コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

我が国の防衛戦略の2つの課題

2020-11-11 11:27:16 | 国際政治経済
昨日(11月10日)のプライムニュースで、自衛力の強化(安全保障のあり方)についての議論があり、Twitterでも書きましtが、まとめる必要があるので、私なりの意見を論じます。
佐藤議員、河野元統合幕僚長、専門家の討論がありましたが、敵基地攻撃能力の具体化について、踏み込んだ課題が浮き彫りになっていました。

具体的には、誰が、攻撃判断をするかということですが、日本の安全保障の基軸である、日米安保を念頭に考えると、どこを攻撃するかは、統合幕僚本部に任せてほしい。ん最初から、パターンをマニュアル化することも不可能だし、その時点において最大の効果を発揮する攻撃目標を選定するのは、自衛隊しかできないから、これは当たり前の話だろう。

ただし、その前に、前提となる論点を整理すべきでしょう。

まず、日本の場合は、憲法9条と日米安保という枠組みがあるということです。
尖閣有事の場合、米国の立場は、日本が管轄していない限り、日米安保における保護対象とはならないと明言していることが番組でも披露されていましたが、まず、自分で守っていないと協力は得らrれないよいうことになります。(安保の制約)

また、自衛のための戦争行為(狭義の専守防衛よりも概ね広い)に限られるということになり、攻撃に対する反撃も、自衛的攻撃に限られることになります。(憲法9条の制約)

憲法9条改正論でも論じたように、戦略的には、緒戦、限定戦争に限られ、自衛隊自身が、決戦を行うことはできないという解釈になります。2つの制約に規定される、戦闘行為の本質がここにあります。

また、この制約自身は、現代における戦争一般の状況からして、閃絡的には、それで十分に機能するものです。ただし、ここで、重要な概念は、戦略は戦術に規定される という現代戦争の本質があります。

結局、日本の防衛力強化の要は、この、「戦略は、戦術に規定される」という理念にあります。

では、戦術論としての課題は、なんでしょうか?

私は、
①軍事情報把握
②具体的情勢における具体的判断
であると考えます。

①は、あらゆるソースからの情報であり、施設兵站情報などの具体的情報、その取得を可能にする技術であり、また、技術情報には軍事技術情報も民生技術情報もありません。
②は、固定的な軍事施設、兵站貯蔵施設などが想定されますが、施設そのものが、移動型、分散型になっていくと考えると、①との関連が非常に重要になります。

つまり、情報と技術が一体的な動きを持ち、結論は、この戦術的分野によって半ば合理的に判断される可能性が高いと考えられます。情報に裏打ちされた結論が機械的に見出されることになります。

他方、日本の防衛的戦闘は、制限戦争的制約に加え、平和憲法の理念から、その戦闘が、戦争をやめさせる戦闘でなければならないでしょう。つまり、平和維持軍的な意味合いの軍事活動である必要があります。私は、この平和維持軍的な究極の先例を、カンボジア侵攻時のベトナム軍の行為に見出します。

情報に裏打ちされた結論が、憲法的制約を受けるということになります。
そして、その最終判断は、主権を委任された政府が行うのですが、その政府の行いも憲法的制約を受けることになります。ここでは、自衛隊がどういう存在意義を有するもので、それが何を目的にするのか憲法に明記されていることが重要です。現在のような、主観的容認論では、自衛隊そのものの制約は何なのかという議論が固定した結論にはなりません。政府の解釈によって右往左往するようでは、自衛隊そのものも、結局、有効性に乏しい存在になるでしょう。

つまり、憲法的に明文化され、合憲組織として憲法的制約を受ける組織でないと、議論が定まりません。非常時には役に立ちません。言わば、ブレーキのない自動車のようなものであり、危険であるため使い物にならないものであることが起こる可能性があります。