コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

アジアにおける民主主義の歴史について

2022-08-03 22:07:53 | 国際政治経済
これまで、Twitterで論じていたことのうち、まとめておく必要があるものについて、覚書ふうに
書きとどめておくことにします。

以前、上からの民主主義、下からの民主主義について、論じました。

下からの民主主義というのは、貨幣の公正・公平機能からくる、経済的自由、営業の自由を核にして、
法学の世界では、自由権と概ね総称される自由を基礎にする民主主義です。

これに対して、上からの民主主義というのは、共同体内の構成員の自由、生存を保障するもので、方g区的には、生存権を核とする民主主義と考えられます。

現実の革命によって、体制転換が起こり、民主主義が飛躍的に進化してきました。

その革命の前者は、フランス革命、いわゆるブルジョア革命です。
後者の典型は、ロシア革命になります。ロシア革命が、民主主義を追求したということは認められないというのは、実体にそぐわない見解でしょう。

後発資本主義として資本主義が不利な立場ですから、労働者はさらに不利な環境におかれ、農民は、貧農の重苦にあえいでいたことについて、結果的に豊かな国家を作ったわけですから、民主主義の生存的要素を充実したことは確かです。

そして、歴史的には、上からの民主主義は、下からの民主主義よりも早く登場しているというのが、今回のテーマです。

アジアにおいて、その始まり、つまり、シンボル的な始まりはいつかということになります。

私は、これを、魏の曹操 に求めます。
均田法。それが、その答えです。これは、参謀の荀彧の案だとされますが、曹操にとっては、黄巾の反乱農民を囲い込む手段であったはずです。

重要なことは、それを黄巾の頭領が提案あい、要望して、その受け入れを強要したものではない可能性が非常に高いということです。言わば、西欧的な、話し合いに基づき、提案されたものではないyということです。

現に、農民は、過酷な徴兵、兵糧提供に応じざるを得ないのですから、西欧的な民主主義とは、本質的に異なります。しかし、人民の生活を大いに向上させ、豊かな人材を生み出す基礎になりました。

実際のところ、この制度は、その後も継承され、隋、唐で完成していったと考えられます。
そして、その基礎、社会的環境は、漢民族による中華帝国から、多民族混成による中国の統治体系の基礎になります。そして、帝国の破綻と再生は、農村秩序が崩壊し、再度、農村社会を立て直すとことから始まるというのが、概ねの建国過程ではないかと考えられます。

多民族国家というのは、上からの民主主義で発展するのが常道と考えることができます。しかし、これは、大陸覇権国家の「あり方に直結する事象と考えることができます。

日本の場合は、いち早く導入っしていますが、上からの統治強化という側面がでて、いち早く破綻し、武士の登場になったということになります。

この過程で明らかなことは、フランス革命より、遥かに早い時期に、民主主義的改革が実現したというところにあります。
ただし、貨幣経済は、急激な展開は望めず、上からの改革の欠点である貴族政治の克服は、近代においても、負の遺産を引きずっていたというのが、中国の歴史ではないかと考えます。

さて、2つの民主主義は、論理的展開をもち、その将来も論理的に推測づることが可能です。
それは、人間の歴史は、家族形態から、国家形態、価値形態が分離して、現在は、国家形態と価値形態が近づく中で、相手を完成させる関係にあるという見方から可能になります。

つまり、上からの民主主義と、下からの民主主義は、互いにけん制しあいながら、お互いが発展するという歴史的展望の立つことができます。

ただし、一部の論者は、両者の対立を絶対化します。しかし、そうしないと、自分が発展しないのですから、互いを育む視線を持たないと、自らを失うことになります。

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