
曹洞宗という宗派に属していると、まれに道元禅師と釈尊の教えが乖離し過ぎていて、両者の教えは異質なものではないかといった声を耳にする時がある。
その声によくよく耳を傾けてみると、あまりにも厳格な宗祖の教えが、慈悲に溢れる釈尊の教えと符号しないのではないか

確かに、道元禅師の教えは学人に対して厳しく、そこに一切の妥協を許さない事から、「慈悲」を標榜する釈尊の教えと相容れない印象を与えてしまうのかもしれない。
先日たまたま出た話題によると、釈尊であれば如何なる理由があろうとも、弟子の単を根こそぎ剥ぎ取って寺から追放する事などしないであろうという声であった。
恐らく、道元禅師の弟子に対するその行為がとてつもなく無慈悲に映ったのであろう。
確かにこの玄明首座の故事に象徴される道元禅師の厳格性は、温情溢れる釈尊の教えや人格とは一線を画す印象を人に与えるかもしれない。
がしかし、本当にその理由だけで両者の違いというものを計って良いのだろうか?
今回は、そんな事を個人的につらつら考えてみた。
まず、誤解を恐れずに極論すれば、両者の教えはある意味乖離していて当然の事とも言えよう。
なぜなら、その両者を同じ机上に乗せて議論をすること、その設定自体に誤りがあると考えるからである。
仏教とは文字通り「仏が説いた教え」であり、ここで言う「仏」とは言わば「釈尊」そのものを指し、つまり釈尊とは仏教教義上「開祖としての絶対者」として規定される。
その釈尊の教え(仏教)は「結集」という弟子たちの経典編纂会議によって今の時代に伝わるものである。
それに対して道元禅師とは、その当時(鎌倉時代)、釈尊の教えを信奉する一仏教者として、限りなく釈尊に近付こうという誓願を持ち続けた人なのだと考える。
自らの生きる道を「仏教」と定め、その決意を固めたことが師の釈尊に対する信仰であり、殊更に「出家」(釈尊と同じ生き方を成し遂げようとする誓願)を強調した意味とも言えよう。
ここに、釈尊は「下化衆生【注1】」(対象は衆生)のために法を説き、道元禅師は「上求菩提」(対象は学人)のために法を説いたという簡単な図式が成り立つ。
要は、釈尊はもとから法を説く対象を「衆生」と定め、その衆生に対象を絞った布教教化の歴史が釈尊そのもののを規定し、道元禅師の場合は、まず「学人」に対して「釈尊になるための教え」を説いたがゆえに、殊更に厳しさのみが強調された人物像が規定されたのであろう。
その意味において、両者は表面上一線を画す「教え」であり「人物像」の様に見受けられるが、その表面上の違いのみを以て両者を色分けすることには慎重にならざるを得ないのである。
例えば、釈尊の教えを「縁起」や「空」を中心とした教理・教学に求めるのだとすれば、道元禅師の教えもそれら教理・教学に基づく『正法眼蔵』に集約されるものと言えよう。
また、ここで安易に『新草本』(十二巻本)の存在を持ち出す事には躊躇いもあるが、対象を「衆生」に定めた布教教化の姿勢も道元禅師にはなかった訳ではない。
しかし、道元禅師が真に評価されなければならない点というのは、「仏教」の教えを教理・教学の理解のみに留まらせる事なく、『清規』重視の姿勢にも象徴される様に、それらを日常底の実践、つまり「仏道」にまで深めた点にあるとも言えよう。
なぜならその根底には、釈尊の教えを理解する事のみに留まらず、自らも釈尊に近付きたいという切なる願い(誓願)に支えられた生き方を成就しようとしたからである。
その「成就}(成し遂げる)という誓願に基づく日常底こそが、「仏教」と「仏道」との一線を画す重要なファクターになり得ると個人的には考えている。
その視点なくして、道元禅師の仏法を参じ切ることはできないのである。
※この記事は以前載せた「ポエムティックな悟り」と連動するものでもあります。あくまでも個人的な主観を想うがままに書き綴ったものなので軽く読み流して下さい。
【注1】
この「下化衆生」という文言は、昨今人権的見地より一部使用を見合わせる傾向も報告されておりますが、歴史的に「上求菩提」と併せて表記される経緯があり、本記事もその歴史的経緯に準じる形を取り「衆生教化」という意味合いで用いるものであります。



※「叢林@Net」各寮ブログ更新状況はこちらをクリック♪
道元禅師の【誓願】といえば、やはり、「渓声山色」巻の一節が知られていますね。正修行とはどうあるべきかを明らかにした一文ですけれども、この点が、宗乗をただの「仏教」ではなく「仏道」にするのでしょう。まさに、ご指摘の通りかと存じます。
さすがアンテナが広いですな。
前回の記事(ポエムティックな悟り)と併せて、ある方から提起された問題を考えているうちにこの二つの記事に行き着きました。
詳細はまた会った時になどお話できればと思います。
道元禅師に対する誤解がまだまだ多いと感じた今日この頃です。
「渓声山色」と絡めて考える視点は今後の参究に活かしていきたいと思います。
すっかり抜け落ちておりました