コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

ウクライナ侵攻~ナショナリズムとグローバリズム

2022-04-23 22:14:43 | 国際政治経済
ロイターの記事で「アングル:ロシアに強制移送されたマリウポリ市民、帰国を切望」アングル:ロシアに強制移送されたマリウポリ市民、帰国を切望 | ロイター (reuters.com)といのがある。
この記事をどう解釈するかが問題だろう。マリウポリのロシア系住民は、ロシア語を話すがウクライナ国民であるという特別な考え方を持っている。アゾフによるロシア排斥は、この人達には苦痛ではないのかと言うと程度の問題なのだろう。ただ、注意することは、彼女がイタリアで考えているということだ。

マリウポリがウクライナであれば 戻りたいというのは、納得がいく話ではある。思考が相対的なのだ。選択的とも言える。選択の幅は大きい。つまり、十人十色。ソ連邦時代のウクライナは、それを包含したが、資本主義ウクライナは、その現実的選択肢を狭くしたと考えられる。

つまり、ロシア人としてウクライナに住むことは困難になり、さらに、ウクライナでロシア的伝統を子孫に引き継ぐことが困難になり、結局、同化するしか選択肢は無くなるということになる。
では、ウクライナという国は、本来、ロシアとは無縁のものかと言うとそうではない。個々の家族もロシアに住む親戚があるなど、別れることが不自然だ。プーチンの民族論は誤りという論調ばかりだが、日本の在日問題とは異なる。他民族国家問題に近い。

民族問題という言葉自体にも問題がある。大きなくくりでは同じ民族。その典型は、ユーゴ解体にある。東北訛りと江戸弁が別の民族に分けられた話に近い。私は、民族問題は、より大きな括りでの再構成が必要ではないかと考える。

(補遺)
① 以前、ユーゴ解体後に出来た国家は、本来の国家機能を持つためには小さすぎる国家であるということを論じたが、社会主義体制が崩壊して、資本主義化が進んだと言われるが、その資本主義は、新自由主義の資本主義である。それは、中国でもそうだが、韓国でもそうだ。新自由主義は、グローバル資本主義という側面を持つが、19世紀資本主義の再興という側面も持つ。新自由主義は、アダムスミスの頃の資本主義に戻るということが言われ、実際にそうなっている。それは、オルガルヒ、財閥経済、貧富の格差に現れている。
② しかし、ウクライナ侵攻の民族紛争は、グローバリズムとナショナリズムの対決の側面が、国際関係においても、色濃く表れてきている。グローバリズムは、国家は要らないという思想に還元される。例えば、ロシアの資源を巨大資本が支配すれば、国家は弱体化する。民族資本の所有であっても、その民族資本がグローバル資本の傘下に入れば、同じことだ。小さな国家が、国内民主主義を実現するためには、グローバル資本の下部機関のようにならなければいけないということになる。国家が国家としての主体的な機能を持ち続けるためには、その国家が管理通貨制度を基礎とする経済主権を有しなければならない。つまり、通貨防衛は非常に重要なことになる。それができない国は、ユーロ等共通通貨か、基軸通貨連動性を採用せざるを得ない。
③ しかし、グローバル資本にも矛盾がある。それは、資本の基礎単位が、管理通貨であることだ。資本には国籍はないが、最終的には、どこかの管理通貨に回帰する。これは、グローバリズムは、国家は要らないという思想を持っているが、その基礎を国家に置いているという矛盾である。
④ さらに、Swiftで問題になったが、国際決済が、特定の国家の管理通貨である基軸通貨によるために、国家的利害が経済を麻痺させることが生じている。経済は、国家から自由ではないのだ。それは、グローバリズムを否定しているということになる。
⑤ もともと、管理通貨は、国家の負債による経済の円滑化を促すものであるが、基本的に通貨の価値は減価する。基軸通貨になれば、その負担は最大限になる。もちろん、甘い汁を吸う手段にもなるが、弊害も大きい。管理通貨が不換紙幣である事情はこれを推し進める。管理通貨は減価するから、グローバル資本は、将来の紙くずをせっせと稼いでいるということになる。
⑥ ナショナリズムは、基本的には共同体志向であるが、東欧崩壊後の国家分裂は、共同体志向より、グローバリズム志向というのを特徴にしている。

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