囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

君の名は。~ 疫病バージョン

2020年11月24日 | 雑観の森/事件・事故・災害

 

はやりやまいのネーミングの変遷

 ~ 風邪か、流行性感冒か、それが問題か? の巻】

 

 


お江戸の人たちは、風邪のことを

疫病(はやりやまい)に入れ

流行するたびに呼び名を付けたものである。

 

 


江戸中期の1766年春に流行した風邪については

「半日閑話」に、こうある。

「道中雲助ならびに火消、

屋敷抱えの鳶(とび)、

ことごとく死す、

名づけて雲助風といふ」

 

         ◇

 

1776年には お駒風邪というのが流行った。

これは何でも、お駒という女のことを

義太夫節にしたのが流行した時だったので、

このように名付けたものだった。

         

         ◇


1781年には谷風邪というのが流行した。

超有名人、谷風梶之助が豪語して

「俺を土俵の上で倒すことは誰にも出来ない。

俺の臥(ね)たのを見たければ、

風邪でもひいて寝ている時に来るがよい」

と、えらい自慢をしていた。

その本人が風邪をひいて寝込んでしまった。

人々は面白がって早速付けたのが

このダジャレであった。

 

蜀山人・太田南畝は

「風神を送る」という狂詩をものにして

「ひくならく此の風は谷風と号す。

関々たる痰咳は西東に響く、

悪寒発熱して人に色無く、

煎様は常の如くなれども藪に功あり、

一片の生姜を酒に和して飲み

半丁の豆腐は湯に入りて空し、

君を送らん四里四方の外、

千寿品川問屋の中」

と詠じた。

 

寝床の英雄も、苦笑していたのだろうか。

 

         ◇

 

寛政年間(1789~1801年)には

お世話風邪が大流行した。

当時のはやりことばに

「これは大きなお世話、茶でもあがれ」

というのがあったためである

 

         ◇

 

1904年ごろには、

八百屋お七の歌が流行した時に、

お七風邪というのがあり、

その後に「ねんねんころころねんねんよ」

の子守歌が流行り、

ネンコロ風邪が全国に広がった。

 

         ◇


そうこうするうち明治の第一次大戦の頃、

あのスペイン風邪が世界を震撼させた。

これを最後に「〇〇風邪」とは呼ばなくなり、

「流行性感冒」と言い換えられるようになった。

 

         ◇


2020年の新型コロナウイルスの場合—―。

「新型」という文言が

恐怖を駆り立て、警戒が過熱し、

また一方で「強がりの楽観論」も起きた。

 

大波小波を繰り返しているが、

願いはひとつ、早期収束である。

歩の如くに確かな前進を、と祈りたい。

狩りへの道、一筋の光明が差す日を

地に足を付けて待ちたいものである。

 

 

 

谷風梶之助 (1750~95年) 大相撲屈指の伝説的強豪で、力量・人格・人気と三拍子そろった横綱のなかの横綱。陸奥国宮城郡霞目村(現在の仙台市若林区)出身。推定身長190㌢、体重160㌔。伊勢ノ海部屋。258勝14敗16分。江戸全域で猛威を奮ったインフルエンザによって、35連勝で現役のまま没した。享年44。

 

       



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