伊藤伊兵衛の屋敷跡地というのが今の
専修院(豊島区駒込7-2-4)
のあたりだそうです。
なにか残っているのかなとお寺に行って聞いてみると…
「今は伊兵衛に関係するとみられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)
があるくらいですね」とわざわざ出てきて教えて下さいました。
1641年造立の宝篋印塔
染井は振袖火事のあと、大名が市中とは別に下屋敷を置いたところで
現在の染井霊園は伊勢津藩主藤堂家や建部家、六義園は柳沢家の下屋敷でした。
その広大な屋敷の手入れに駆り出された農民が専門職の植木職人として育ち
染井界隈には沢山の植木職人がいたそうです。
代々伊兵衛を名乗る伊藤家も伊勢津藩主の藤堂家下屋敷に出入りしていたといわれ
植木の世話をしているうちに植木屋となり江戸第一の種苗商として認められる
までになったそうです!
藤堂家下屋敷の裏門だったといわれる門が残っていました
門以外は取り壊されて工事中でした。(駒込3-12-3)
ソメイヨシノをつくった4代目伊藤伊兵衛政武は将軍吉宗の御用植木師でも
ありました。 そのお墓があるのが
西福寺 藤堂家の祈願寺でも
あったそうです。(上の門も西福寺の近くにあります)
西福寺(駒込6-11-4)
お寺の外にも中にも染井吉野が植えられて…
お寺に入るとすぐ右にある染井吉野の里の碑
伊兵衛(政武)のお墓は案内板があるのですぐに分かります。
号を樹仙と称した政武のお墓には、樹仙浄観信士と彫られていました。
(1676年~1739年)81歳で亡くなりました。 当時にしては長生きですね!
写実的な絵画を得意としていた政武は種苗目録の「地錦抄」、「草花絵全集」など
日本で最初の園芸書の著者でもあったそうです。
「おかげさまで、毎年今の時季、染井吉野の美しさにワクワクしたり切なくなったり、
ため息まじりに楽しませていただいています ありがとうございます。」
と手をあわせてきました。
帰り、また染井霊園の夕陽のなかの桜がきれいだったので…
外人墓地もあります。
そういえば染井霊園近くで
おじい様が植木屋さんだった
同級生の伊藤君は…
伊兵衛さんの子孫?