コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

医療崩壊を防ぐ方途

2020-04-23 23:09:30 | 国際政治経済
大規模クラスターが発生した大阪市のリハビリ病院で、陽性の看護師に勤務を命じていたという信じられない話がある。言語道断の出来事ですが、その背景にあることを考えないと前に進むことができない。

一般病院では、手術抑制というような病院からの対応もあるだろうが、病院に行くことを憚る人が多くなっていることも事実だろう。もともと、行く必要がないのに、暇だからいくのかなという人が、現在の国民皆保険制度維持を困難なものにしているという論もあるが、不要不急の用事ということだろう。

しかし、双方の理由により、結果として、患者が減り経営的に苦しくなっているのは事実であるようだ。コロナのために、大幅な収入減になり、経営的に苦しくなっている病院も多いという報道もある。
そういう状況もあり、この事案では、無理にでも動かさなければならなかったのだろう。もちろん、病院の特殊性により、継続して患者を面倒見なければならないよいう面もあるが。

こうした状況を反映して、大阪市では、一般病院を感染症専門病院にするという。こういう取り組みは、全国に広げるべきだ。国は、転換費用を100%負担して、全国に広げるべきだ。危機のときこそ、集中と選択が重要。

※Twitterで書いたことを、一部補筆しました。

自国通貨建て国債は安泰なのか?

2020-04-18 14:44:06 | 国際政治経済
10万円一律給付で、ネットで話題になっていることに、

①国債は国の借金であり、国民の借金ではない。
②日本国債は、自国通貨建て国債であり、日本国内において日本国民が買っているから問題はない。

この議論のなかに、現在の管理通貨制度の重要な論点があります。

①については、国の借金は、歴史的には、民間債務の肩代わりであるという視点が重要でしょう。
日本の1000兆円と言われる借金が急速に膨らんだのは、90年代、いわゆるバブル崩壊後の積極財政、福祉充実、補助金漬けによるものと考えられます。
現に、国は膨大な赤字を抱えていますが、大企業は、内部留保問題があるくらい資金が豊富で、いまや、金融機関は必要とされていない状況があります。

官民のバランス欠如は、結局、企業優位社会を生み、格差拡大の一因になっています。(格差拡大の最大の要因は、グローバル経済)

だから、順番では、今度は、民から官へのお金の還流となるのですが、そうはなりません。その反映が①の言葉になっています。

②の論点は、円が、ユーロとともに、準基軸通貨の地位を確保していることに由来します。どこの国でもやれるわけではないのです。韓国のことを想定してください。それは、国際収支、外貨準備高がよく言われますが、日本企業の活動が世界経済に占める割合の大きさに起因するところが大きいでしょう。

ただ、準の地位は、ドルが安泰だから、そういう地位が保障されるのです。貨幣は経済流通により、実現するのであり、元の地位が向上している中では、その地位も微妙なものとなります。
よく、金保有が、貨幣流通の保障と言われますが、金は、貨幣の必要性に応えることはできません。日本国が、今から金をかき集めても無駄と言えるでしょう。

ということは、ドルが崩壊し、もしくは、基軸通貨としての価値を著しく損ねると、状況は流動的になるということです。また、紙くず同様のドルを持っていても、対外的に信用を得ることはできないでしょう。

12兆円というのは、国税収入の3分の1から、5分の1というので、すごい数字ですが、1000兆円という規模から見れば、大したことにない数字です。しかし、国民の関心、意志がこういうところにあると皆が思うようになったら、いつかは、国に資産を没収されるという恐れを抱く人も出てくるでしょう。実際のところは、国が資本に見捨てられるということになります。

もう決まってしまったことは仕方ないですが、今の政治家、国民に深く警告を発する必要があるでしょう。




コロナショックと日本の岐路

2020-04-18 11:16:17 | 国際政治経済
一律10万円給付に関連して、コメントを各所で書いてきましたが、この国が大きな曲がり角にあると考えられるので、自分の考え方をまとめることとします。

今、EUで起こっていることは、新型コロナで未だに、経済活動再開の目途が立たないイタリア、スペインが要求する財政支援を、フランス、ドイツが拒否しているという構図です。EUの存在意義がないということですが、アメリカも困難度は同じですから、ここも頼りにすることはできません。

結局、中国がその役割を引き受けるという見方もあるのですが、中国の進出は、中国のための、中国による進出がそのパターンです。港湾開発でも、中国の船が使うために、中国の会社が、中国人によって工事するというのが普通のようですから、経済支援ではありません。経済侵略に等しい。
中国も考え方を変えるかもしれませんが、そうするのは、中国の国内事情から、そういう対外政策を行っているのですから軌道修正は難しいでしょう。

それで、本来、出番となるのが、この国なのですが、今の国民の関心は、一律10万円給付万歳であり、世界のために、この国は何をしなければならないかという論調がどこにもない。

個人も同じですが、その人が本来持っている可能性、運命論的には宿命に、乖離した行動を取っていると、その人は周りから無視され、近しい人が離れていくことになります。
国家もこれと同じことが言えるのであり、今が、まさに、その時と言えるでしょう。

ここでは、そのための条件整備は何なのかを挙げるだけに留めます。
①管理通貨制度を棄損することなく維持する。
②自主防衛主体に舵を切ること。

本庶氏の提言について

2020-04-16 20:55:50 | 国際政治経済
ノーベル医学・生物学賞受賞者の本庶氏が、コロナについての提言をされているので、これについての意見をまとめることとしました。

本庶氏の提言のうち、次の3点を検討します。

①都医師会のいうようなPCRセンターを設置し、1日1万人検査実施。受け入れ施設を充実し、早期隔離を実施。第二波には、この対応しかないようで、その方向に向かっている。

②満員電車が一番危険

③本庶氏は、敵と闘うためには、敵を知ることだとし、そのための検査だとする。

①は、第二波には、この対応しかないようで、その方向に向かっている。ただ、これまで指摘されていたように、保健所では、その能力に限界があることも事実。つまり、新しい、特別の体制を整備する必要があるということになります。
今日の読売朝刊は、後藤新平のことを紹介していました。これと同じ発想が必要になるということでしょう。

そこでの留意点は、
ア 発熱外来というような意味不明のではなく、
イ 民間機関に丸投げするのではなく、
ウ 第3者的な公的機関を創設するということにポイントがあるようです。
国は、都医師会の取り組みに公的な枠組みを与えることが必要になるでしょう。

②の警告は、キツイ言葉だ。しかし、外出禁止令を出したフランス他は、延期が視野に入っていることを考えると、外出禁止は収束の切り札ではないことは、すでに実証済。問題は別のところにあると考えます。

③の「敵を知る」というのは、敵の特性を知ること。このウィルスが、どういうウィルか、人間の行動だけではなく、環境とどういう相互作用を持つのかを究明することが重要だと思います。基礎研究が重要というのは、こうした視点の基礎研究が今の感染症学会に足りないというということになります。

なお、本庶氏は、ワクチンの効果には懐疑的で、新薬開発が重要だとし、アビガンなどをどんどん試すべきだとしているのは、全く同感です。


コロナショックが問う聖書の課題、宗教の原点回帰

2020-04-06 14:21:27 | 国際政治経済
マスコミでは、宗教的問題はとらえられず、西欧における、特にキリスト教圏における新型コロナの爆発的感染拡大の宗教的要因は論じられていません。私は、すでに論じているのですが、キリスト教の危機とも映るこの事態にあたり、これまでのキリスト教観を掘り下げ、まとめてみることにします。

まず、ここでは、キリスト教は、キリスト没後において、ユダヤ教との教義の分別ということから始まったと考えることにします。
どういうことかと言えば、キリスト教は、このとき、ユダヤ教の1宗派ではなく、独立した別体系の宗教になったのですが、それまでのユダヤ教も、ここで変化したということです。
何がどう違ったかと言えば、メシア論が、ユダヤ教からキリスト教に移り、前者では論理上なくなったということです。あくまでも私見ですから間違っているかもしれません。

しかし、そうしたことは、旧約の理解を妨げることになり、キリスト以前のユダヤ人社会の宗教観は変容したのではないかと思われます。実際的には、旧約の価値低下というところでしょうか。

では、それまで、ユダヤ人社会では、どのような神観があったのでしょうか。
ここでは、これまで、キリスト教について折に触れて書いてきたことを含め、まとめてみることにします。

1 はじめに言葉ありき。そして、神が現れた。
  一般の理解では、神の言葉があり、世界が生まれたと理解されるのですが、人間は、言葉を知る前に神を知ることはできません。また、言葉の究極は、人間の論理であり、論理は、真理の人間的表現です。
そして、論理と神は同一のものであり、言葉と神は同じものであるということになるのですが、超越的存在である神は、論理とは別の存在です。この同一性を固持すると、汎神論という名の無神論になります。
そう考えると、どうしても、言葉が先に現れ、それを通じて、人間が神を意識するようになったということになるわけです。
また、論理は、真理であり、正しい認識のうえに神は現れるという、平たい理解になります。
遺体についてのキリスト教の通常の理解は、真理(ここでは、病に冒された亡骸が天国に赴くという不合理の否定)に背くことになります。つまり、神に背くことになります。

2 十戒は、社会の掟であると同時に、モーゼ(バアルの化身)が、神(ヤーウェ)に忠誠を尽くすことを表わしたもの。
  これは、地上の王者は、天上の神に忠誠を誓う形式。

3 福音は、復活によりもたらされた。

4 十字架の誓は、キリストの道に従うという意思表示であり、究極的には、現在も存在する使途とその精神の拠りどころとされるもの。

この4つが、聖書の究極の教え、本来の姿ではないかと私は思います。