「休暇中の台湾軍人」中国監視船内に2カ月拘留中 金門島近海で釣り船遭難

2024年05月19日 19時29分24秒 | Weblog

筆者は5月上旬、台湾に出張をした。20日に発足する頼清徳政権幹部らとの意見交換のほかに、もう一つの目的があった。台湾の離島、金門島の訪問だ。

金門島は、中国・福建省アモイ市対岸にあり、最も近いところでは2キロ余り。大金門島や小金門島など12の島からなり、総面積は150平方キロメートル。共産党に敗れて中国大陸から台湾に撤退した中華民国軍が実効支配している。島内には至る所に軍事施設があり、坑道が張り巡らされている。海岸には、船による上陸を防ぐための先がとがった金属製の杭が設けられている。

1958年には中国人民解放軍が砲撃を開始した。多い日には1日で6万発近い砲弾が放たれる激戦が繰り広げられたが、中華民国軍が防衛した。その後も解放軍からの攻撃が21年に続いた後、武力衝突は収束した。

中台対立の最前線にある〝軍事の島〟で今、再び緊張感が走っている。

発端となったのは2月14日に起きた事故だった。金門島沖で台湾の監視船の追跡を受けた中国漁船が転覆して乗っていた2人が死亡した。

これに対し、中国海警局(日本の海上保安庁に相当)が金門島周辺の海域における「パトロール」の名目で監視船の展開を始めた。2月19日には、中国海警局船が台湾の観光船に対して「臨検」を実施した。監視船の取締官が船内に乗り込み、約30分間かけて乗客ら20人余りの身分証などをチェックした。筆者は5月3日午後、この観光船に乗った。チケットを購入すると、「軍事管理区域を航行する際は撮影禁止」と記されていた。50人余りの台湾の観光客らとともに乗船した。船内には菓子や飲み物が並べられており、乗客は記念撮影をしていた。

船は大金門島の埠頭(ふとう)を出発すると、強風にあおられ船体は大きく揺れた。改めて台湾海峡の海流の流れの速さを体感した。対岸にあるアモイ市のビル群がくっきりと見える。

各島には台湾が「国旗」とする「青天白日満地紅旗」が掲げられており、軍の監視施設が置かれていた。施設の壁には、国民党の創設者、孫文が唱えた「三民主義(民族・民権・民生)による中国大陸との統一」と記されたスローガンが刻まれていた。約90分間かけて金門各島を一周し、小金門島とを結ぶ金門大橋をくぐって埠頭に戻った。

のんびりした遊覧とは裏腹に、中国側による攻勢がかけられていた。

筆者が観光船に乗る数時間前、金門島の南側海域を中国海警局の監視船が航行していたのだ。台湾側が設ける「禁止水域」内に侵入したという。監視船に同乗していた中国国営中央テレビの記者が撮影した映像に金門大橋が映っていた。タイミングがずれていたら筆者が乗っていた観光船も「臨検」されていたかもしれない。台湾国防部によると、3日から4日にかけて5隻の中国海軍の艦船が台湾海峡で演習をした。

観光船の運営会社の従業員は語る。

「4月ごろから金門周辺における中国海警局の監視船が明らかに増えており、連日、緊張感を持って運航している。2月の『臨検』以降、乗客は減少傾向にあり、今後の影響が心配だ」

20日の頼清徳政権の発足を控え、中国側による金門島を含めた台湾への攻勢はさらに強まりそうだ。

(キヤノングローバル戦略研究所主任研究員 峯村健司)    産経新聞                     

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 離日の米空母レーガン、登舷... | トップ | 中国海警局の船2隻、尖閣諸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事