【向かい合って座ること ~ 「隔意」とはどういうものか 「興」とは何か の巻】
■なぜ、碁盤は「タテ長」なのか。
その素朴な疑問に答えを出しておきたい。
■「二人の対局者によって向かい合って打たれる遊び」
であることが、合理的な理由として考えられる。
碁盤が正方形であれば
「どこに座っても結構です」
となってしまい、なんとも締まりがない。
そこで座る位置を示すために、わずかな長短を付けた。
この説が有力であり、収まりがよろしい。
日本人の美意識であり、智恵の産物であろう。
■さらに二人が対座する際の距離感だが、
両者の関係が疎遠であったり
疎遠の形式を取るべきであったりする時は、
その距離は自然と長くなる。
ころあいのよい「間合い」である。
剣道でいえば、切っ先を合わせて
その機をうかがっている「間合い」。
■対局というのは「非日常体験」である。
「(とりあえず)敵対関係にある」
という設定で始めるものだから、
普段は、仲良かろうと悪かろうと、
たとえ初対面であろうと、
対局中(=戦闘中)は
「勝負を巡る『隔意』」が
なくてはならぬ。
「隔意」とは、読んで字のごとく
相手と自分を隔てる意識のことである。
両者は碁盤の長い方の辺を隔てて座る。
短い方だと、近すぎて具合が悪い。
その絶妙の距離感で碁石を操り
盤上バトルを展開するというのが
対局者(=指揮官)のミッションなのである。
■蛇足ながら、対局中に「おしゃべり不可」なのは、
周到に仕組んだコミュニケーションケーション
のフォーム(形式)があるからだろう。
古典落語にある「熊さん・八っつぁん」のごとき
「おしゃべり碁」も時には楽しいが、
緊張感不要の「縁台碁」だけにしておけばいい。
アマのヘボ碁のレベルであっても、
気の抜けた漫談碁は、わたしは興ざめである。
「遊び」「趣味」の類いは「興」がすべて。
興がなければ無価値。あるいはマイナスでさえある。
「気の抜けたコーラ」「冷めたピザ」「腐った鯛」
はっきり申し上げておくが、何度も書いてきたように
「待ったをする碁打ち」
「おしゃべりな碁打ち」
とは対局しない。
一局の積み上げた時間を台無しにする。
時間のムダ以外の何ものでもない。
■さて、タテ長の盤面になったワケについて
「盤上の手近な点と、遠い点では、
対局者と盤面を結ぶ視軸に長短ができる。
それを調整して盤面を均等に見渡せるため
タテ長にした」
という説がある。
これは俗説といわれている。
■ちなみに、
ネット碁やテレビ中継、新聞碁、棋譜などは正方形。
地(陣地)の大きさが把握しやすい。
しかし、これも味がないとわたしは思う。
長辺と短辺に、わずか1寸(3.3㌢)の差を付けた
妙人の感性に思いをはせるのである。
碁盤 通常は縦横19本の線を持つ盤「19路盤」を指す。交点(目)の数は361、マス目の数は324。縦1尺5寸(45.5㌢)、横1尺4寸(42.4㌢)。縦が横より3.1㌢長い。その差は、ざっくり1寸(3.3㌢)差といわれてきた。正倉院御物の紫壇の碁盤は、縦が横より8㍉だけ長く、ほぼ正方形。この頃はまだ正方形だったと推測できる。
■新型コロナ渦のなかで対局機会が減り、
自宅でネット碁をしている碁友が多いようです。
身体の健康にも、精神の健康にも、よろしくない。
リアル碁が自由に楽しめるようになってほしい
と願うばかりです。
「つなぎ碁会」は土曜日午前です。ぜひ。