
自利か、利他か――

我々の世界では、この種の問いは「上求菩提か、衆生教化か――!?」という構図に置き換えられることが多い。
最近どちらかというと、後者の事業に携わる機会が多い私であるが、そもそもこの二つは対立関係にあるのだろうか

この両者が対立の構図で語られる時、それは宗門の坐禅が社会参画型仏教に浸食されてしまうようなイメージ(被害妄想)に支配されているのではなかろうか。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか?
後者の立場が「坐禅ばかりしていて何になる」と言ったら本末転倒だろうし、逆に前者の立場が「坐禅ばかりしていて何が悪い」と開き直るのも大人気ないような気がする。
要は「対立」という構図そのものに問題があるような気がしてならないのだ。
そこで単純な疑問......「坐禅も然り、また社会参画も然り」というスタンスでは欲張りなのだろうか。
要は、どっちも大事で何がいけないのか

なぜこの両者を同じ俎上に載せると、「対立」の構図でしか語られないのか最近不思議に思えてきた。
両者の立場は、一方を排除するためのものでは決してなく、宗門の新たな可能性を模索していくための起爆剤とならないものか。
坐禅もするし社会参画にも熱心な僧侶......そんな懐の深い僧侶がいたら素敵ではないか


軽口はさておき、この種の「問い」はどちらが是でどちらが非という問題でもないような気がする。
どちらかというと、以前は前者志向が強かった私であるが、その自己の拠り所を見失うことなく後者のスキルも身に付けていくことに日々奮闘中である

自利か、利他か――




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