2019年5月22日。
フィリピン旅、最後のブログは、首都マニラの話。
ご存知の方も多いだろうが、フィリピンには貧困層が多い。

都市部の裏側に住む人々もいれば、お墓に住む人々もいる。
そして、ゴミ山に住む人も少なくない。
変な言い方だけど、世界中を旅していれば、ゴミ山に住む人など珍しくも何ともない。
いったい今まで何人の「ゴミ山に住む人々」を見てきただろう。
首都マニラの中心部からバスで1時間以上のところにある、パヤタス地区。
そこに「パヤタスダンプサイト」という、ちょっと有名なゴミ山がある。
フィリピン旅の目的の1つ、それはこの「パヤタスダンプサイト」のリアルをこの目で見ること。
これまでたくさんの貧困層の世界を見てきたが、このパヤタスでは、これまでのものとは1つ大きく違うところがあった。
それは、臭い。
パヤタスダンプサイトまで、僕はバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、渋滞に巻き込まれながらようやくたどり着いた。
最後のバスが到着したのは、とある小さな村。
そのすぐ横には、うず高く積みあがったゴミの山がある。
あまりに長い期間が経っているので、草も生えてしまっているのだ。

そのゴミ山の周りには、たくさんの貧困層が住んでいる。いわゆるスカベンジャーだ。


今でもたくさんのトラックがゴミを運んできている。

その小さな村には、とある行政の事務所?案内所?みたいのがあった。
「ゴミ山の周りに住む人々の様子を見に行きたいんです。どうしたらいいでしょうか?」
「ダメだよ、そっちには一人では行けない。もし行きたいなら、市役所で正式な許可証をもらってこないとダメだ。
それがあれば、我々が案内できるよ。」

ぶっつけで訪れているので、許可証などあるはずがない。
そう、そういう時こそ僕のいつもの旅。
お願いしまくる!気持ちで勝負、粘りまくる!
そう、気持ちは通じるのです。
おっちゃんは、「分かった、仕方ない。連れて行ってやるよ。」となった。よし!
バイクの後ろにまたがり、ゴミ山の周りを走り出した。
変な言い方だけど、これまでの旅で見てきた光景とそんなに変わりがあるわけではない。
それが正直な気持ちだ。

だけど、バイクが進んで行くにつれて、1つ大きな違いがあった。
なんという臭いだ…。

これまでたくさんの貧困層の世界を訪れてきたけど、本当に強烈な臭いだった。

集落の雰囲気も良くなかった。
現地の人々から、かなり冷たい目で睨まれているのが分かった。


でも、そんな世界にも…
笑顔で遊ぶ子どもたちがいる。

この強烈な環境で生きる子どもたちは、いったい何を思ってこの場にいるのだろう。
僕はガイドの許可を得て、バイクを降りて少しの間、この子たちと遊んだ。
「長居はよくない、さぁ戻ろう。」
僕は再びバイクに乗ると、最初の小さな村に戻った。
パヤタスダンプサイトでは2000年、悲惨な事故があった。
積み上がったゴミ山が崩れ、周囲の家々が巻き込まれたのだ。
死者は200人を超える、大惨事だったらしい。

いつの時代もどこに行っても、貧しい人々は危険な場所や不自由な場所での生活を強いられる。
皮肉なことに、それは世界の「常識」だ。
なんてことはない、「いつもの話」である。
フィリピンにも、そんな「いつもの話」があった。
僕たちは日本という、世界有数の先進国に住んでいるけど、
ちょっと他の国に行けば、僕らとは異なる「常識」がある。
常識なんて、さほど常識ではない。
そんな常識と、僕らはどう付き合っていったらいいんだろう。

マニラ中心部のとあるお店で、シーシャを吸いながら一人考えていた。

株式会社グローカルアースホームページ
https://www.grocal-earth.com/
著書『中学教師が行く、無計画世界紀行』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00YO9OL3K/ref=cm_sw_r_tw_dp_9x5Bvb0HR324E
フィリピン旅、最後のブログは、首都マニラの話。
ご存知の方も多いだろうが、フィリピンには貧困層が多い。

都市部の裏側に住む人々もいれば、お墓に住む人々もいる。
そして、ゴミ山に住む人も少なくない。
変な言い方だけど、世界中を旅していれば、ゴミ山に住む人など珍しくも何ともない。
いったい今まで何人の「ゴミ山に住む人々」を見てきただろう。
首都マニラの中心部からバスで1時間以上のところにある、パヤタス地区。
そこに「パヤタスダンプサイト」という、ちょっと有名なゴミ山がある。
フィリピン旅の目的の1つ、それはこの「パヤタスダンプサイト」のリアルをこの目で見ること。
これまでたくさんの貧困層の世界を見てきたが、このパヤタスでは、これまでのものとは1つ大きく違うところがあった。
それは、臭い。
パヤタスダンプサイトまで、僕はバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、渋滞に巻き込まれながらようやくたどり着いた。
最後のバスが到着したのは、とある小さな村。
そのすぐ横には、うず高く積みあがったゴミの山がある。
あまりに長い期間が経っているので、草も生えてしまっているのだ。

そのゴミ山の周りには、たくさんの貧困層が住んでいる。いわゆるスカベンジャーだ。


今でもたくさんのトラックがゴミを運んできている。

その小さな村には、とある行政の事務所?案内所?みたいのがあった。
「ゴミ山の周りに住む人々の様子を見に行きたいんです。どうしたらいいでしょうか?」
「ダメだよ、そっちには一人では行けない。もし行きたいなら、市役所で正式な許可証をもらってこないとダメだ。
それがあれば、我々が案内できるよ。」

ぶっつけで訪れているので、許可証などあるはずがない。
そう、そういう時こそ僕のいつもの旅。
お願いしまくる!気持ちで勝負、粘りまくる!
そう、気持ちは通じるのです。
おっちゃんは、「分かった、仕方ない。連れて行ってやるよ。」となった。よし!
バイクの後ろにまたがり、ゴミ山の周りを走り出した。
変な言い方だけど、これまでの旅で見てきた光景とそんなに変わりがあるわけではない。
それが正直な気持ちだ。

だけど、バイクが進んで行くにつれて、1つ大きな違いがあった。
なんという臭いだ…。

これまでたくさんの貧困層の世界を訪れてきたけど、本当に強烈な臭いだった。

集落の雰囲気も良くなかった。
現地の人々から、かなり冷たい目で睨まれているのが分かった。


でも、そんな世界にも…
笑顔で遊ぶ子どもたちがいる。

この強烈な環境で生きる子どもたちは、いったい何を思ってこの場にいるのだろう。
僕はガイドの許可を得て、バイクを降りて少しの間、この子たちと遊んだ。
「長居はよくない、さぁ戻ろう。」
僕は再びバイクに乗ると、最初の小さな村に戻った。
パヤタスダンプサイトでは2000年、悲惨な事故があった。
積み上がったゴミ山が崩れ、周囲の家々が巻き込まれたのだ。
死者は200人を超える、大惨事だったらしい。

いつの時代もどこに行っても、貧しい人々は危険な場所や不自由な場所での生活を強いられる。
皮肉なことに、それは世界の「常識」だ。
なんてことはない、「いつもの話」である。
フィリピンにも、そんな「いつもの話」があった。
僕たちは日本という、世界有数の先進国に住んでいるけど、
ちょっと他の国に行けば、僕らとは異なる「常識」がある。
常識なんて、さほど常識ではない。
そんな常識と、僕らはどう付き合っていったらいいんだろう。

マニラ中心部のとあるお店で、シーシャを吸いながら一人考えていた。

株式会社グローカルアースホームページ
https://www.grocal-earth.com/
著書『中学教師が行く、無計画世界紀行』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00YO9OL3K/ref=cm_sw_r_tw_dp_9x5Bvb0HR324E
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