小学4年から家業を手伝い始めた高橋少年は、15歳の頃には 立派な職人になっていました。
もちろん、今と違い 車すらなかなか見かけないような時代。
機屋から譲ってもらった『人絹箱』に材料を積み込み、自転車の荷台へくくりつけて
現場へ移動する毎日でした。
(桐生といえば、その当時は 機織産業が非常に盛んで
町のあちこちに三角のギザギザ屋根の機織工場があったため、
木でできた長方形の人絹箱は容易に手に入り 材料入れなどにとても重宝したそうです)
“職人になって一番初めに 一人で任された仕事って、何だったんですか?”
と質問すると しばし昔を振り返りながら考えて
“確か、下見板の防腐剤塗りだったなぁ・・・” と答えてくれました。
下見板 とは、家の外壁に貼られた板の事で その頃の家屋の外壁は
これが主流だったそうです。
でも その材料として使われていた塗料は 皮膚についてしまったりすると かなり厄介で
火ぶくれになってしまうことも良くあり、ひどい時には アトピーのようになったりもしたのだそうで・・・
“でも不思議と 何度も火ぶくれを経験するうちに 免疫がついて、塗料がかかっても大丈夫になったなぁ~”
えぇぇぇっ
わたしじゃぁ 絶対に無理な気がする・・・
つづく・・・