コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

宗教と奴隷制度~キリスト教の発展を願って

2022-09-06 21:00:01 | 国際政治経済
統一教会関連のツイートに関連して、Twitterで論じたことをまとめ、補筆することとします。

ひろゆき さんのツィートで、統一協会関係のものがありました。それに対して、江戸時代にキリシタン弾圧をした人は、ひろゆきさんみたいな人だったんでしょうねという反論があり、ひろゆきさんも反論していますが、秀吉がキリシタン弾圧した背景に奴隷貿易があるいうツィートがありました。

キリシタン弾圧ですが、当時、問題視されていたのは、布教活動に付随する負の効果が、極めて深刻なものであったということにあります。
つまり、日本人を奴隷としてポルトガル商人が奴隷貿易をしているという事実が、秀吉を激怒させました。
大河ドラマでは、このことは全然出てきません。そこに戦後社会の嘘を見ることもできます。
今の日本人は、キリスト教をどこか先進的な優れた宗教であり、日本伝統の神仏崇拝をどこか幼稚な宗教と見る向きがあります。これは、全然間違っており、キリスト教との対峙は、応神天皇から聖徳太子までの時期に遭遇しており、その克服のもとに、日本神話ができていると私は考えています。
つまり、戦国時代のキリスト教伝来は、1000年後の話ということになります。教義的に、解決されているため、世界中で起こったキリスト教の弊害から逃れることが出来たと考えられます。

キリスト教が教義として不完全であることの証が、奴隷制度を教義として克服していない点があります。
事実、異民族、未開人に対して、キリスト教は過酷な対応をしないまでも、容認する姿勢を維持してきました。
最近、バチカンが、カナダの少数民族迫害に陳謝していおり、異民族の布教は害が多かったことが証明されています。

では、その根源はどこにあったと考えるべきでしょうか。始まりに求めることができます。
原始キリスト教についての記述は少ないが、私は、当時の主な信者は奴隷だったのではないかと考えています。奴隷が解放への祈りを込めて、福音に耳を傾け、原始キリスト教共同体を、奴隷主から離れて作ったと想定することができます。ネロによるキリスト教徒迫害は、奴隷制維持の強行手段と考えられます。

実際のところ、ユダヤ共同体の創始者であるモーゼは、エジプトの奴隷を率いて、共同体を作ったと考えられます。ただ、当時の奴隷は、賃金奴隷、職人奴隷であり、ある程度、自由な奴隷であったと想定されます。

さて、原始キリスト教ですが、奴隷がキリスト教徒であることは矛盾があります。現実を肯定すること、戦いを拒否する立場は、奴隷の地位を認めることです。実際、中世の教会は奴隷を所有しています。
つまり、民主主義の物差しでは、奴隷制社会を克服していない宗教ということになり、教義の根本的変革が不可避になります。もちろん、その否定的側面が、歴史の悲劇を引き起こしています。

この課題を歴史上、初めて認識したのが、ヘーゲルではないかと、私は考えています。フランス革命の熱にうなされた若いヘーゲルが、宗教改革の必要性を認識していたことは、よく知られています。

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