのであります。時間と体力があれば、正面のキューポラに上り、広場を上から眺めてみてほしい。私は一度しかありませんが、後ろから見る聖人達もまたステキです。

入場してすぐ右手に、ミケランジェロ作ピエタ像

「ピエタ」というのは、十字架から降ろされた死んだキリストを抱くマリアの像。ピエタに関しては、いろいろな芸術家が絵を描いたり、彫刻を作ったりしていますが、ここのピエタほど美しいものはありません。
恐らく、マリア様が若く、母親というよりも恋人が抱きかかえているかのようだからでしょう・・。

中に入ると・・ただただ、言葉を失います。
写真に撮っても、ビデオに撮っても、あの空間の広がりは表現できない!
ぜひ、ご自身の目で確かめてみていただきたいです。“カトリックの総本山”なんて一言ではおさまらない。
120年の歳月をかけ人類が残した、大いなる遺産です。


キューポラの真下にはベルニーニ作の大天蓋

至るところにある歴代教皇の碑がすごすぎ。  お説教箱の数もハンパじゃない!

父母は、始終、あんぐり口を開いて天を仰いでいた気がします。
ところどころで、本物のミサ?をやっており、その都度、現地の人に混じってお祈りしていました。
いい経験になったことでしょう。

建物を出て、また広場に戻る壁づたいに、「ヴァチカン郵便局」があります。
私は、前日などに前もって絵葉書を書いておき、大抵、ヴァチカンから誰かに投函しています。
切手も消印もヴァチカン製。
・・気づいてくれる人がどのくらい居るかはわかりませんが。


                      ヴァチカン美術館の中にも、郵便局の出張所ができていました。

ヴァチカンを後にし、次の目的地へ・・。

イタリア魂26 ~ROMA 『ヴァチカン美術館&システィーナ礼拝堂』~

2005年12月18日 | <イタリア魂> H17.9
10月1日(土) 今日も晴れてるけど朝は寒ぃ

「法王サマに会いに行く」と下着、洋服を新調、スリにまで遭って迎えた本番。
朝ごはん行くの遅くなった!ごめん!と、父母の部屋を開けたところ、真っ暗。もう、レストランに行っちゃった!?と焦ったら・・部屋の奥から静かな寝息
・・あろうことか、混むから早出しようと約束した朝、父母二人は寝坊なさいました。
旅も終わりに近づき、かなり疲弊していたのでしょう。

気をとりなおし、朝食を済ませて外出。地下鉄A線で、Ottaviano S.Pietro(オッタヴィアーノ・サンピエトロ)駅へ9時頃、向かいました。
予想はしていたけれど、ヴァチカン美術館は、ものすごい行列!一体、皆さん、何時に起きて並んでるのー・・。

結局、外の城壁に沿ってぐるっと並び、一時間ちょいで中に入れました。
母は、予告通り、おしゃれして臨んでおり。黒いレースのブラウスの胸元がぐりっと開いてたりして、買ったばかりのカーディガンを羽織っていても寒そう。
「みんな、全然、おしゃれして来てないわね」って。
当たり前じゃ!


以前、出入り口だった場所は、出口のみに変わり、エントランスがルーヴル美術館みたいにおしゃれになってた

ヴァチカン美術館は、総面積4万2千㎡、総コース距離7km。20以上のテーマ別博物館、美術館からなる、恐ろしい規模のラビリンスです。
全部を見ようと思うと、時間は5時間は必要と言われ、とてもじゃないけどムリ。
大体、有名どころを見て回ることになるのですが、それでも2~3時間は必須です。

美術館のシンボル、ピーニャ(松ぼっくり)の中庭


美術の本などでよく見た『ラオコーン』          この顔がスキでいつも写真取っちゃう

壁にかかっている、または置かれている、歴代教皇の美術コレクションはどれも圧巻。また、ずっと続く通路の壁や天井がスゴイ!
ついつい、口あけて上、見ちゃいます。


ラファエロの間で断然、有名なのは、『アテネの学童』。以前、訪れた、富良野のトリックアート美術館にもありました。今はどうかな?


『アテネの学童』と『ボルゴの火災』。ホンモノなんだなぁ・・。

そして、どんどん、クライマックス“システィーナ礼拝堂”へ近づきます。
ミケランジェロによる壁画『最後の審判』や、『創世記』の天井画で有名ですが、最近では、教皇選出の“コンクラーヴェ”が行われたことで、ますます有名になったのでは。


ホントはこれ、写真に取っちゃいけないんです!以前は、コワイ係員が見張ってて、「シーッ音を出すな」「写真は取ってはいけない」と、目を光らせていたのです。
ところがこの日、システィーナは激混み!イモ洗い状態もいいとこ!で、がやがやうるさいわ、写真バチバチ取りまくり!システィナーには何度も行ったけど、あんな光景、見たことない。
で、私達も便乗して、しっかり、映像をカメラに収めてしまいました。
なんか、違う意味で感動~。

手に負えない人ごみ状態なので、たまに、何ヶ国語かでアナウンスが入っていました。もちろん、日本語でも。
「静粛に。写真撮影はいけません。」みたいな。
・・もう、しっかり撮影しまくった後でしたけどね。

帰りは、二重らせん階段を降ります。昔は、上りも下りもこれを使っていたのですが、今は下り部分しか使われてないようです。
かたつむりみたいで、芸術的

美術館を出て、サン・ピエトロ大聖堂へ向かう道すがら、ジェラート屋にたむろするシスター軍団発見!
ジェラート食べながら、横断歩道を渡って行きました。
「天使にラブソングを」みたい!


イタリア魂25 ~ROMA 『スリに遭う Part1』~

2005年12月17日 | <イタリア魂> H17.9
Part1・・とか書いてるのが、ちょっと哀しいスリのお話し。
何かのご参考になると幸いです。

ローマの観光は、帰る日を含め3日ありました。その中のメインはやはり“ヴァチカン”。今回、親をイタリアに連れて行くことになったのも、夫が「キリスト教信者には、一度は見せたい」と言い出したのがきっかけでした。

フィレンツェに居る頃から、母が「洋服がほしい」と言い出し、ローマに入った頃には「下着もほしい」と。どういうワケ?と思ったら、「法王様にお会いするのに、全て新しいきれいなものを身につけて会いたい」と。

法王サマ・・ったって、父母はプロテスタントなんだから、カトリックは異端でしょ? そのヴァージンシンドローム、ようわからん・・と思ったのですが。
宗派を越えて、ヴァチカンの法王って、アイドルなのでしょうか。現に、法王がドイツ出身のヴェネディクト16世になってから、特にドイツからの観光客が増えたらしいです。ドイツ人のおばちゃんツアー客、いっぱい見ました。
韓流ブームで韓国へ大挙して訪れる、わが国のおばちゃんツアーとさほど、変わりませんな。

そんなわけで、彼女の願いをかなえるべく、下着屋へ行くことに。
イタリアには、とってもおしゃれな高級下着屋がかなりあります。スペイン広場近くにもいっぱいあり、ステキな紳士が奥様?彼女?に選んでいるのは、なかなか絵になったりする
私達は、そんなお店にはとても入る勇気がなく、ちょっと若い子が行きそうな、安めの下着と洋服を売ってるお店を見つけ、入りました。

若い子と言っても、セニョリータの下着は、色もデザインもけっこう大胆
何とか、母の身につけられそうな、白いシンプルめなのを見つけ、購入しました。
洋服については・・やっぱり、若い子が着るものなので、どうかな?という感じだったのですが、母はちゃんと気に入ったカーディガンを目につけていたらしく。
一度は店を後にしたのですが、観光が終わってから、もう一度あの店に行きたいと言い出しました。

迷っていたのは、カシュクール型のカーディガン。色違いをあれこれ試着する間、彼女のバッグと帽子を私が預かりました。
ようやく気に入ったのを選び、お金を支払ってきて・・とお札を渡され、レジ方向を見るとけっこう混んでる。さっきまではすいてたのに・・並ぶかぁ・・と思ったのですが、後で考えると、あのレジ周りにいた何人かは“スリ集団”だった気がします。

母と二人でレジ前に並び、私のショルダーバッグは右下へたすきがけに、左手の、母が立ってる左肩に、母のショルダーバッグを預かったまま並んでいました。私達からちょっと離れた右手、2~3m先では、夫がこちらを見ている状況。

ふと、後ろ左肩をツン、でもなく、チッ、と一瞬、誰かが触れた気がしました。夫だったら、もっと強く叩くだろうから、何だったんだろ?気のせいかな?と思った気がします。
そして、いよいよ自分の番が近づいてきたので、じゃまな帽子と母のバッグを、彼女に返そう・・と見たら!
母のショルダーバッグの口が大きく開いている!
夫に「スリだ!」と呼び、母に「何か捕られたものは!?」と聞くと、夫が近づいてきて「なんか落ちてるぞ」と。
・・私達の足元に、母の布製ティッシュケースが落ちていました。
スリは、さっとバッグに手を突っ込み、それを抜いたのでしょうが、違う、と思ってすぐ捨てたのでしょう。
実は、母のバッグにお財布は入っていませんでした。用心した父が、裏をかいて背中のリュックに入れさせていたのです。・・すばらしい!

ぎゃあぎゃあ騒いでふと見たら、私の周り、レジ前はすっきり空いていました。
みんな、ぱーっ・・と散ったのでしょう。

夫はずっと私達を見ていたそうなのですが、たぶん、そういうこともスリは心得ていて、隣の人が、夫から私がよく見えないよう、体で私を隠していたのだと思うと。全く、やられた瞬間を見てなかったそう。
すぐ隣に母が立ってはいましたが・・まぁ、彼女は、そういうのを気づくようなヒトではない。とみんながわかっているので、特にお聞きすることもなく。

旅が始まり、千歳空港で待ち合わせ、母を一目見た途端、「ヤバイ、高そうなバッグ持ってきちゃったなぁ・・」と思ったものでした。
本人は「ニセモノ」と言い張る、一応、ホンモノに見える“オーストリッチ”のバッグ。
旅に、金目のものは持たない、身に着けない・・は暗黙の鉄則で、ましてや、イタリアのローマにそういうものを持って行くのは、「捕ってください」と言ってるようなもの。
でも、ヨーロッパが初めてで、おしゃれして出かけるのが好きな母に、そういうインフォメーションを与えなかった私達が悪いので、彼女を責めることはできませんでした。

二年前、私の両親を連れ、妹と夫と5人でイタリアへ行った時も、ローマの地下鉄でスリに遭っています。
その話しもまた長いので、後にとっておくとして・・。
ローマに入る前のフィレンツェで、実家に電話し母としゃべりました。母が後から父に、楽しそうだったよと報告すると、父は一言、「でもまだ、ローマに入ってないからな」と言ったそう。
当タリぃ。

もう、「スリ慣れ」していると言い切っていいほど、いろんなのに遭って来たので、傾向は読めてきました。

【スリの傾向】
1.最初に狙われるのはワタシ
日本人のこのくらいの歳の女、お金もってブランドバッグでも買いに来てると思われるのでしょう。
・・実際は、全然なのですが。

2.スリは集団
毎回、みごとな連携プレーです。
一人スリは少ない気がします。唯一、会ったのは、かなり昔のスペインで、ジプシー婆ァのスリくらいかな。

3.いさぎ良し
スッとすり、違った!と思ったらすぐ捨てる。変なもの掴まされ、または見つかって、警察呼ばれたりしたりしたら面倒なので、失敗と思ったらすぐ捨て、ぱーっと消えます。

対策としては・・
まぁ、基本ですが、やはり、金目のものは持たない。
また、バッグはたすきがけ、前の方に持ってきて、口をしっかり掴んでおくと。私は、狙われても自分の持ち物はやられたことがないのは、これを常に実践しているせいだと思います。
あと、ヨーロピアン観光客や、イタリア人がやってたのは、開けやすそうなファスナー付きバッグの場合は、これ見よがしなくらい、がっちり“南京錠”をかけておく。
おしゃれバッグに南京錠・・って、かなり違和感ありますが、イタリアでは、必要な気がします。
そして、自分の荷物の管理は、自分で責任を持つ。預かりっぱなしにしないで、すぐ、母に返せば良かったなぁ・・と思いますが、どっちにしても、スリにはキッチリ遭ったでしょうね。

あと、できれば神経とぎすましておきたいもの。「チ」とか「ペタ」とか、軽く触れられたら、スリ!!と、反応できるくらいになっていたいものですねぇ。
そんなんできるの、うちの夫くらいなものでしょうが。
<スリに遭う~番外編~へつづく>

「持ってってはイケナイ!」典型バッグ也。

イタリア魂24 ~ROMA 『再会』~

2005年12月15日 | <イタリア魂> H17.9
スペイン広場から、また中心街へ降り、その店の前を通った途端、思わず足が止まりました。のぞき込み、確信しました。
「おばあちゃんのお店だ」と。

その店の前へ行くまで、私は『LA SCRIVENTE(ラ・スクリヴェンテ)』のことをすっかり忘れていました。でも、ドアの雰囲気、佇まいを一目見た途端、およそ20年前の情景を思いだしたのです。



中に入ると、懐かしい雰囲気。「Hello」と、ぶ厚いレンズメガネをかけたおばあちゃんの声。お歳はあの頃より召したけど、この声・・まさしくあのときのおばあちゃん!まだ、ご健在だった・・と、泣きそうになりました。

いろいろなおみやげが、コチャコチャと、まるで宝もののように並んでいる店内。値段は、おみやげにぴったりの手ごろなものから、けっこう値の張るものまで。
中でも、目を引くのは、カウンターを兼ねたショウケースの中の小物達です。

ショウケースに見入る私に、20年前と同様、おばあちゃんは、このへんに興味があるの?と、中身が見やすいように表に出してくれました。小さなペンダントヘッドやピルケースがたくさんあり、おみやげというよりも芸術品だ・・と思いながら、選んでいたのですが、とうとう、私はおばあちゃんに英語で話しかけました。「実はあなたに、約20年前にお会いしてるんです」と。
それを聞いて、おばあちゃんは可愛い高い声で叫びました。
「マンマミーア!20イヤーズ!?
何度も何度も、マンマミーア!を繰り返し、ホントに私は涙が出そうでした。まるで、本当に、仲の良い友達に再会できたかのように・・。

初めてその店を訪れたのは、私が最初に友達2人とイタリアを旅した、およそ20年前。
看板娘?のおばあちゃんは、英語どころか日本語を流暢に操る、スーパーセニョーラ。
どうしてそんなに上手なの?と聞くと、「日本のお客さんがたくさん来るから自然に覚えた」と。
当時、英語を話せるようになりたくて、あれこれ勉強していた私は、「これが生きた会話を身につけるということだ」と、いたく感動しました。

その時は、ショウケースの中の小物を夢中で手にとり、マーガレット柄モザイクのペンダントヘッドを購入したのでした。
一つ一つ、丁寧に箱に入れてくれて、最後におばあちゃんは、「はい」と何かを手渡してくれました。小さなプレゼントだと。後からあけてみると、ヴェネツィアングラスのペンダントヘッド。売り物だったろうに・・と、ありがたい気持ちになりました。

店で、私と友達と一緒に写真を撮ったので、それを帰国したら送ってあげようと思いました。店内の壁には、私達と同じように思い出をもらった、日本人始め、他の国の観光客から送られてきたであろう写真が、いっぱい飾られていたのです。

ところが私は、結局、写真を送らなかったのです。手紙に何と書こう・・と思っているうちに、恐らく、月日が流れてしまったのでしょう。
後から、とても後悔しました。

店のことはずっと覚えていて、いつかまた訪れよう・・と思い続け、実現したのがそのおよそ7年後!ある研修で、しばらくイタリアに滞在することになり、思い切って行ってみると、おばあちゃんはお元気でした。
でも、大きく変わっていたことが一つありました。彼女は全く、日本語が話せなくなっていたのです・・。あんなに流暢にお話しできたのに?と尋ねると、「もう、すっかり忘れてしまったわ」と。英語だけは、相変わらず流暢でしたが、たくさん掲示してあった写真は、全て取り去られていました。

その時、私が何を購入したのかは、よく覚えていません。でも、やはり一緒に写真を撮り、今度こそ、以前、取った写真と一緒に送るからねと、名前をお尋ねしました。
・・なのに私は、また送らなかったのです。お聞きしたはずのお名前も忘れてしまいました。

あれから約10年の3度めの訪問は、本当に、起こるべくして起きたことのような気がします。一本でも違う道を選んでいたら、おばあちゃんにはお会いできなかったでしょう。現に、他にイタリアに来た折、この店を探そうとしましたが、見つけることはできませんでした。

今回は、ピルケースに魅せられ、3つ購入。一つは、昔、一緒にその店を訪れた親友へのおみやげに、あと2つは「ピルケースとしての用途はなさないでしょう」と言われましたが、とても古いアンティーク調のもので気に入り、この店の思い出に、いつまでも飾っておきたいと購入しました。

おばあちゃんは、やはり、大きさや形の違うピルケースに合った可愛い紙の小箱を用意し、包装してしまうと中身が何かわからなくなるから、箱の下にメモを貼って、そこに何か目印を書いたらいい・・と、シールまで出してきてくれました。
そして最後に「きゃっ」と、いたずらっ子のように可愛く笑いながら、何かを私の買い物袋に投げ込んだのです。「小さな小さなプレゼントよ」と。あなた、20年前も同じことをしてくれたんですよ、と言うと、彼女はニコニコ笑っていました。

その配慮、頭の回転・・とても、初めてお会いした時から、20年近くも経っているとは思えません。思わず、失礼ながら、お歳をお尋ねしてしまいました。
「84歳よ」・・そうは見えない!「お店は30年やっているの。このへんじゃ、一番、古い店になったわ」と。このへん、と言っても、おみやげ屋さんはここくらい。あとはほとんど、ブランドショップです。いかに、この店が観光客に愛されて来たかがわかります。
それにしても、20年前は60代・・というのも感慨深い。何だか、初めてお会いした時から、“おばあちゃん”ではあったんですよね。
物心ついた頃からおじーさん・・の、「淀川長春」みたいなもんです。

義理の母が店に入ってきて、彼女も犬の置物などを購入しました。私に、何を買ったの?と聞くので、「薬箱」と答えると、おばあちゃんは、そうそうとばかりに、「クスリバコ」と発音しました。昔、そう言って、日本人に売っていたと。
二人をお互いに紹介してあげたところ、おばあちゃんは母と握手しながら言いました。
「20年後にまたいらっしゃい!」

20年後・・彼女はやっぱり、元気にお達者で、お店に立っている気がします。
でも今回は必ず、彼女と写した歴代3枚の写真を添え、クリスマスカードを送ってあげるつもり。
この週末の私のオシゴトです。

ホテルに戻り、おばあちゃんがくれた小さなプレゼントは何だったのだろう・・と開けてみて、思わず、びっくりしてしまいました。
ヴェネツィアングラスのペンダントトップ。それは、さっき、薬箱を見る前に、これにしようかな・・と手に取って見ていたペンダントトップの、色違いのものだったのです。

あれが、偶然だったのか、それとも何かカラクリがあって、彼女がわざわざ私にくれたのか・・。
手紙の中でぜひ、聞いてみたい。
でもやっぱり彼女は、子供のように可愛くニコニコ笑っているんだろうなぁ・・。


イタリア魂23 ~ROMA 『トレヴィの泉&スペイン広場』~

2005年12月11日 | <イタリア魂> H17.9
ホテルの受付の親切なおじさんが、「観光に行くなら、絶対にバスだ」とアドバイスしてくれました。
地図に印をつけ、すぐそこのBARでバスチケットを買い、このバス停からバスに乗りなさいと。乗ったら、運転手にこの紙を見せて、この停留所で降ろしてくれと言いなさいと、バス停名を書いたメモまでくれました。

“Piazza Silvestro(シルヴェストロ広場)”のメモを握り締め、バスに乗ってすぐ、運転手さんに英語で、「Piazza Silvestro で降りたい」とメモを示しながら言うと、その若い運転手は、ちゃんと英語で「私がそこまで行ったら教えてあげます」と。

さらに、その広場に近づく前から、すぐ傍に座ってるおばちゃんが、「Piazza Silvestroはもうちょっとよ」と教えてくれるんです。別々の、二人のセニョーラが。しかも英語で!

運転手含む3人の配慮で、全く問題なく、広場で降りることができた私達。イタリア人、親切だなぁ・・とうれしくなりました。しかも、みんな英語がそこそこできてました。これは、世代交代があったなという実感。
10年前は「イタリア人には英語が通じない」が定番でした。事実、テルミニのタバッキ(キオスクみたいなタバコ屋さん)にいたおばちゃんは、イタ語しかしゃべらんなかった記憶が。

都会では、英語が話せる人がどんどん増えているのでしょうね。今回、フィレンツェの駅のタバッキで、テレホンカードを買う時、お姉さんは英語が堪能でした。
話せなかったのは、ヴェネツィアの駅のバッグ屋のおばちゃんくらいだな。
でも、おばちゃんパワー炸裂!で、何となく、手まね足まね、お互いの言いたいことは通じちゃってたのがスゴイのですが。

今の日本の幼児英語教育なんか見てると、そのうち、みんな英語が話せるようになるのかなと期待しちゃう。他の国に負けてらんないからねぇ。

シルヴェストロ広場からすぐの場所に『トレヴィの泉』はありました。
“トレヴィ”とは、三叉路の意味で、この広場から3本の道が伸びていくのだそうな。
とにかく、ものすごい人!
スリが居るわよ!荷物に気をつけて!みたいな。
前の方に出てって、コインを後ろ向きに投げるのも、一苦労でした。


7年前、妹とトレヴィの真向かいにあるホテル“Fontana(フォンターナ)”に泊まりました。(茶色い建物) もちろん、部屋は泉側。
朝早くの泉はとても静かで、投げいれられたコインの回収の音だけが響いていました。最上階のレストランから、泉を眺めながらとる朝食もとても良い。私の好きなホテルの一つです。
ただ、夏に冷房設備がなく、天井についている“羽”が回るだけ。今はどうなったかわかりませんが、暑がりの方にはオススメできません・・。

遅めのランチは、ギネスパブ“Black Duke”で。

もう一つの名所、『スペイン広場』へ行くことにしました。


ブランドショップがひしめく“コンドッティ通り”からチラリと見えた途端、「ぎゃー修復中!」
スペイン階段の上に建つ“トリニタ・デイ・モンテイ教会”が修復中で、覆いがかぶさっていました。
ミラノのドゥオモに次ぐ衝撃。
イタリアは、行く度にどこか修復中なので、仕方ないのですが・・。


スペイン階段にびっしり人が座っているのは定番だけど、スペイン広場の“バルカッチャの噴水”の周りまで人がひしめいてるなんて初めて!
黒装束の皆サンは、一体どなた・・?

母は「ローマの休日のオードリーみたいに階段に座る!」と楽しみにしていたので、人渋滞の中、よっこらしょと腰を下ろし、満足げでした。

それにしても、上から見てもすごい人!