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悲しみの緩和から現実受容のプロセスへ

2011年08月30日 10時12分53秒 | 社会問題&時事ネタ
最近、生活環境の変化から、ブログよりもフェイスブックに情報伝達ツールを切り替えております。

こちらでは久々の投稿となりますることをお許し願います


<福島第1原発>地元住民沈痛 首相「帰郷困難」発言で(毎日新聞)


福島第一原発周辺の立入禁止区域の方々の気持ちを推し量るに、正直言葉が出ない思いがいたします。これは人として当然の感情なのではないでしょうか。

「帰郷困難」という現実は、放射線量の数値だけ見れば疑いようのない事実なのかもしれません。 そのぐらいのことは、みな少なくとも心のどこかで覚悟していると思います。

しかし、人の苦悩の受け容れ方は人それぞれであっていいのではないでしょうか。その受け容れ方は第三者が決めるものでなく、当事者本人が決めるものだと思います。

結果的に当事者の多くに「怒り」の感情しかこみ上げてこないのは、単純に現実を受け入れたくないという「弱さ」や「甘え」からではなく、当事者の苦悩に寄り添えない「政府の姿勢」にあるのではないでしょうか。誤解を恐れずに言えば、そこに同じ人間としての「誠意」が感じられないのです。

当時者でない方々が、ある現実(数値)のみを前面に出し、それを盾にして相手を屈服させることはある意味簡単です。また、それは是非を論ずる類のものでもないかもしれません。

しかし、そこに不条理に苦しむ人たちがいる現実を踏まえ、少しでもその人たちの立場に立ち、少しでもその苦悩に寄り添う姿勢が見えるのならば、その人たちだって苦渋の選択を受け容れる気持ちになれるのだと思うのです。

原発事故後の政府の対応全てを見ても然り、また今回の「一時帰宅」宣言のすぐ後の「帰宅困難」宣言などなど......放射線量という「事実」の名のもとに、政府の行ってきた対応ひとつひとつは当事者の神経を逆撫ですることばかりなのではないでしょうか。

「がんばろう!○○」......言葉で唱えることはある意味誰にだってできます。「人々の悲しみに寄り添う」という言葉の意味を字面だけの解釈で是としていてはいけません。

その意味そのものを咀嚼し、出来得る限りの誠意を尽くす。そのプロセスがあって、初めて人は不条理を受け入れる覚悟を決められるのだと思います。まさに、放射線量の数値の現実が人を動かすのではなく、同じ人間の寄り添いの姿勢に、人は不条理を受け入れる覚悟を決めるのだと思うのです。

「理由はどうあれ、その数値は現実であり危険なのだからしょうがない」という真実のみが世の中を動かしている訳では決してありません。 重要なことは、それで決断できる人もいれば、なかなかそれだけでは決断できない人も少なからずいるということです。

少なくとも私は、後者の方々の気持ちに寄り添う人間でありたいと思っています。また、不条理を受け容れることに時間を要する現実に寛容でありたいと思っています。

ふと、そのような想いが込み上げてくるニュースでした。


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