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コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

日本の神社は、なぜ氏神神社なのか

2025-04-09 14:44:58 | 国際政治経済
神話上の神は創作であり、そのモデルは、現実の存在であると考えられます。応神とスサノオが典型的です。ニギハヤヒのモデルは崇神ということになります。
アマテラスはどうでしょうか。応神の母、神功皇后が仮置きのモデルになります。崇神の母は、イカガシコメノミコト(伊香色謎命)です。崇神と竹内宿禰の母であり、神功皇后と同じ位置関係にあれいます。。
旧事では、ニギハヤヒトとともに降臨した命には、その後に登場する豪族の祖とされる命がおり、また、ニギハヤヒを祖とする物部、穗積、采女があります。(古事記)
崇神王朝から応神王朝への交代を古事記日本書紀が匂わせるので、話が混乱していますが、旧事は、ニギハヤヒの父性神話を、アマテラスとスサノオの母系父系神話に変化したために、起こった混乱であると考えられます。
平安時代の貴族社会では女性は結婚しても実家に留まる妻問婚が主流であり、古代における母系社会の伝統が父系社会に残っていたと考えられるのですが、崇神の時代も同じであると考えられます。
イカガシコメノミコトの兄は、イカガシコオノミコトで、物部の祖先です。名前が似ているように、イカガシコメは物部の流れです。イカガシオコは水の神とされています。
崇神がヤマト入りした経路は、物部が各地に進出し、そこで水稲栽培を行い、一族を定住させた経路と同じものと考えるのが適当でしょう。
どのような経路か?それは、物部の一族が定着した地域を経由したと考えられます。
具体的には、近江かr采女(四日市)、穗積(亀山、忍山神社)ということになります。
物部の一族は、本来は河内平野が根拠地で、その前は出雲(大国主)であると考えられます。そこから、どこを通り三重県に入ったのか、三重県北勢地域に八風街道(八風峠)というのがあり、そこを経由して進出したと考えられます。近江から、京都、奈良へ向かわなかったのは、その地域には、葛城氏の勢力であったからでしょう。尾張へいかなかったのは、尾張氏(大伴氏)の存在がある。物部の動きは、物部集団が、農兵集団であると理解するのが合理的。彼らは、ヤナトへ進軍したのではなく、他勢力のいない地域で生活基盤を持つことを主眼にしており、最終的に、ヤマトの葛城氏と連合を組み、尾張氏を含めた東海、関西に広がるおおきな王権を創建した。最初のヤマト王権としての崇神王権の誕生。
弥生時代の銅鐸文化圏は、山口県から静岡までと広いが、応神王朝直前までの広がりを示し、崇神の時代に、この広がりが政治的にあったとは考えがたい。
三重県いなべ市いなべ町大泉に、大谷神社があり、ここの祭神は、水分大神、アメノコヤネノミコト、ウケモチノカミトされています。神社の歴史は古く、1499年に、春日大明神と合祀され、かすが大明神の祭神は、藤原系のアメノコヤネノミコトですから、元の大谷神社の祭神は、水分大神、つまり、イカガシオコノミコトです。
もともとの大谷神社の祭神は、イカガシコメノミコトとイカガシオココノミコトの2神であるという伝承があり、この伝承の方が理にかなっています。非常に面白い事例で、物部系の神社が、藤原系の神社に置き換わったように印象があります。水分大神というのは、本来、別名なのですが、自然神かという印象があります。
しかし、藤原氏が、葛城蘇我系の神を継承したと考えると、180度見方が変わります。つまり、葛城系の命と物部系の命の合体ということになります。古代崇神王朝は、葛城、物部、尾張氏の連合体(いわゆる三輪伝説の実質)と考えると、神社ロマンのような花井になります。合祀は1499年ですが、1000年の時を超えて葛城(蘇我)と物部が合体した。縁結びなのか、仲直りなのかわかりませんが、縁結びでしょう。
要するに、日本の伝統的な神社は、大物主系の神社を基礎として、培われ継承されてきた神社であると言うことができます。そして、なぜ、日本の神社が、すべて氏神神社なのかの証明になっていると考えられます。

日本の神社はなぜ氏神神社なのか

2025-04-08 15:38:03 | 国際政治経済
神話上の神は創作であり、そのモデルは、現実の存在であると考えられます。応神とスサノオが典型的です。ニギハヤヒのモデルは崇神ということになります。
アマテラスはどうでしょうか。応神の母、神功皇后が仮置きのモデルになります。崇神の母は、イカガシコメノミコト(伊香色謎命)です。崇神と竹内宿禰の母であり、神功皇后と同じ位置関係にあれいます。。
旧事では、ニギハヤヒトとともに降臨した命には、その後に登場する豪族の祖とされる命がおり、また、ニギハヤヒを祖とする物部、穗積、采女があります。(古事記)
崇神王朝から応神王朝への交代を古事記日本書紀が匂わせるので、話が混乱していますが、旧事は、ニギハヤヒの父性神話を、アマテラスとスサノオの母系父系神話に変化したために、起こった混乱であると考えられます。
平安時代の貴族社会では女性は結婚しても実家に留まる妻問婚が主流であり、古代における母系社会の伝統が父系社会に残っていたと考えられるのですが、崇神の時代も同じであると考えられます。
イカガシコメノミコトの兄は、イカガシコオノミコトで、物部の祖先です。名前が似ているように、イカガシコメは物部の流れです。イカガシオコは水の神とされています。
崇神がヤマト入りした経路は、物部が各地に進出し、そこで水稲栽培を行い、一族を定住させた経路と同じものと考えるのが適当でしょう。
どのような経路か?それは、物部の一族が定着した地域を経由したと考えられます。
具体的には、近江かr采女(四日市)、穗積(亀山、忍山神社)ということになります。
物部の一族は、本来は河内平野が根拠地で、その前は出雲(大国主)であると考えられます。そこから、どこを通り三重県に入ったのか、三重県北勢地域に八風街道(八風峠)というのがあり、そこを経由して進出したと考えられます。近江から、京都、奈良へ向かわなかったのは、その地域には、葛城氏の勢力であったからでしょう。尾張へいかなかったのは、尾張氏(大伴氏)の存在がある。物部の動きは、物部集団が、農兵集団であると理解するのが合理的。彼らは、ヤナトへ進軍したのではなく、他勢力のいない地域で生活基盤を持つことを主眼にしており、最終的に、ヤマトの葛城氏と連合を組み、尾張氏を含めた東海、関西に広がるおおきな王権を創建した。最初のヤマト王権としての崇神王権の誕生。
弥生時代の銅鐸文化圏は、山口県から静岡までと広いが、応神王朝直前までの広がりを示し、崇神の時代に、この広がりが政治的にあったとは考えがたい。
三重県いなべ市いなべ町大泉に、大谷神社があり、ここの祭神は、水分大神、アメノコヤネノミコト、ウケモチノカミトされています。神社の歴史は古く、1499年に、春日大明神と合祀され、かすが大明神の祭神は、藤原系のアメノコヤネノミコトですから、元の大谷神社の祭神は、水分大神、つまり、イカガシオコノミコトです。
もともとの大谷神社の祭神は、イカガシコメノミコトとイカガシオココノミコトの2神であるという伝承があり、この伝承の方が理にかなっています。非常に面白い事例で、物部系の神社が、藤原系の神社に置き換わったように印象があります。水分大神というのは、本来、別名なのですが、自然神かという印象があります。
要するに、日本の伝統的な神社は、大物主系の神社を基礎として、培われ継承されてきた神社であると言うことができます。そして、なぜ、日本の神社が、すべて氏神神社なのかの証明になっていると考えられます。

古代豪族から見る古代史日本神話仮説

2025-04-01 21:39:11 | 国際政治経済
日本古代史および日本神話について、いろいろ考察してきましたが、日本古代史について、私なりにまとめることとします。
手がかりになるのは、豪族です。人類が家族形態から氏族社会へ移行して、さらに国家的形態に進んだのが、日本古代史の本質であると考えられます。
論理的に、古代の氏族勢力がどういう状況であったかを確認することが一番重要なことになります。
古代氏族で有名な一族は、蘇我と物部です。
これは、聖徳太子の時期ですが、実際には、もっと前、継体天皇擁立時の豪族には、物部、大伴があります。さらに、葛城、尾張氏。大和の豪族は、葛城、物部、大伴ですが、葛城が、大和の古来豪族、物部は河内。仮に、大伴=尾張とすると、自然な関係になります。また、葛城=蘇我とすると、非常にわかりやすい。
実際のところ、葛城氏は、いつの間にか姿を消しますが、葛城が滅亡したのなら、歴史的大事件ですが、その記録はありません。
大伴氏は、大王家の親衛隊長的な家とされていますが、当時の状況で地域的基盤を持たない有力豪族という存在は不自然です。記紀は、藤原不比等が藤原氏の都合のいいように改ざんしたものと考えると、その推論もありうるし、結果的に論理的です。
日本国の基礎になったヤマト王権というのは、崇神に始まると考えると、崇神王朝は、河内出雲の物部系が、尾張の大伴氏と連合して、奈良盆地に入り、葛城生得との連合氏族王権を打ち立てたと考えることができます。
それは、大物主系の崇神が、オオミワ神社を建て、成功する神話の流れに符合します。
ここで、重要なことは、崇神時代の主神は、アマテラス、スサノオではなく、オオカミ(オオミワカミ)であったということです。
いつの時代から、アマテラスが出てきたのか?
応神の神功皇后の時代に、神話的なアマテラスが登場したと考えられます。それは、秦氏の功績が大きいと考えられます、つまり、日本全土を統一する思想には、縄文の母性信仰に基礎をおくことにより、初めてそれが可能になるという理由です。
つまり、父系氏族による統一は物理的なもので、もっとも重要な精神的統一は、母系社会に頼らざるを得ないという事情によりものです。
その歴史的真実は、キリスト教に中にあります。聖母マリアの愛を受け継いだキリストによる社会の安定。
また、ヤマト王権、朝廷には、2つの流れがあり、ます。
物部大伴対葛城、物部対蘇我、そして、蘇我の後継である藤原対皇族、その皇族集団から生まれた源氏平氏とつながります。

グローバリズムとマルクス主義、金融の歴史、ユダヤ人問題

2023-01-30 23:43:53 | 国際政治経済
グローバル資本主義は、国際金融資本の思想に違いないが、その思想的淵源は何か?私は、初期マルクスのユダヤ人解放思想にあるのではないかと考える。つまり、ユダヤ人の解放は、資本主義の全面的発展により成就されるという発想。その後、マルクス自身は捨てたようだが、その遺産は、そこに継承された。

これは陰謀説に繋がる見方だが、そういう、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の発展が世界を変えるという思想は、NHKで流布され続けている。
そこでは、国家は機能しなくなり、桎梏になるという筋書きが語られる。併せて、経済と国家の対立が、民主主義と絶対主義の対立というようにすり替えられる。結局、貨幣的民主主義が、国家的、共同体的民主主義を崩壊させるという文脈になる。国家はいらないという発想、つまり、新自由主義。

ここには、2つの誤りがある。
① 経済が主要な社会の推進力になったのは、近代以降の話であること。
② 民主主義には、経済的自由を基礎にする民主主義と、共同体的規範を基準にする民主主意があるということ。現代法学では、自由権と社会権の相違。つまり、下からの民主主義、貨幣民主主義と、上からの民主主義、共同体的民主主義があるということ。

今、政治家や官僚が触れる経済学は、グローバル経済学のようなものになっている。サプライチェーン論もそうだし、自由と民主主義の陣営というのも、その政治版である。

結局、国家は、自由と民主主義のグローバル資本体制を守るために存在するというような話に世間はなっている。 そういう視点から、自由の陣営と、全体主義の陣営という構図が頭にすっぽり収まっている。
古い著作だか、ソロスの グローバル資本主義の危機 というような本がある。昔、この本を読んでいるとき感じたのは、マルクス主義そのもの、ただし、いわゆる階級的視点の違いを感じた。つまり、経済現象の真実を資本家の立場で書いているということである。もっとも、私は、著作が真実の経済を語っているとは考えないが、一般のマルクス経済学者は、その逆読みをするだけだと考えた。
実のところ、レーニンも、ソロスのような人の著作無くして、マルクス主義経済学は発展しないと言っている。マルクス主義者は、革命までは同じ考えしか持たない、持てないことの告白なのだ。つまり、経済観は同じということになる。
結局、客観的に資本主義絶対論になるから、変革には無批判、無責任になる。
たとえば、反グローバリズムのマルクス主義経済学者というのは、グローバル経済の矛盾を暴きはするが、言うことが論理的ではなく、グローバル主義者自らが困惑する事実だけを指摘し、経済の崩壊を主張するだけである。
後は野となれ山となれ 変革の鐘が鳴る 収奪者が収奪される というような記述は、資本論の有名な言葉だが、それまで待ちましょうという話になる。
(資本論の全体系については、ブログにて批判し、資本主意経済の本質とは何かを書いているので、ここでは省略する。)
資本の運動はどこまでも拡大発展し、その胎内において育つ生産様式に見合う新しい生産関係が育たなければ、その時期は来ないというのだから、グローバル経済は、押しとどめることができない必然ということになる。
しかし、このグローバル経済は、国家はいらないという経済である。それに追随する経済一元論は、政治の対応は全て空虚になる。グローバル資本の意に介しないロシアは、滅びてもしかたないということになる。
このマルクスの思想の根源は、マルクスの共同体理解に基づく。著作で、彼は、価値形態は共同体の外に存在すると書いている。価値形態が共同体を破壊するとか、素朴な共同体は国家を持たないとか、アジアの共同体は価値形態が入り込み国家になった というような解釈は、そのことを如実に示している。つまり、私有財産が生まれて階級支配国家ができたという歴史観が、その背景にある。しかし、これは間違いだ。これが全ての誤りの根源。(詳細はブログ参照)

階級国家の誕生を促したと彼らが理解する価値形態の一般的形態である貨幣は、二つの起源がある。貴金属貨幣と、モーゼの貨幣。

グローバル資本主義とマルクス主義は、資本主義単一主義の右派と左派の違いであり、本質的には同じである。前者は国家を破壊し、後者は国家を道具にするだけの違い。国家の背景にある共同体には無頓着である。社会主義は新しい共同体のあり方であるという命題は、歴史的に否定されている。社会主義生産様式、社会主義生産関係などは存在しないし、うまく機能しなかった。

社会主義は、国家が資本主義に向き合う姿、型に過ぎない。経済体制ではない。

マルクス主義の経済一元論は、経済関係が政治を規定するという唯物史観に依拠しているが、この歴史観は、生産関係を歴史的区分に合わせている。生産力と生産様式から生産関係が決まり、社会の下部構造になるという理解。つまり、経済しか出てこない。

マルクスは、後期においでも、資本主義的発展はすべての封建的な束縛を解き放つとしている。しかし、歴史的には、経済的発展が政治を規定したのは、資本主義の発展期だけ。歴史全体に流れる規定要因ではない。古代においては、民族問題の発展の中で、国家、宗教が発展している。今は、どうだろうか。

現在の課題は、国家が経済に有効に対処できるようになること。それ抜きに、経済の維持発展はない。資本主義の発展をそっくり継承することが歴史的課題であるとするマルクス主義の革命思想は、最重要なのは権力の掌握ということになるから、具体的に何をしていいのかわからない。
その典型が、マルクス主義から、ナチス独裁政権への変化。ナチスもそうだが、マルクス主義も、誕生の最初から、金融資本の援助を得ている。敵は実は同じ。産業資本。
もちろん、私は、金融資本の役割を否定しない。金融は、人間の循環器で、金融資本は心臓だが、ミツバチでもあり、寄生虫にもなる。世界には、絶対的な善もないが、絶対的な悪もない。後者があるというのが陰謀論。

金融は、モーゼが始めたが、キリストは、その悪を攻撃している。
中世キリスト教は利子を認めなかった。ベニスの商人は批判された。金融は、ユダヤ的な悪であるという思想の根源。しかし、歴史の過程は、貨幣経済は金融なくして発展しないという真理だった。

モーゼ自身は、貨幣という共同体債券の発行を通じて、ユダヤ共同体を救ったのだから、金融の元祖でもある。客観的に見ると、キリストは金融に批判的で、モーゼから離れている。しかし、それは、詐欺的金融を批判したのであり、キリストが貨幣を排斥したということはない。しかし、これは、教条主義者が新教を勃興させる基礎のもなった。新教と旧教の対立というのは、その背景にモーゼが開いた金融制度をどう理解するかにかかっていると考えられる。ただ、それは、客観的な解釈において、そうなるだけである。
それを、ある方向で拡大したのがルター。つまり、ユダヤ、金融 という切り口である。

しかし、マルクスの離れ方は、さらに根本的である。およそ、価値形態を共同体から排除している。モーゼが貨幣を活用したのに反し、革命により、貨幣を拘束し、廃止しようとする。共同体の発展のなかに、経済、さらにその現実のなかで、宗教の発展があると考えると、論理的には、モーゼの最大の敵はマルクスということになる。だから、マルクス主義の克服無くして未来はない。また、共同体の発展抜きには、資本主義の発展はないということを示すのが、最近の経済現象である。

ここで、寄り道をして、マルクスのユダヤ人解放観に関して考える。
近代ユダヤ人排斥は、ルターに始まるようだ。タルムードの歪曲の話。つまり、ユダヤ人は、ユダヤ人以外は人間でないと考えているという決めつけ。ルターは、タルムード理解を通じて、ユダヤ人批判に転じたとされている。しかし、その理解が真実なら、ユダヤ人は混血しないだろう。誤りは、歴史が証明している。

確かに、ルターは腐敗したバチカンに抗議した。しかし、彼が依拠した聖書は、本当にキリスト教のすべてがあるとは考えられない。最初から間違っている。言葉から理解することは、言葉の論理を理解することであり、字句に翻弄されると、逆に言葉の真意から離れる。それが極限で現れたのがタルムード理解である。

私が、以前リツイートしたものに、ウクライナにおける情報統制、迫害?について触れたツイートがある。その本人が、イスラエル人だと言い、なおかつ、ユダヤ人は、ユダヤ人以外は人間ではないと吐露しているというもの。真偽は不明だが、巧妙な仕掛けがある可能性もある。

ラブロフ外相が、ヒトラーはユダヤ人の血 という話があるが、タルムード歪曲の思想は、ナチズムに引き継がれたと考えることができる。しかし、その歪曲は、プロテスタントに始まり、キリスト教に封印されたようなところがある。だから、ヒトラーはユダヤ教のユダヤ人ではない。

付言すると、ユダヤ人の中でも、そうした考えを持つ人もいても不思議ではない。犯罪者が存在するように、律法破りも存在する。現に、イスラエルがパレスチナに対する対応は、私から見れば、律法破り。また、パレスチナ人は、ユダヤ人の末裔である可能性が高い。

ユダヤ人問題については、マルクスの視点に注目すべき。ユダヤ人が自身の呪縛から解放されるためには、世界がユダヤ人的になる以外にないという方法論。これにより、実際のロシア革命はユダヤ人の参加により成功している。事実として。
しかし、革命後の過程を見ても、革命がユダヤ人を解放したわけでもなく、崩壊後にユダヤ人の取った態度は、ロシアを離れるか、オルガルヒとして成功するかであり、ユダヤ人の開放とは何の関係もなかった。
民族問題について付言すると、民族問題は、共同体の在り方の問題であり、結局、民族融和主義と民族派以外主義の対立になる。グローバリズムは、論理的には、民族問題とは関係ない。むしろ、民族問題を複雑化する。
さて、タルムードはモーゼの律法。やはり、モーゼは空前絶後の天才で、私の理解では、貨幣の創始者はモーゼ。人類に共同体を明確に示したのもモーゼ。教えが廃れ、歪曲、矮小化された歴史がタルムードの歴史。

タルムードの歪曲に直接寄与したのは、プロテスタント思想。バチカン共同体から離れ、聖書に依拠する信仰の確立。新教から原理主義者が出ても全く不思議ではない。変な話だが、独善的なユダヤ教を否定する新教がもっとも独善的になる可能性がある。

貨幣は、自然発生的には、貴金属貨幣に始まるが、貨幣の本来の機能は、共同体の貨幣としての地位を確立したときに始まる。つまり、共同体の負債が貨幣になるという劇的変化。しかし、これは、共同体の機能があって初めて実現する。ただ、複数の共同体で機能する貨幣は、ドル以前は金だった。

聖書に書かれている戦争は、基本的に共同体を守るため、維持するため、戦争を肯定する必要があるからである。奴隷制も同じ。働く者はすべて奴隷という時代があった。しかし、こうした背景を無視して、律法が教条主義になると、批判されるタルムードになる。それを劇的に変えたのか、律法の新教的理解。また、旧教世界にも及ぶことになり、キリスト教の使命論が出て、世界の悲惨が訪れる。ただ、ユダヤ教自体が、独善的なのは古い歴史がある

タルムードというのは、処世訓のようなものであり、御伽噺が、さまざまに解釈されるように、時代を超えて生き残ったものという意味で、それは実体的に磨かれた、選ばれた格言であることは認められるが、それ以上の解釈も、雑多の一つに過ぎない。

その証拠に、真正なユダヤ人は、シオニズムを批判している。

前にも触れたが、ナチスとキリスト教の関係。ナチス的思考は、キリスト教徒的な思考ではない。ナチスの基本は、自民族優位主義。これは、汝の隣人を愛せよ というキリスト教の愛本位主義とは真逆の思考。ロシアとロシア人は出て行け という民族排外主義は反キリスト教ということになる。
もともと、キリスト教は、民族問題を超えるところで発生している。単純には説明できないが、ユダヤ教の発展、もしくは後退のなかで、聖マリア教のような側面があり、ユダヤの正統とは異なる要素を持つ。ユダヤの正統の思想で、民族問題を解決したのが、イスラム教。
いずれにしても、ウクライナにおけるロシア排除、西側のロシア崩壊願望は、まともなキリスト教の国の行為ではない。

宗教と奴隷制度~キリスト教の発展を願って

2022-09-06 21:00:01 | 国際政治経済
統一教会関連のツイートに関連して、Twitterで論じたことをまとめ、補筆することとします。

ひろゆき さんのツィートで、統一協会関係のものがありました。それに対して、江戸時代にキリシタン弾圧をした人は、ひろゆきさんみたいな人だったんでしょうねという反論があり、ひろゆきさんも反論していますが、秀吉がキリシタン弾圧した背景に奴隷貿易があるいうツィートがありました。

キリシタン弾圧ですが、当時、問題視されていたのは、布教活動に付随する負の効果が、極めて深刻なものであったということにあります。
つまり、日本人を奴隷としてポルトガル商人が奴隷貿易をしているという事実が、秀吉を激怒させました。
大河ドラマでは、このことは全然出てきません。そこに戦後社会の嘘を見ることもできます。
今の日本人は、キリスト教をどこか先進的な優れた宗教であり、日本伝統の神仏崇拝をどこか幼稚な宗教と見る向きがあります。これは、全然間違っており、キリスト教との対峙は、応神天皇から聖徳太子までの時期に遭遇しており、その克服のもとに、日本神話ができていると私は考えています。
つまり、戦国時代のキリスト教伝来は、1000年後の話ということになります。教義的に、解決されているため、世界中で起こったキリスト教の弊害から逃れることが出来たと考えられます。

キリスト教が教義として不完全であることの証が、奴隷制度を教義として克服していない点があります。
事実、異民族、未開人に対して、キリスト教は過酷な対応をしないまでも、容認する姿勢を維持してきました。
最近、バチカンが、カナダの少数民族迫害に陳謝していおり、異民族の布教は害が多かったことが証明されています。

では、その根源はどこにあったと考えるべきでしょうか。始まりに求めることができます。
原始キリスト教についての記述は少ないが、私は、当時の主な信者は奴隷だったのではないかと考えています。奴隷が解放への祈りを込めて、福音に耳を傾け、原始キリスト教共同体を、奴隷主から離れて作ったと想定することができます。ネロによるキリスト教徒迫害は、奴隷制維持の強行手段と考えられます。

実際のところ、ユダヤ共同体の創始者であるモーゼは、エジプトの奴隷を率いて、共同体を作ったと考えられます。ただ、当時の奴隷は、賃金奴隷、職人奴隷であり、ある程度、自由な奴隷であったと想定されます。

さて、原始キリスト教ですが、奴隷がキリスト教徒であることは矛盾があります。現実を肯定すること、戦いを拒否する立場は、奴隷の地位を認めることです。実際、中世の教会は奴隷を所有しています。
つまり、民主主義の物差しでは、奴隷制社会を克服していない宗教ということになり、教義の根本的変革が不可避になります。もちろん、その否定的側面が、歴史の悲劇を引き起こしています。

この課題を歴史上、初めて認識したのが、ヘーゲルではないかと、私は考えています。フランス革命の熱にうなされた若いヘーゲルが、宗教改革の必要性を認識していたことは、よく知られています。