ふくろうはうす昔話 第5話

2008年02月29日 | Weblog

  さぁ。現金を手に入れることが出来た青年は、翌日 早速仕事の合間に

 競艇初体験をすべく、券売り場に並ぼうとしました。

 しかしながら どこの売り場も行列になっており

 仕事中に 並んでまで券を買っている余裕も無かったので どうしたものか・・・

 と考えていると 

 全く列になっていない売り場を発見

 ようし。ここで買おう。と行列から遠ざかり、空いている券売り場へ。

 もちろん、どの選手が 早いだの強いだの 知る訳も無く

 適当に選んで注文。

 青年は 1000円札を出し、一枚の券とおつりを貰おうと待っていたのですが

 どうぞ と差し出されたのは 一枚の券のみ。

 慌てて “すいません、おつりください

 と言うと “おつりそんなものはないよ。ここは特券売り場だからね。一枚1000だからちょうどだよ”

 そそそんなぁ・・・・

 当時は 『ニコヨン』と言われた時代。

 いまで言う ハローワークのようなところへ行くと 役所からの日雇いの仕事がもらえるのですが

 1日働くと 240円がもらえることから ニコヨン と呼ばれていたのだそうです。

 そんな貴重な1000円を たった一度の賭け事の為に使ってしまうなんて・・・

 それならば 券を返すから 現金を戻してくれ といったものの

 それもダメだと断られ、 人生初のお金を賭けての競艇観戦は レースが始まる前から

 ガックリし通しな 青年なのでありました・・・

                                              つづく

 

 


特大看板、目立ちます!!

2008年02月25日 | Weblog

  今日は ふくろうはすの 新しい看板が出来上がり、業者さんが 取り付けにきてくれました

 大きい看板にしてもらった とは聞いていましたが

 実際に見てみて ビックリ な大きさでしたぁ

 なんと 横幅は2.4メートル。

 ふくろうはうすの イメージキャラクター ぷくちゃんが

 見事なまでに カラフルで鮮やかに仕上がっており

 “おぉぉっっ

 と 思わず ため息が漏れてしまいました・・・

 これで駐車場まで来れば 事務所がどこにあるか一目瞭然であります

 事務所のすぐ近くをJR両毛線が通っているので 電車からでもバッチリ見えるほどの大きさですが

 線路が事務所に比べて低いうえに 事務所が線路と平行しているので

 おそらく見ることは出来ないですね・・・

 うーん、残念

 最近、インターネットを通して 前橋・高崎のお客様から沢山のご連絡を頂いているし

 この看板が 列車内から見られたらちょっと宣伝にもなるのになぁ・・・

   

 

 


ふくろうはうす昔話 第4話

2008年02月22日 | Weblog

  昭和31年 現みどり市に位置する阿左美沼のため池を利用して

 桐生競艇場が開設されました。

 その当時、桐生の建築業界の中では 三本の指に入る K建設の専属で塗装を任されていた高橋塗装店は 

 連日 沢山の仕事に追われ、大きな現場も 一人で任されることも多く 多忙な毎日を送っていました。

 そんな中 桐生競艇場の観覧席を塗装する仕事が依頼され、高橋青年が現場へ行くことに・・・

 競艇場が開設された当初は、観覧席も何もなく、ただ土手から眺めるだけのもので

 観覧席の塗装の依頼を受けたときには すでにレースが開催されており

 大衆の歓声とボートのエンジン音の響く中 青年は一人 黙々と作業をしていくのでありました・・・

 当時の観覧席は、60メートル程の長さの鉄骨で出来たもので 座る所に木の背もたれが付いており

 それが7~8段くらいあったそうなのですが 

 当時の塗る道具と言えば ハケのみ。しかも 現場には青年一人しかいなかったので

 当然 全ての作業が終わるには 3週間ほどの 長い日数がかかった訳で・・・

 おまけに その時代に 「養生シート」なるものなどある訳もなく、少しでも垂らしてしまったら 大変

 しかし そこがプロの見せ所。

 塗装工リーダー曰く

 「勿論、垂らすことなく 全ての作業を作業を終わらせたぞ

 さすがは リーダー であります。

 養生に頼っている 今の若者には きっと真似出来ない ハケ裁きであったに違いありません 

 

 が。

 やはり 大の大人がこぞってギャンブルを楽しんでいる姿を毎日のように見ていてる内に

 賭け事に全く興味の無い 高橋青年も、

 “俺も一度くらいは やってみたいなぁ・・・” と ふと思い、 ある日親方である父親に

 小遣い交渉してみたのですが

 厳格な父親が 遊ぶ金銭など与えてくれるわけも無く・・・

 それでもどうしても 一度やってみたい

 という願望は増す一方で 今度は 母親に交渉

 すると 母は 普段懸命に働く息子の気持ちを理解してくれ

 見事 1000円という大金をゲットしたのでありました~ 

                                            つづく

 

 

 


バルーンアート いかがですか??

2008年02月21日 | Weblog

  昨日2月20日 前橋市の箱田町に 

 『ハーティーバルーン』の新店舗が グランドオープンしました~

 名前の通り、バルーンを取り扱うお店なのですが

 2006年には 《JBANウェディングメインテーブル》の部門で優勝をしているという

 実績のあるお店なのであります

 

 バルーンの装飾というと 自分の結婚式の時を思い出します。。。

 ただの一連のアーチになっていただけのもので 新郎新婦がアーチの下をくぐって

 皆さんの前に登場 という 結構重要なポイントだったのですが

 そのアーチ、両端しか固定されておらず

 しかもガーデンパーティーだったため 風に吹かれて 形が崩れてしまい

 当時の写真を見ると ちょっぴり後悔をするぷくなのでありました・・・

 そう。もう少し お金をかけて豪華にすれば良かったと。

  

 こちらのお店では 結婚式の装飾以外にも さまざまなイベントのお手伝いもしています。

 が、やはり ウェディング用の装飾は 目を見張るものがあり

 当時に戻れるなら 是非 こんなのしてみたかったわぁ~

 と思うようなものが満載です

  

 『ハーティーバルーン』 で検索していただければ

 ホームページに繋がるので 良かったらご覧になってくださいね

 新店舗オープンまでのお手伝いをさせていただいた

 ふくろうはうすからの お知らせでした

   

 


社長は 収穫好き!

2008年02月16日 | Weblog

  4年ほど前に 仕事をさせていただいた関係で知り合った 農家のM様。

 その時、露地栽培をしているほうれん草を 一列ずつ販売して、収穫の時期になったら

 好きなときに好きなだけ 採って帰ってもらっている との話を聞き、早速2列購入してみることに

 露地栽培のほうれん草は、甘みがあり とっても美味しいので、それから毎年購入しているのですが

 我が社の社長は この『ほうれん草の収穫』が大好きなのであります

 今年も 例年以上に気合を入れて 収穫に・・・

 そして、収穫したほうれん草を持ち帰ると 今度は大きな樽?のような入れ物に入れ、綺麗に水洗い。

 そのほうれん草を営業車につめ込んで、新鮮なうちに お世話になっている方々へおすそ分け。

 これが 社長にとっては非常に幸せなひと時でもあるようで ほうれん草を丁寧に洗っている姿から

 収穫しているときの嬉しそうな顔をも 想像できるわけで・・・

 そんなほうれん草の収穫も 畑に次の作物を植える関係で、明日が最終日となってしまいました。

 また来シーズンまで しばしのお別れです。 

 

  

 

 

 

 

 

 


ふくろうはうす昔話 第3話

2008年02月13日 | Weblog

  一人でも現場を任されるようになって3年が経ち、18歳になった高橋青年。

 当時 父親の元で働く数人の職人の中に、Fさんという人がいました。

 彼は仕事が出来、人柄も良かったのですが ある事情があり、東京へ行ってしまったのです。

 その頃、青年の働いた給料は 自分の懐へは全く入らず、全て親へ行ってしまっており

 自由になる小遣いが貰えるのは 盆と正月のみ・・・

 このままでは 自分はいつになっても変わらない。自立したい

 という思いは 青年の心の中で日に日に増して行き、ある日 上京を決意するのでした 

 唯一頼りになるのは 上京していったFさん。

 思いを打ち明けると、“親方の承諾は得ているのか?” と問われ

 得ていないと言うと それではダメだ と断られたものの、どうしても諦められず

 Fさんも根負けして 仕事を手配してくれ ついに上京出来ることに・・・

 しかしながら、やはり 世話になった親方に 何も告げず大事な一人息子を上京させる手助けをする

 というのは Fさんには出来ず

 父親のところへ Fさんからの手紙が届き、東京へ行くことが発覚してしまい・・・

 当然、許されるわけも無く

 青年の夢は はかなくも敗れ去るのでありました。

                                        つづく

 

   


ふくろうはうす昔話 第2話

2008年02月08日 | Weblog

  小学4年から家業を手伝い始めた高橋少年は、15歳の頃には 立派な職人になっていました。

 もちろん、今と違い 車すらなかなか見かけないような時代。

 機屋から譲ってもらった『人絹箱』に材料を積み込み、自転車の荷台へくくりつけて

 現場へ移動する毎日でした。

 (桐生といえば、その当時は 機織産業が非常に盛んで 

 町のあちこちに三角のギザギザ屋根の機織工場があったため、

 木でできた長方形の人絹箱は容易に手に入り 材料入れなどにとても重宝したそうです)

 “職人になって一番初めに 一人で任された仕事って、何だったんですか?”

 と質問すると しばし昔を振り返りながら考えて

 “確か、下見板の防腐剤塗りだったなぁ・・・” と答えてくれました。

 下見板 とは、家の外壁に貼られた板の事で その頃の家屋の外壁は

 これが主流だったそうです。

 でも その材料として使われていた塗料は 皮膚についてしまったりすると かなり厄介で

 火ぶくれになってしまうことも良くあり、ひどい時には アトピーのようになったりもしたのだそうで・・・

 “でも不思議と 何度も火ぶくれを経験するうちに 免疫がついて、塗料がかかっても大丈夫になったなぁ~” 

  えぇぇぇっ

 わたしじゃぁ 絶対に無理な気がする・・・

                                      つづく・・・


雪の節分

2008年02月04日 | Weblog

  昨日は 朝起きて外を見ると 一面の銀世界

 もちろん、一番喜んだのは 幼稚園に通う上の娘です。

 まだ雪山デビューをしていないため、スノーウエアが無いにも関わらず、

 なんと3時間も外で遊んでいました・・・

 雪は 大人にとっては厄介ですが 子供には最高のプレゼントですね

 

  そして2月3日ということで  節分でしたね 

 娘が幼稚園で作ってきた 鬼の角の被り物を 誰が付けるか

 と言うことになり、 流れで 『パパ』だろう・・・と思いきや

 なーんとママが鬼役に選ばれてしまい、勢い良く マメを投げられ 逃げ回るぷくなのでした・・・

 ぷくなだけに 福は内~ の方をやりたかったのですが~

 

   ふくろうはうすにも たくさんの福が来てくれます様に

 

  PS 先週は、FM桐生 ふくろうはうすの住まいの情報館は お休みでした

     そして、今週から放送日程が変わり、再スタートとなりますので

     日時が決まり次第、お知らせさせていただきます。