社長の思うこと

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2017年12月1日

2017年12月01日 | 日記
師走です。
一年のシメです。

年初に立てた目標の棚卸しです。
今更ジタバタしてもと思っている人もいるかもしれませんが、
この最後のジタバタも僕の中ではとても大切だと思っていま
す。

今からでも覚悟決めれば、きっと達成できる人はたくさんいる
と思います。
一年のゴールに向かってラストスパート頑張って行きましょう
(^-^)/


いやぁ~今年も走ってきました!!!!!
熊本県和水町金栗マラソン!10㌔マラソンですが。

少し早めに準備したつもりでしたが、途中で体調を崩したり
で、万全の準備には程遠い中での参加になりました。
その中で唯一の目標である打倒!!
ジェームス!!

今年も参加していました!
今年こそは、彼より早くゴールするという目標を持って
スタートからしっかり自分のペースで走ればきっと
目標達成できると!
タイムよりは勝利で!!!と。

今年は最初からジェームスの後ろで一定の距離をしっかり
保って、最後の2キロ地点でスパートかけて、追い越し、
そしてゴールするプランを立てて走りました。

スタートして3キロまでは順調です。
しっかりペース守り、ジェームスの後方30㍍で並走です。
準備不足は否めない中でしたが、何か身体軽いです。
5キロ地点疲れてきましたが、まだ大丈夫です!元気です!
応援してくれている沿道の、おじいちゃん、おばあちゃんに頭を
下げる余裕もあります。

6キロ、7キロとなんとかジェームスにくらいついています。
それにしても、ジェームスペースが落ちません!!
一緒に走っている同伴者とたまに話すくらい余裕を感じます。
少々焦りがうまれてきます。

そして、予定の8キロのところです。
ラストスパートです。ジェームスの背中が近付いてきます。
もう少しで追い抜く所で疲れが・・・。
限界です。このままだともたない!

1回9キロ地点まで並走して、
ラストスパート1キロで抜こう・・・!!
甘かった・・・甘かったです!

ジェームス8.5キロ地点でラストスパートかけだしまし
た!!!!
推定130キロの巨体をゆらしながら、スピードをあげていきます。
私は一気に離されるのを感じながら、付いていくこともできず、
最後は500メートルくらい離されてのゴールでした。
途中より、ずっと反省です。

準備不足、また自分のだらしなさ、生き方、考え方まで自己嫌悪
になりながらのゴールでした。

走り切ったのですが、昨年に引き続き、反省の10㌔マラソン
でした。

そして、今年もこのマラソンの最下位は当社からでました!

予定では昨年も最下位のF野レギュラーでした。
そしてその前が、F本統括だったのですがなんとか、
ラストスパートで記録がのこりました。

私もゴールして余裕はなかったのですが、一応最後のF野レ
ギュラーのゴールくらいは見守ってあげたいと思い、ゴール
地点で待っていたのですが、なかなか来ない・・・。

昨年は町の救護班に付き添われてのゴールだったので、
きっとそのパターンだと思いましたが、車は来ますがなかなか
F野レギュラーの姿が見えてきません。
そして、私の目の前に救護班の車が止まりました。
な、なんとその救護班の車から降りてきたそ
の人がF野レギュラーでした!!!

そして、開口一番「車に乗っちゃいました!!」
とにかく一応ゴールしようと伝えましたが、まさかこの裏
ワザを使うとは想定していなかったです。

結果、F野レギュラー棄権ということになり、F本統括
が無事最下位の栄誉に輝きました!
まぁ、僕もしたから数えた方が早い順位でしたが・・・(^^;)

来年も頑張りましょう!
F本統括、F野レギュラー懲りずに一緒に走りましょう!!


そして、もう一つの僕のCoCo壱物語です。

1990年六本松店オープン当社2号店目!
事件はオープン初日の夜起こりました。
ランチは忙しく、9席しかない小さなお店が3回転するくらい
忙しかったのですが、夜になるとピタッっと止まって、
オープンなのに空席がある状態が続いている中、閉店1時間
前になりました。
ライスはジャーに8分程あり、今までの流れからすると十分足
りるだろうの量でした。
そして、少しだけ流れが始まりました。
それでも残り40分でジャー半分です。
ごはんも余らせたくない気持ちがあり、炊くのを躊躇する
中で学生の団体さんが入ってきた
のです。
そして、600g、700gあげくは900gと一気にライス
が、ジャーがカラになってしまいました・・・。

本部のお偉方がそろう中でライスを切らしてし
まったのです。
慌てて近くのほっかほっか亭(今でいう、ほっともっと)に走
りましたが、営業時間終わっている中でお客様にカレーが提
供できない失態を犯してしまったのです。
ひたすら、お客様に本部の皆様にお詫びして、オープン初日
の大切な日にライスを飛ばすという、大失態を起こしたこと
今でもオープンのトラウマになっていて、夜になるとライス
が心配になり、多めに炊いてくださいの声掛けをするように
なってしまいました(^^;)

たくさんの問題を起こしましたが、六本松店9席の小さなお店
でしたが、回転率良く、売上300万円と順調なスタート切る
ことができました。
そして、六本松店をオープンを通して3人の社員さんが入って
くれました。
3人のうち一人は焼肉店の経験がありましたが、
残り2人は未経験でしたが、3人で切磋琢磨してくれて半年く
らいでひと通りの仕事を覚えてくれました。
私もその頃はなんとか2店舗交代で入店をすることが出
来る様になる中で、ある日の夜の帰り道貸店舗の看板を
見つけました。

六本松店と同じくらいの小さなお店でしたが、平尾駅から
3分くらいの平尾交差点角の物件でした。
そうです。
中央区平尾店です。(今はフルラッキー卒業者が経営)
当時は物件を自分で探すなんて事はしなくて、本部さんから
の紹介でお店が決まるのが通例でした。

翌日その物件のポスターに書かれていた不動産屋さんに、
朝一で電話しました。
11坪で家賃14万円あまり広くはありませんが、立地がよく
いけそうな気がします。
社員さんも5名と私で6名です。
(そのうち3人は入社半年ですが・・・。)

そして、本部さんに連絡し、すぐに営業所の所長にOK頂き、
社長に見に来て頂き、社員さんが育ったら出店OKをもらい
ました。
1991年4月の事でした。
人が育つという条件でしたが、やはり空家賃は払いたくあり
ません。
毎月14万円というお金と保証金150万円を払っている以上は、
1日も早くオープンしたいので、ずっと新人社員さんと
付きっきりでO.J.Tをやっていた記憶があります。
人件費がどれだけかさんでも、このO.J.TとCoCo壱の理念には
時間をかけて伝えました。

おかげで六本松店オープンして、10ヶ月後の1991年7月
にオープンすることができました。
紙面の都合上なかなか前に進みませんが、今月はここまで!!

最後まで読んでくれてありがとう。

コメント
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