桜林美佐氏緊急寄稿
能登半島地震での災害派遣で目を引くのは、海上、航空自衛官が慣れない地上での活動を行っている様子だ。航空自衛隊の輪島分屯基地(石川県輪島市)が、ここまで注目されたことは今までなかったのではないだろうか。
輪島分屯基地では第23警戒隊が、24時間365日警戒監視任務にあたっている。レーダーサイトといえば僻地(へきち)で少人数の隊員しかいないことでも知られる。そのため発災時、わずか40人の隊員であらゆる対処をしなければならなかった。
常に国籍不明機に目を光らせ、発見すれば空自小松基地(同県小松市)から戦闘機がスクランブル(緊急発進)するという国防の重要拠点であるため、被災しても警戒監視機能を決して止めることはできない。そうしたなかで、隊員たちは高台にあるサイト周辺に続々と避難してきた約1000人の住民を受け入れ、自分たちの非常用糧食や毛布を提供したという。
さらに、元日の午後9時半頃、「倒壊したビルに閉じ込められている人を助けてほしい」という要請に応じ、翌2日午前2時までに2人を救出した。同8時頃には、崩壊した道路で80歳の女性を救助している。これをレーダーサイトの隊員が行ったのかと思うと驚かされる。
海自の護衛艦も1日午後9時までに支援物資を搭載した。陸上自衛隊からも次々に部隊が出発した。「頼むよ!」。そう声を掛けられた車列は陸路を被災地へ向けひた走った。
到着してみると、現場の状況はあまりに過酷だった。孤立する集落へ物資を届けるには、数十キロの背嚢(はいのう=リュックサック)を背負い、崖をロープで降り、文字通り道なき道を徒歩で進むしかなかった。
被災地の天候は悪化しており、雨風の中、そして雪を踏み分けての行軍が今も続けられている。
少しでも多く支援物資を運ぶために、自分たちの荷物は最小限の雨衣や水だけだ。拠点に戻って隊員の食事は午後9時半頃になる。その後も翌日のためのミーティングと準備があり、深夜0時にようやく眠りに就く。もちろん場所は天幕や体育館だ。
その中には女性自衛官もいる。普段から厳しい環境での訓練を重ねている自衛隊だからこそできることだ。そして、これは日本への侵攻事態に備えたものであることを忘れてはならない。
全国から続々と派遣されている自衛官には、成人式に出席する予定だった隊員もいる。だが、家族が被災しながらも活動している現地の自衛官のことを考えれば、この日を心待ちにしていた親族も黙って送り出した。
「成人式を祝ってやれんのは辛いですが、自衛官としての責任は持てたと思います」
九州から派遣された息子を持つ父はそう胸を張る。
こうした自衛隊の姿を心から誇りに思い、その活躍を多くの人に知ってもらいたいと思う。一方で、それをすればするほど、自衛隊の役割に対する勘違いが広がるならじくじたる思いだ。「有事」と「災害」の複合事態となれば、被災地に自衛隊が赴けない場合も想定しておかねばならない。依存体質から抜け出すことが急務だ。
桜林 美佐
さくらばやし・みさ 防衛問題研究家。1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書・共著に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛官の心意気』(PHP研究所)、『危機迫る日本の防衛産業』(産経NF文庫)、『陸・海・空 究極のブリーフィング』(ワニブックス)など。
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