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コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

2・26事件をどう見るか

2021-10-07 16:49:44 | 国際政治経済
2・26事件のNHKアーカイブ 226事件肉声の衝撃 という番組がある。2・26事件は、昭和維新を目指す運動だが、尊皇討奸、尊皇斬奸を旗印にしている。特攻隊の映画で、菅原文太が、凄まじい形相で 君側の奸を排除すべし というようなことを言い自刃していた記憶がある。ヤクザの文太よりすごいと感じた。

アーカイブでは、反乱軍と説得に当った将校の、当時の生の電話のやりとりが紹介されている。
真崎首班内閣でないとダメなのか という会話がある。真崎は、皇道派のカリスマということだったのだろう。青年将校が問題とした、社会の底辺の悲惨を背景にしている。それは、彼らの幼なじみの妹が貧苦のため身売りする社会に対する憤りがあったと考えられている。

君側の奸というのは、天皇の腐敗した側近という意味であるが、実質的には、財閥に奉仕する官僚政治家という意味である。
ちなみに、ナチスが独裁を確立した後、ドイツで共産主義が下火になったのには理由がある。ナチスは富豪、典型的にはユダヤ富裕層の資産を没収している。社会主義者がやりたいことをしたため、社会主義は存在意義を失った面がある。
実際、ナチス経済も統制経済であり、国家のための企業という、今の中国のような状況だったと考えられる。
社会主義の歴史では、ポルポトに似ている。というより、ポルポトは、マルクス経済学に最も忠実な政治家だったと言うべきかもしれない。自由な経済活動を否定することが共通している。

ところが、天皇制は、国家の体制であり、経済の体制、まして、法則ではない。
明治維新が目指した経済を天皇制のもとに管轄するというのは、本来の天皇制の趣旨に沿わない。
もともと、自由な経済活動を否定することと、財閥優遇は違うことは確かであり、経済統制のために、自由経済を窒息させることは、小のために大を殺すことにほかならない。財閥制御は自由経済発展の為に必要と理解すべきことである。

明治維新は、自由な経済活動を政策の基本に据えたから、財閥の弊害が起きたのだが、昭和維新は、経済活動そのものを国家統制する動きと考えられる。間違った方向性である。では、軍の中枢にある有能かつ正義感に溢れた人がどうして、そういう考え方に取り憑かれたのか。

それは、明治以降の学問的伝統によるものと考えられる。つまり、マルクス主義、とりわけ、それに付随する階級支配国家觀。東京帝国大学経済学部の主流、もしくは、重要な派閥は、マルクス経済学。つまり、マルクス主義は、明治以降の官学なのだ。

自由経済は、天皇制の中身ではないが、貨幣経済は天皇制が推進したところがある。日本的な共同体は、始めから、貨幣経済と分かち難い存在だった。いわゆる公地公民制は、本来の天皇制とは異質性が多いし、制度そのものは、多分に外来的な、実質的には増税政策、貴族階級支配の移入と考えられる。

明治維新で目指された天皇制は、天皇主権国家であるので、皇道派が登場するのは理解できるところでもあるが、全体としての明治国家の方向性は、国民の自由な活力によって、社会を発展させようとしたものと考えられる。
それは、国民は天皇の子であり、国民をいつくしみ育てるのが天皇(アマテラス)の本来の姿という、古代からの共通認識の下に存在するのが、天皇制である。

天皇制が、マルクス主義的に歪曲されたのが、皇道派の理念と考えていいだろう。
それは、寛容と改善を至上命題とするイスラム教をマルクス主的に歪曲したのが、イスラム原理主義イデオロギーであることと似ている。

映画「戦争と人間」の読み方

2021-10-04 20:26:51 | 国際政治経済
第二次世界大戦をどう総括するかということは、いろんな角度から行われている。

Ⅰ ①世界征服を目論むファシズムに対して、民主主義国が応戦した戦争
②日本においては、アメリカの経済封鎖に対する出口を求めた資源市場獲得戦争

というような把握に集約されるのではないかと考えられる。そうした面もあるが、一番重要なことは、当時の世界情勢と各国の動きという視点が欠けているため、事態を正確に描けず、誤ったイデオロギーをばら撒く基盤になっていると考えるので、不十分を覚悟して、自分の考え方をまとめることとします。

もともと、
Ⅱ ①田母神氏が、Twitterで、毎年毎年、盆頃になると、反戦番組がまかり通り、うんざりするというyプなことを書いていたことに触発されたこと
②BSの番組の 関口宏のもう一度近現代史 という番組の持つ指摘 傀儡皇帝溥儀が、満州国に アマテラス を持ち込もうとしたことを滑稽だと指摘していたこと、満州国は、住民の土地を取り上げて日本人に配布した というような視点があった。

に始まる。いずれも、Twitterでも論じているが、Ⅱについては、すでに論じているので省略する。
以下は、Twitterでも論じて「たものの補筆訂正。

戦争と人間 と言う映画がある。小説というより物語。事象をバラバラに羅列しているだけの映画に見える。ただ、面白いのは、栗原小巻さんが、中国人の富豪の娘役で、たどたどしい日本語を話している。第3部では、吉永小百合さんの熱演がある。日本映画界総力を挙げた大作ではある。

この映画では、中国共産党の勢力が過大に扱われているが、日本の統治は法に基づくものであり、軍閥は自然に衰退する運命にあったのではないか。この頃の共産党勢力は基本的に日本と戦っていないのではないか?全体的に戦争の相手は蒋介石の軍。つまり、蒋介石軍の敗因は、両面戦争に陥ったこと。

共産党軍が勝利できたのは、ソ連参戦が決定的要因。もちろん、その後の内戦の過程において、戦力は飛躍的に増大したと考えられる。そうした歴史的背景を無視しているから、この映画は、壮大な嘘に見える。

満州国とアフガン親米政権は似ている。違うのは、満州国が、日本主体で、日本の法治主義を官僚制度を持ち込んで統治しようとしたこと。それは、半島でも同じ。アフガンと違うのは、持ち込まれた法治主義が、その国の人達に引き継がれたこと。実際の所、多分に残しているのが韓国で、北では全部、満州では半分潰されたと考えられる。

戦争と人間 のその後の系譜はヤクザ映画にあるのではないか。それも、義理と人情をロマン化したものではなく、現代の暴力ヤクザ映画。軍隊、警察は、ほとんど暴力団として表現されている。だいたい、現に存在したものが、100%存在の合理的理由がないということが、基本的におかしい。

社会でも、組織でもそうだが、一般的に女性がどういう地位に置かれているか、どんな女性が評価されているかで、値打ちが決まる。女性の地位が低いときは、必ず、男勝りの女性が面に出る。この映画では、男勝りの女性かか弱い女性しか出てこない。

満州国建国は、関東軍の独走、戦略的な失敗であるが、当時の軍閥体制、内乱情勢の中では、一概に断定できない。結局、どんな勢力の力による統一が現実化しても、それを維持することは難しい。時代は、既に覇権国家が成立する時代ではなくなっている。
現に、第二次世界大戦後は、民族独立の嵐が起きており、その嵐がなかったのは、旧ソ連、中国だけである。現在の中国のウィグル問題は、民族自決のレーニン主義の原則を踏みにじっているということだが、一般的に、民族抑圧を継続したのは、社会主義体制事態自体であったことは歴史の事実である。

一般的に、中国の歴史は、支配民族による他民族の支配の歴史である。中華文明は、神話的な時代の継承ではない。その変化が起こったのは、漢の武帝の時代からではないかと考えらえる。その動きは、匈奴民族の動向によく表れている。結局、五胡十六国、隋唐朝建国のなかで、支配された匈奴民族が、逆に支配者となっている。少なくとも、支配勢力を構成する有力集団になっている。
この過程のなかで、支配、従属社会体制が定着している。中華文明の悲劇と言うべきだろう。
つまり、漢民族は辺境民族を支配従属させることにより、逆に支配されることになったのである。
中華国家がもし、中華文明を共有する共同体、具体的には、漢族共同体を基盤にした国家ではなく、勝者による支配の体制として、中国の歴代王朝が築かれる。
明王朝と清王朝に権力基盤の継続性がないように、各王朝は共通の基盤を持たない。中国は、マルクス主義国家論が一番よくあてはまる国ということになる。私の用語によれば、二重の疎外国家。

つまり、覇権国家の道しかないところが、中国の悲しい現実ということになる。また、社会主義も、レーニンの思想のような民族自立の制度は不可という実践的結果が出ており、ソ連圏の成立と維持は暴力によるものだった。

満州国は、清朝皇帝溥儀を傀儡として創建されたが、清朝は中華帝国。漢民族を主とする帝国。先祖が満州族だからというのは、こじつけ。私は、当時の軍閥を主体とする民主政体がベストな選択ではなかったかと考える。ただ、満州国における法治主義、官僚制が、そうした政体で育つかは極めて疑問。

関東軍は批判されることが多いが、高度な軍事支配なくして、満州国の民生部門は発展しなかったというのが歴史の真実だろう。もともと、中国の歴史は、支配服従の歴史。軍閥政体も、その継承であった可能性が高い。実際のところ、共産党中国も、社会発展のモデルの一つは満州国だろう。

ここで問題になるのは、発展の可能性がない地域と住民に、どう対応するかという課題。これは、子育てに似ているのではないか。つまり、本人が勉強する気がないときに、無理矢理押し付けても逆効果。いずれにせよ、軍閥政体の発展の中にしか展望は無かったと考えられる。

満州国のことを考えるのは、世界の紛争国にどう対応すべきかのベンチマークになるのだが、一番至近の例が、アフガンということになる。軍閥政体が戻った状態。ただ、タリバンが閉鎖的になる可能性が高い。アメリカは、満州国を批判したが、その批判が浅薄であることがアフガンに見られる。

戦争と人間第三部は、日中戦争の話。この戦争については、あらゆる点に疑問符がつく。この戦争までは、国内、軍内でも、戦争拡大に批判があったが、これ以降の世論は主戦論主体。共産党の中国では、この侵略行為に批判が多いが、結局、戦線拡大により得したのは、共産党勢力。これが歴史の真実。問題は、これをどうとらえるかということだろう。

全くの論理的推測だが、当時のコミンテルンの戦略は戦争拡大と考えられる。日ソ不可侵条約、独ソ不可侵条約は、戦争の引き金になっている。内乱を革命に というのが、ロシア革命のスローガンだったことを考えると、容易に推測できる。実際、その通りになっている。権力を握ればなんとかなるという発想。

映画自体は、そのことを都合よく描いているだけだと考えられる。逆に見るとよく分かる。リテラシーというのは非常に重要だとつくづく思う。

それで、アメリカはどう考えていたのだろうか。アメリカ支配層は、コミュニズムを実験だと考えていた可能性が高い。自分のところでは嫌だが、混乱したところで手を出すくらいの認識だったのではないか。しかし、事態は、想定外の方向に進んだ。つまりところ、アメリカの関心事は太平洋と大西洋の覇権が主tろいうことだろう。

結局、戦争の拡大の第三番目の要因は、コミンテルンの世界革命戦略によると考えられるが、これが、決定的な要因であり、1番目、二番目の要因は、その方向に沿った戦略であると見ることができるほど、第三番目は大きい要因であると考えられる。つまり、その流れに沿った優れた戦略であったということである。

日本内では、特に、軍部におけるマルクス主義国家観の浸透が注目されて然るべきだろう。特に、皇道派は、裏ではマルクス主義の国家間そのものではないかと思う。つまり、国家は階級支配の道具であるという考え方。ちょうど、今のイスラム過激主義が、マルクス主義の影響を強く受けていることに似ている。

戦争と人間 は優れた映画であるが、その虚偽性が、日本の針路に災いを起こしているなら、厳しい批判が必要な時期に来ていると考えられる。

新形コロナ医療体制はどうあるべきか?

2021-08-05 11:36:57 | 国際政治経済
政府が、中等症患者の自宅療養方針を出したことで、批判が集中している。
Twitterでも論じてきましたが、大きな医療体制転換の時期にあることは確かでしょう。

ここに来てはっきりしたことは、これまでの政府のコロナ対策は、医師会主導の者であったということです。それが、はっきり出たのが今回の問題でしょう。

実は、今回の発表前に、注目すべき報道がありました。
①かかりつけ医の関与拡大
②入院待ち感染者増大
ということです。つまり、医療崩壊が起きているということ、その中身は、病院医療(専門病床)崩壊です。崩壊というより、危機的水準というべきでしょうが、一般的ではないので崩壊と記します。。

ある現行制度を変えるときは、全体的な見取り図が必要です。今回の政府の決定の致命的欠陥は、見取り図を示さないとことにあります。

では、その見取り図の核心的中身はなんでしょうか?
①保健所中心の感染対策から、医療機関中心の感染対策に移行すること。感染症法の種別変更を行うことが必須になります。
②医療機関に対する国家的関与を促進すること。
の2点になるでしょう。

①については、Twitterでも論じてきました。
②については、ロックダウンによる私権の制限の議論がありますが、ロックダウン自体が効果がないことが、欧米の経験で明らかになっています。家庭内感染拡大しただけで、波を台形にしただけという効果があります。

今の問題は、場合のよっては、都内に専門病院を確保するとか、そういう抜本的な対策が必要になると考えられます。

神道の起源とアマテラス

2021-04-04 16:36:12 | 国際政治経済
Twitterでも論じてきましたが、この国における神道の基礎であるアマテラス信仰について、まとめることとします。
というのは、BS朝日の、「もう一度近現代史」という番組のなかで、満州国皇帝溥儀のアマテラス招聘を傀儡政権の具体的な愚かさの証のように紹介されていたことについて、違和感を感じたからです。
そうであるなら、弥生の祭祀遺跡でアマテラスが祭られていたとは考えられないから、歴史的時点は違うが同じことになると考えられるからです。

確かに、日本の神道を考えるとき、一般的には、縄文16000年を考慮きないのが一般的です。しかし、こうした視点は、現実的ではありません。祭祀遺構があるのは弥生の水稲コミュニティだから、定立されたものとしては無視されがちに過ぎないのでしょう。
しかし、縄文と弥生は、前者が否定されて、後者が勃興したのではなく、文化的継承がみられるというのが、最近の研究の結論のようです。

結論的に言うと、アマテラス信仰は、天皇制の確立とともに整理されたということになります。
これを解くカギは、古代における、大王と天皇の存在にあると考えます。つまり、国譲り神話として神話化されたことは、大王が、天皇に地位を譲るという形式で、大和の宗教的権威と、大王の実質的権力が融合した歴史の表現であり、このなかに、アマテラス信仰、日本神道の確立を見ることができるという論理的指針です。

宗教的な論理を持ち込んだのは、私の推論でも、秦氏ということになりますが、受け入れる素地は縄文にあると考えるのが相当です。内容を形を与えただけのことです。欧州のキリスト教化の過程とは異なります。アマテラス信仰は、母性信仰であり、それは、縄文から続く信仰であり、スサノオ的なものは、政治過程の中で、事実の神話化、総合化、純化の中で確立したものと考えられます。

アマテラス信仰、つまり、母性信仰は、私の歴史論(母系社会として存在した原始社会が、父系氏族社会に移行し、さらに、国家形態の社会からの独立(疎外、外下)のなかで、世界宗教が誕生したという宗教一般の歴史観)でも、世界的な、一般歴史的な観点から、どこの国でも当てはまる信仰となります。黒人のアマテラスや、白人のアマテラスがあっても不思議ではありません。ある意味、始原的な宗教です。もちろん、自然崇拝とは異なる。コミュニティの宗教です。
さらに言うならば、少数派的な母性宗教であり、それは、観音仏教が日本において広まる基礎にもなっています

古代史の歴史的な変わり目は、聖徳太子の時代から壬申の乱までと考えるのですが、日本国家の大きな歩みは、神天皇、つまり、卑弥呼の時代ではないかと考えられます。つまり、地方の分家が、本家との何らかの連合政権を樹立したのではないかという推論。

応神朝は、河内摂津を本拠地にしているのは、天皇陵の位置から推測されますが、機内の支配権は、大和が有し、分家は外的拡大を目指したと考えられます。結局、応神の日本統一を機に、実権は自然に移行します。オオキミ、大王家(大物主家)が生まれ、本家の流れは天皇家となり、権威的な象徴として生き残ったと考えられます。アマテラスとは、天皇の別読みである可能性が高い。スサノオとの違いは明白です。母性神と、男性神の共立が、神道の特質になっています。

この推論が、正しければ、天皇制は、縄文文化の流れを引いた、日本の歴史そのものということになる。

突起タンパクは、正常細胞と結合しない保証はあるのか。

2021-02-15 13:30:05 | 国際政治経済
東洋系剤オンラインの1年前の記事で、ー新型コロナウイルス「生物兵器論」は本当なのかーという記事があります。

この記事は、コロナウィルス陰謀論は、間違いで、新型コロナウィルスは、研究所で作られたものではないということを主旨とするものですが、その可能性を否定するどころか、疑念が深まるキジになっています。

このなかで、インドの研究者の指摘が紹介されています。要するに、コロナとSARSの突起タンパクの違いは、エイズのタンパク質配列部分 というような指摘です。この論文は、陰謀論との関連を嫌ったのか、削除され、主張は撤回されたとされていますが、この指摘の批判ではなく、削除が回答だったというのがより疑念を深くします。


陰謀論、生物兵器説は無視するとしても、この事実は、このウィルスを考えるとき、非常に重要なことでしょう。

つまり、突起タンパクは、他のタンパクと結合しやすいのではないかという疑念です。

ワクチン開発者も、米国在住の医師も、突起タンパクは、人間の体にとっては、異物なので、抗体がつくられたのちに、対外に排出されると主張しますが、根拠は何もありません。

厚生労働省は、ワクチンの安全性と効果が、保証されたと言いますが、結果は何も検証されていません。今後、最低1年、ワクチン接種者が、どんな生理身体反応をするか、見守る必要があります。

全医療関係者の生命を危険にさらすようなことを、専門家がなぜ、後押しするのか、全くわかりません。